第二十二話 石立の火
「――石立の砲鋳所で“鋳”を打てばよろしいかと」
良輔が答えた。嘉永六年、今より三年前。黒船来航を受けて、海防の危機をいち早く察した藩主・山内容堂は高知城下、鏡川南岸の石立に大砲鋳造所を建設していた。
燃料は土佐打刃物の炭処や山間からの樫の白炭を用い、砲金鋳造の三斤〜八斤級の野砲や臼砲を数十門規模で鋳造しており、すでに多くは浦戸や須崎の台場に配備されている。
「ならば、根は厚く、先は薄く。胴の“押さえ”は広く」
万は視線だけを梁へ移す。
「梁は、帯と楔で“鳴り”を止める。しめ過ぎず、ゆるめ過ぎず。――“輪”を一つ、余らせる」
治郎兵衛が目を細めた。
「“一つ、余らせる”……?」
「全部を止めると、次は割れます。止めないと、次は折れます。だから、ひとつ“逃がす輪”を置いて、力をそこへ逃がす。――ここに」
万は連結梁の図に、ひと筆だけ加えた。梁の束ねの外側に、空の“輪”を描く。そこにだけ、帯の重なりがない。
静まり返った空気を、誰より早く打ち破ったのは治郎兵衛だった。
「……試す値打ちはある」
すぐに昌造が続く。
「されど、刃を鋳て、据え合わせるが難儀。根元の“合い”は、ただの鋳物では甘かろう」
良輔が頷く。
「結いがゆるむのも怖い」
万は、少しだけ目を細めた。
「久礼田に、鍛冶がいます。――わたしから炭を買ってくれる者たちです」
「鍛冶? ――土佐打刃物のですか」
「自由鍛造。座金、楔、締め輪、ねじ。面を見て、音で止めることができます。私が文を書きましょう」
その日の夕刻、万は薄紙に短い文をしたためた。
◆
数日ののち、山路のほこりをまとって、十数名の鍛冶師が浦ノ内へ入ってきた。
痩せた顔に眼光の鋭い年配の親方が、まず一礼する。
「久礼田の住。相州伝の流れを汲む、久光と申す。――二百五十年前、元親公が太閤の命で小田原へ御出陣の折、相州鍛冶を土佐へ連れ帰られた、その筋の末でございます」
続いて、落ち着いた声が名乗った。
「大和の五郎左衛門吉光派ゆかり、左近と申す。元亨の頃(鎌倉時代・およそ四百五十年前)に移り住んだと伝え聞く筋目にて」
ざっと頭を下げる若い衆の中には、火箸を持っただけで手の皮の厚さが伝わる者たちが並ぶ。肩に担いだ包の中からは、槌の柄や鉄の響きが覗く。いずれも土佐随一、熟練の鍛冶衆であった。
「遠路、かたじけない」
良輔が頭を下げる。
久光は頷き、そっと声を落とした。
「――“おいどもり”のお呼びと聞けば、行かぬ手はありませぬ」
「おいどもり?」
治郎兵衛が首を傾げる。
近くの万を見て、若い衆が目を輝かせ、小声で言った。
「……“かなやご様”じゃ。お美しや…」
「かなやご……?」
治郎兵衛が目をしばたたく。久光が苦笑まじりに言葉を継いだ。
「御炉守の金屋子さま。鍛冶の守り神にて。――久礼田の里では、夜更けに炉の火の“白くなる”頃、ふと戸口に白い影が立たれ、火の色を見て首を傾げられることがあられる」
治郎兵衛は思わず万を振り返った。万は、感情の波が立たぬ湖のような顔で立っている。
「呼び名は、どうでもよいのです」
鍛冶衆はすぐに仕事へと向かった。
まずは「毂」――刃を受ける中央の胴を鍛造する。鍛鉄を火にくべ、火色の見極めで打ち延ばす。万は指一本動かさず、ただ“音”を聴いた。
叩く。返す。鳴りを見る。
「ここです」
万が静かに言う。政兵衛は熱した毂の座面に紅殻を薄く塗り、刃の木型を当てて外す。紅の残り方で“合い”の当たりを見る。
裏当て金は扇形に鍛ち、孔縁を深く面取り。楔は雇い差しの勾配で仕込み、締め輪は火で温めて嵌め、冷める力で締め付ける。
◆
さらに数日後、湾の外れでは別の仕事が進んだ。石立の砲鋳所である。
土塀の内側で炉が唸り、竹炭と木炭が交じる匂いに、銅の甘い金属臭が重なる。
万が彫り、昌造と土佐鍛冶たちが運んだ木型は、一枚の刃の姿を写す“親型”だ。厚み、根元の肩の張り、先端の逃がし――すべて、午前の水試しで決めた形だ。
鋳物師が型砂を湿らせ、木型を半分埋める。型離れを良くする粉をうち、もう半分を伏せ、叩き締める。湯道と押湯を刻み、薄い竹の針金で空気抜きの微細な“息抜き”を作る。
昌造が小声で問う。
「縮み代は……如何する」
「これを使います」
万が取り出したのは、縮み代尺。普通の尺と僅かに違う。鋳上がりで縮む分を“はじめから食わせる”ための特別の物差しだ。
鋳物師が目を見張った。
「こんなもんを女子が持ち歩きゆうとは……」
万は答えず、湯道の“口”に指を添えた。
「ここを太く。ここは痩せて。――息の逃げ道が足りないと、刃は鳴きます」
炉の口が開く。
溶けた砲金が、夜のように赤く、日中のように明るい。
柄杓にすくい、二人がかりで運ぶ。鋳型の口へ傾けると、金の川が静かに満ち、押湯がふっくらと息をする。
万はただ、音を聴いていた。
金属が砂に触れ、砂の水分が蒸気に変わる微かな音。押湯の面が沈む音。炉の奥で空気が逆流する音。
鋳型の横で、久光が掌を合わせ、低くつぶやく。
「金屋子さま……。どうか“ひび”を出しなさるな」
刃が冷えるのを待つ間、鍛冶衆の仕事は止まらない。毂の細溝を刻み、締め輪のネジ山を、ねじ枠とやすりで立てる。
若い衆がひそひそと囁く。
「ねじって、こんなに細かく切れるもんか」
左近が笑って言う。
「切れる。耳で聴けば、切れる。切り粉が歌を変えるときが止めどきじゃ」
久光は、一度だけ万へ目をやる。
万は黙って頷き、扇形の角度具で基準を示す。
「据え付けの“置き”は、ここです」
毂と刃の面当たりを、紅殻で見る。赤が均一に薄く残るまで、根元の面を銑で微かにさらう。
均等かは、鍛冶が拵えた“吊り枠”で見る。刃を吊り、止まる位置を変え、少し削り、また吊る。
左近が耳を傾ける。
「……今の音じゃ。止まる音じゃ」
やがて鋳型が割られ、最初の一枚が現れた。
砲金の刃は、砂の香りをまとい、まだ温もりを持っている。湯口と押湯を切り落とし、面を軽く整える。
万は刃の根元に指を当て、ほんの一呼吸だけ目を閉じた。
「鳴いていません」
「――よし」
昌造が安堵の息を洩らす。
治郎兵衛が腕を組み、無言で頷いた。
藤兵衛は、その一連の動作を黙って見つめていた。刃の光、その光に寄る人の影、鉄と火の呼吸。胸の奥に、言葉にならぬ波紋が広がる。
――これが、土佐の“火”か。
◆
夕刻、浦ノ内へ戻る道すがら、藤兵衛が久光へ問うた。
「……万殿が、“かなやご様”と呼ばれる訳を、もう少し聞いてもえいか」
久光は足を緩め、「笑うたらいかんで」と前置きして語った。
「久礼田では昔から、炉が“白火”に変わる夜がある。熱が上がりすぎず、下がりすぎず、鉄の音が澄む夜じゃ。そんな夜に、金屋子さまは炭を売りによう来なさる。手は出さぬ。けんど、火の色を見て、軽う首を傾げなさる。――それだけで、翌朝の鉄は“鳴る”がよ」
「……それだけで、か」
「それだけで、じゃ」
久光は笑った。
「御炉守。炉の口に立って、火を鎮めるお方じゃ」
そして遠くに沈んでいく横浪の陽を見て目を細める。
「子の頃に、わしの親父から聞いた話じゃ。――もう、五十年はそうしておられる」
万象は、浦ノ内の浜で立ち止まっていた。
入江の口が、夕陽に赤く縁どられる。
海は、喉の奥で静かに息をついている。
遠く石立の砲鋳所では、炉の口もまた、赤く息をしていた。押湯は膨らみ、冷えながら沈み、砂は熱を捨て、金は形を覚える。
浦ノ内の覆屋は、潮の音を吸い、木の匂いを立て、人の息を重ねる。
“刃”は、まだ一枚。だが、火はついた。
海の口と、炉の口――ふたつの“口”が、土佐のひとつの息で繋がった夜であった。




