第十三話 鳴龍丸
安政二年、秋。
少林塾での議論が熱を帯びるほどに、話は「船を造る」という現実へ歩みを進めた。東洋は密かに容堂へ上申し、容堂はうなずいた――ただし、目立たずにやれ、と。
容堂は、本家の藩主が相次いで亡くなり、後嗣が幼少であったことから白羽の矢が立った山内分家の「代理当主」であり、藩内での権力確立は未だ十分でなかった。彼を推す吉田東洋ら改革派は新しい技術を取り入れて藩を強くしようと急いたあまり、伝統と格式を重んじる家老たちの反発を招いた。
特に東洋失脚後は、藩政運営のためには保守派に頼らざるを得ず、「蒸気船なぞ軍艦同然、公儀に背く所業」という声高な掣肘に甘んじる他なかったのだ。
そもそも幕府は天保以来、諸藩の造船を厳しく制限してきた。二百石積み以上の船は「軍船」に準じるとされ、勝手な建造は咎めを受ける。たとえ公認を得たとしても、材木の伐出から鉄釘の調達に至るまで逐一監視されるのが常であった。
昌造の蒸汽船模型の件においても、土佐藩は幕府へ「雛形蒸汽船、長さ六間、一艘」の造船許可届を差し出している。届け出の条々には長さ・幅・喫水・火室と汽筒の口径、外輪の構えまでもが事細かに記されている。近年は黒船来航を受けて規制が幾分緩んだとはいえ、大藩でもない土佐が勝手に大型の軍艦を造るとなれば、江戸からの詮議が飛ぶやもしれぬ。
ゆえに容堂は慎重にならざるを得なかった。名目上は宇佐に小型船を造ると称し、保守派を黙らせつつ、本命の造船は人目の届きにくい浦ノ内で進める――その策こそが、土佐の若き藩主と東洋がひそかに描いた道であった。
東洋は机上の図を指で叩き、短く言った。
「表は宇佐に舟台を設け、『雛形の検分と修繕』と触れを出せ。実の造りは須崎・浦ノ内で進める――舟渠を拵えよ」
その声音は落ち着いていたが、容堂から託された“密命”を帯びていることを誰もが感じ取った。
治郎兵衛はすぐに建設地の選定に動いた。
宇佐は淡輪家の地。浦奉行筋の動きとして“荷を動かす”口実はいくらでも立つ。宇佐と須崎は海伝いに近い。材木も釘も石灰も――運搬を“雛形の部品”に見せかければ、人目に立たぬ。
須崎・浦ノ内――そこは横浪半島が外海を抱きとめるように延び、わずかな湾口を残して内は湖のごとく静かな入江である。黒潮の荒波は半島の丘陵に遮られ、湾内には古来より潮待ちの船が数多く舫ってきた。まるで「竜の喉奥」に潜むようなその形は、外の目からひっそりと身を隠すにうってつけであった。
――木立に隠された入りの奥に浅瀬を埋め、掘り上げ式の簡易舟渠をつくる。大潮どきに木柵を外し、船を入れ、柵で締めて水を汲み出す。石垣は地元の石工、梁は四万十の檜、肋骨は中村から運ぶ松材。すべて、浦奉行所の「船修繕用資材」として記帳する――
昌造は長崎言葉交じりに笑った。
「御舟渠とて、初めは深甚なるものは要り申さぬ。まずは舟を寝かす台と水を掃く樋さえあれば、こなせまする」
東洋は頷く。
「浦ノ内は口が狭い。見張りを立てやすい。宇佐から荷駄を回せば、人の目にも自然じゃ」
こうして、土佐の“影の船台”は静かに組み上がり始めた。
◆
その日の夕刻、仮屋に集まった一同は、いよいよ船の要を改めて検めることとなった。
「改めて、肝の検めじゃ」
治郎兵衛が改良蒸気船の図面を広げて筆を取り、要点を読み上げる。
土佐・改良蒸汽船(案)
用途:湾内巡航・沿岸護衛・漂着船救助・測量
船型:双胴・浅喫水・艫螺旋羽根推進
【主要寸法(案)】
長さ:十八間(約32.7m)
幅(外板外):七間(約12.7m)※左右胴の外々
喫水:満載で五尺前後(約1.5m)
胴間(双胴の間隔):二間半(約4.5m)
吃重(排水量):三百三十六〜四百二十石積(概算120〜150トン)
【構造】
肋骨:土佐檜・松の交互配材。要所にオランダ釘および銅鋲を併用
外板:檜板張り・瀝青・鯨油塗布。水線下は銅板当てを要所採用
連結梁(双胴梁):太檜三重梁+鉄帯巻き。中央に剛性床を設け、機関座と砲座を兼ねる
隔壁:各胴に前・中・後の三隔壁。浸水時の延焼・沈水遅延を図る
【機関(案)】
火室:横置き円缶一基(将来二基併置余地)
汽筒:片筒二重作用(長崎手配)
螺旋羽根:二枚翼/直径八尺、艫中央の樋内に据付。将来交換前提
目安馬力:四十〜五十馬力(目標)
速力(試算):六〜七海里(湾内)
【装備】
小砲:三斤砲二門(中央台座左右)、旋回台
測量具:方位儀・測鉛・象限儀
艀:双胴間に小艀吊り込み可
【狙い】
浅喫水で砂州・礁の多い土佐沿岸に適す
双胴で横揺れ少なく砲架が安定、作業甲板が広い
艫螺旋羽根で“外輪の弱み(波当たり・破損)”を避ける
胴間甲板に物資・砲・機関を集約、改修容易
【留意】
梁の歪み・ねじれ対策に鉄帯・斜材を増すこと
螺旋羽根の形(角度)試しを重ね、水の乱れ少なく押す形を探ること
機関据付は据座を厚く、振動逃がしを設けること
東洋はじっと聞き、最後に一言。
「――これを、浦ノ内で具にせよ」
昌造が横から口を添える。
「蘭館伝来の書にも、螺旋羽根の絵解きは載り申さぬ。あったとて角度までは書が教えませぬ。こたびは羽根を幾通りかこしらえ、実地の試しがよろしゅうござる」
「羽根の働きが損じ少ない形、ということじゃな」
藤兵衛がうなずく。
「水の流れがつかえぬよう、樋の内側も滑らかに……」
治郎兵衛は図の胴間梁を叩いた。
「いちばんの肝はここぜよ。梁の力負けは命取り。檜の三重梁の上から鉄の帯で巻き、さらに斜の筋交いを打つがじゃ。荷重はできるかぎり“中央床”に集め、胴の外板へ無理が行かんように差配せないかん」
昌造が笑う。
「土佐には良き檜があり申す。こがね釘や鉄帯は長崎にて手配いたす。こさえて、試す。試して、直す――それが肝要」
◆
浦ノ内湾の最奥。
海に向かって立つ鳴無神社の鳥居は、夕陽を浴びて朱く輝き、その背後の森は静かに波の音を包み込んでいた。
この日、舟渠竣工を祈願するため、吉田東洋、朝倉藤兵衛、淡輪治郎兵衛、そして本木昌造の四人が参詣していた。
社殿に進み、一同は玉砂利を踏みしめて拝殿に向かう。東洋が先んじて柏手を打ち、祈りを捧げた。
祈りを終えると、彼はふと振り返った。鳥居越しに海の中へと延びる参道。その先には向こう岸の小さな湾が見える。生い茂る梢に隠された場所には、建ち始めたばかりの舟渠があるはずだ。
「ここは山内家の祈願所、藩祖以来の縁深き社じゃ。この社殿を再建した二代藩主、忠義公が野中兼山を登用し、この浦を開かせたことは周知の通り。海の加護を祈る社の対岸にて船を造るいうがは………偶然とは思えん」
その言葉を向けられた治郎兵衛の胸は、大きく揺れた。
――淡輪家初代・四郎兵衛。総浦奉行として兼山に仕え、この地に深く関わった。その功績もむなしく、兼山失脚の余波で淡輪家は零落した。
己の祖先の影が、いま目の前で語られている。血が騒ぐように胸を打たれ、手のひらには知らぬ間に汗がにじんでいた。
東洋は静かに歩みを進め、社殿の前に立つ。しばし視線を注ぎ、やがて懐から黒塗りの矢立を取り出した。墨壺に筆を浸すと、携えていた設計図の余白に迷いなく筆を走らせる。
―――『鳴龍丸』
力強い筆致で記された三文字を見つめ、藤兵衛も治郎兵衛も息を呑んだ。
「鳴無とは、音なく世を護る神威を意味する。我らはここに潜み、新たなる蒸汽船を造る。……じゃが、ただ沈黙するがではない。今は浦の奥に潜みながらも、やがて時が来れば姿を現し、龍のごとく世を鳴らすことになろう」
(世を鳴らす……鳴龍丸。これこそ淡輪家再興のしるし、運命の名じゃ)
治郎兵衛は唇をかみしめ、心に誓った。
藤兵衛は筆が走り残した文字の輪郭に目を凝らし、心の底に熱が広がるのを覚えた。その三文字は、土佐の海に新しい息吹を与える符のようであった。
あたりはしんと静まり返り、山の緑も陽に煌めく海の緋色も、その名を刻む瞬間を映し出しているかのようであった。
その場にいた誰もが、やがて浦の静けさを破り、鳴龍丸が水面を押し分けて進み出す光景を、心の奥で描いていた。