第三十二話 向かい合う名
少林塾の一間に、墨の香が静かに満ちていた。
東洋は文机に薄手の紙を広げる。長広きを避けつつも礼を落とさぬよう、詫びと和融の志、謹慎につき使者を遣わせる旨、海防建白の希望を十行余に収める。末尾に「恐惶謹言」と添え、封じて花押を据えた。
「家老三家のうち、手始めは宿毛じゃ」
呟きは紙に吸われた。
宿毛山内家――初代藩主・山内一豊の実姉の家筋に連なり、代々、太郎左衛門の名を繋いで土佐西端を治めてきた家。外は豊後水道、正面は外海。屋敷の柱にまで潮の息が染み込む地である。
当主は山内太郎左衛門主馬。昨年、安政三年に家督を受けたばかりの齢三十九。正室は藩主・容堂の姉。
父・氏固の代には東洋と角が立ったが、子は子。海を存念に置く家なら理が通る――東洋はそう見た。
書状は飛脚に託された。二日を置かず、返状が戻る。封を切ると、簡潔な文言が並ぶ。
――詫びの志、承り候。海防の件、承りたく候。異例ながら面会を許す。人目の立たぬ表座敷にて、来意を聞く。――
そこに、主馬の判が静かに押されていた。
一門格の家老が下士の使者と直に会うのは、本来あり得ぬ。だが返状は、東洋の謹慎ゆえの使いであることをわきまえたうえで、臨時の便宜を明言している。
「橋は掛かった。杭を打つときじゃ」
控える治郎兵衛に手紙を渡す。東洋には思惑があった。
治郎兵衛は淡輪家の嫡子である。そして、郷士に取り立てられた初代・淡輪四郎兵衛が、総浦奉行に登り詰める登竜門となった出来事の地が、宿毛であった。
その“出世の刻”が刻まれた土地へ、いずれ四郎兵衛を継ぐ身を遣わす――それ自体が、名と地の記憶に触れる門となると、東洋は読んだ。
治郎兵衛が、荷に入れるのは二つ。
ひとつは、少林塾開設の日に治郎兵衛が東洋に託した唐本――『海国図志』の抜き書き。異国の港の置き方、砲の届き、潮の見方、昼夜の合図など、海の向こうの仕法が細かく記されており、まだ日ノ本に広くは届いていない。
もうひとつは淡輪家に伝わる写し――『淡輪記』。初代・四郎兵衛が記した藩政初期の境争論の控で、土佐と宇和島の境でのやり取りが記されている。
「必ずや、役を果たして参りまする」
治郎兵衛は深く礼し、草鞋の緒を固く締めた。
◆
西へ。
道を進むほど空は低く、風の塩が濃くなった。田の緑の切れ目ごとに海鳴りが背を押す。
宿毛の町に入ると、白壁に潮の粉が薄く光る。宿毛山内家の屋敷は石と木で堅く組まれ、庭の松は風を受け流すように枝を張っている。門柱に刻まれた古い潮時の線が、この家が海を相手に時を数えてきたことを物語っていた。
表座敷に通され、ほどなく襖が開く。
「遠路、御苦労。太郎左衛門主馬である」
年齢相応の面立ちだが、眼の光は若い。衣は簡素にして縫いが綺麗、膝の置き場が迷わない。容堂の義兄の静かな威があった。
「東洋殿の書状は拝見した。……浜のことは急ぐ。手短に申せ」
「ははっ。淡輪家嫡子、治郎兵衛と申します。まずは、先生の詫びを申し上げます」
礼を尽くし、書状の端を示す。主馬は小さくうなずき、治郎兵衛の包みに眼を落とした。
「海防の策とやらを、見せてくれ」
治郎兵衛は手早く『海国図志』の束を開く。薄い紙に細い字が並び、港の図、砲台の置き場、灯と旗の合図、潮の表が描かれている。
治郎兵衛は指で要を示した。
「外つ国の港は、先に仕法を定め、その通りに人と船を動かします。潮を見る役を置き、刻ごとに合図を決め、出入りの順を争いなく裁ちます。砲の届きは図で測り、港外に標を立てます。力まかせではなく、この定めで動いております」
主馬は目を細め、紙に寄った。薄手の唐紙に滲む墨の筋を、呼吸を殺して追う。指先は触れず、矢印と数の列を宙でなぞる。港の口を示す細い線、刻ごとの旗印、砲の射界と浅瀬の癖を一枚で合わせる図――頁の上で潮と人が同じ拍子で動いているのが見え、思わず息が浅くなる。
「……こちらの浜は、人の勘と馴れで回してきた。まず仕法を据える、ということか」
「左様。先に定め、その後に力でございます」
もう一冊を出す。表紙は『淡輪記』。
古い筆で綴られた「国境争論」の控である。幕府の国絵図作成の命に端を発し、宇和島藩と土佐藩が海と山の境の位置を争い、幕府の裁定で海は土佐、山は宇和島に利する手打ちとなった記録が記されている。
「これなるは、御家の初代・太郎左衛門殿と、我が淡輪の初代・四郎兵衛が並び立ち、境を収めた記録にございます。郷士の四郎兵衛が勘定と図を持ち、上士の太郎左衛門殿が藩の名で支え、海の境を宇和島より勝ち取ったのでございます」
主馬の眼に柔らかい色が差した。
太郎左衛門と四郎兵衛。どちらも名を継ぐ家である。
「おんしは、いずれ“四郎兵衛”を継ぐ身か」
「はい。名に恥じぬよう、日々身を整えております」
「わしも“太郎左衛門”となった身じゃ。……不思議なものよ。名が向かい合うだけで、帳面の片側が埋まる心持ちがする」
主馬は『淡輪記』に手に取り、じっくりと眼を落とし、古い紙の端をそっと押さえた。
二百五十年前でさえ、上士と郷士が肩を並べて動いた。あの時は相手が隣藩で、言葉も通じた。それでさえ、最後は図と定めで収めている。
これから相手にするのは、海の向こうの船。日ノ本の言葉は通じない。いよいよ仕法を先に据えねばならぬ。
「――あいわかった。外の定めは海の向こうの理、内の覚えは土佐のやり方の記し。二つをひとつに合わせる。それが肝というわけじゃな」
「恐れながら、さように」
「宿毛湾の砲の置き場は、どう見ておる」
「海岸の地形と、砲の届きを図で合わせ、無駄なく据えるのがよろしいかと。浅瀬の癖も加えて考えます。――こちらに簡単な見取りがございます」
治郎兵衛は砲台候補地を点で示した紙を出した。
主馬は黙して目を通し、紙の角を一度だけ折る。小さな合意の印。
「……話がすっと入る。要が揃っておる」
「もったいなきお言葉」
襖の陰の家士たちの呼吸が浅くなる。一門格の家老が、下士の言に素直にうなずく場は珍しい。だが、目に逆らう気配はない。
主馬は声を少し落とした。
「父の代はいろいろ行き違いがあった。わしは家督を受けて日が浅い。学ぶべきは学ぶ。海は待ってくれぬ」
治郎兵衛は頭を垂れ、提案を差した。
「先生は密かに宿毛へ伺いたいと申しております。人目は避けまする」
主馬は小さく首を振る。
「いや、こちらが出向く。若輩、教えを請う側じゃ。――少林塾へ行こう」
返事は短いが重かった。
襖の向こうの空気が、わずかに重くなる。上が下の場へ降りる。例はない。だが、海の前で体面ばかり掲げるのは愚である。
「出立の手配をする。留守居に申して、海図と潮の見の帳面を持たせ、人繰りも整えよう。返状は、今ここで書く」
書記が呼ばれ、その場で返状がしたためられる。文は簡潔だ。詫びは受けた。宿毛の海防について直に聞きたい。こちらから参る。――三行で足りた。
「それと、唐本はどう手に入れた」
「難船の折、救助の手に書に通じた者があり、縁あってこちらへ渡りました。先生が蔵されております」
「そうか。海は、人も物も、ときに思いがけぬ形で運んでくるの」
主馬はうなずき、『海国図志』の紙を畳んで角を揃えた。唐紙はわずかに塩の匂いがする。
風が座敷を抜け、貢の角がふわりと浮いて静かに落ちた。
「治郎兵衛。舵の取り方がよい。言を立て、図を置き、引くところは引く」
「身に余る評でございます」
「いや、いずれ“四郎兵衛”を名乗る身なら、当然じゃの」
主馬はほんのわずかに笑みを見せ、すぐいつもの眼に戻した。庭の松は風を受けても揺れない。
(わしも“名を継いだもの”として、負けてはおれん)
「明朝、発つ。おまえは先に戻れ。わしは二人伴う。ひとりは書記、ひとりは浜の地形に明るい者じゃ」
「かしこまりました」
別れの礼を済ませ、治郎兵衛は座を辞す。廊下に出ると、家士らの視線がいくぶん柔らいでいる。異例の面会は終わった。だが、ここからが本番だ。紙を抱えて塾へ戻り、東洋の前でひも解く。
◆
夕の宿毛港は、油と木と塩が混じる匂いだった。
縄が濡れ、櫓の受け木が黒光りし、板を叩く音が低く響く。港はすでに仕法の気配がある。誰が先に岸を離れ、どの船が荷を受け、夜にどの灯を上げるか――土地なりの定めが見える。
治郎兵衛は細い息を吐いた。
外から来た紙と、土佐で育った紙。どちらも今は同じ風にめくられている。これを抱え、少林塾に戻る。あとは東洋と主馬が直に話を交わす番だ。
「淡輪殿」
家名を背で呼ばれて振り返る。主馬が立っていた。脇には若い家士が二人、箱を抱えている。箱の口から覗くのは古い海図、粗い紙の潮の見、それに板図。
「わしは出立の支度に入る。先を急ぎ、東洋殿に伝えよ」
「はっ。それでは」
「――“太郎左衛門”と“四郎兵衛”。名が並ぶがは、悪うない」
短いやり取りに、互いの笑みが少し混じった。名は家の記憶であり、行いの柱。名が向かい合えば、話は進む。
波がふっと足元へ寄せ、ほどなく引いた。
空は薄い群青へと暮れ、遠くの岬は影だけになる。港の灯が一つ、また一つ灯る。
◆
翌朝。
薄曇りの下、港の音が静かに始まる。人の声は抑え目で、櫂の音が水底から返る。
治郎兵衛は包みを胸に抱え、東へ向かった。宿毛の方角を振り返れば、屋敷の上に淡い煙。出立の支度が進んでいる。
海は待ってくれぬ。
歩を速め、土の匂いが濃くなる方へ、少林の門をめざした。




