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プロローグ 最後の楽園

この話は「最後の楽園 ORAZO」の外伝です。本編を先に読んでいただくと、より楽しめますので是非、読んでみて下さい。

なお、この世界はパラレルワールドであり、登場人物は史実とは同姓同名の別人です。また作者の歴史知識・時代考証はガバガバですので、各所の矛盾は大目に見てやって下さい。

「最後の楽園 ORAZO」https://ncode.syosetu.com/n7352kz/


 白い霧のとばりを抜けると、視界が一気に開けた。

 谷を覆い尽くしていた濃い霧は背後に退き、前方にはこの異世界オラゾの象徴とも言うべき光景が広がっていた。


 行李こうりを背負い、菅笠すげがさをかぶった行商人風の和装の男――藤兵衛とうべえは思わず立ち止まり、荒い息を整えながらその光景を見上げた。


 ――リオアンハール。

 日の昇る高み。その名の通り、天へと突き立つ白亜の高塔であった。

 塔はただの石造りではない。白亜の表面は呼吸するように淡く揺らぎ、時に乳白色、時に金色を帯び、霧を照らして輝いた。見上げれば、その頂は雲をも突き抜けており、地と天とを繋ぐ架け橋のようであった。塔の周囲を漂う風は、冷たさと温もりが奇妙に混ざり合い、異質の世界に立っていることを強く実感させる。


 荘厳さと同時に人智を超えた静謐さを備え、ただそこに立っているだけで訪れる者の心を震わせる。

 藤兵衛は刀の柄に無意識に手を置き、しばし目を細めた。


 オラゾに来て五年。人間ヴィード、クネード、二アール、イオネム、そして人に似て異なる幾多の種族と交わり、命を懸けた戦いと旅を重ねてきた。仲間を見送り、一人この地に残ることを選んだ孤独に苛まれた日々もあった。それでもなお歩み続け、ついに再びこの地へ辿り着いたのだ。


 かつて仲間たちが帰還を果たした時、彼らを見送りながら心のどこかで――自分にはまだ為すべきことがあると感じていた。だが、その答えを探し求めて三年の時を費やした。


 今日という日は、その選択が正しかったのか、己の魂を賭して問う日である。


 塔の基部へと近づくと、空気が張り詰めていく。霧を透かして差し込む光の中に、二つの影が立っていた。


 それは人の姿を模した管理官であった。男と女。オラゾの理を司り、帰還を望む者に最後の試練を課す存在。彼らの衣は大気と同化するかのように揺らぎ、顔には感情らしき色は乏しい。ただその眼差しだけが、深淵を覗くように強く、温かさと冷たさを同時に宿していた。


 先に口を開いたのは背の高い男である。

「この試練に挑むことを諦めた者が、再びここに戻ってきた例は極めて少ない。なぜだか分かるか」


 藤兵衛は答えず、ただ彼らを見据えた。己の鼓動がひときわ大きく響く。

 すると女の管理官が静かに続ける。

「滅びを恐れるが故だ。この“楽園”に数多のえにしを持ってしまった者はなおのこと。それを乗り越え、帰還を望む者は稀だ」

 その声音には、淡い憂いが混じっていた。


 オラゾで出会った仲間たち、交わした言葉、流した血。それらすべてが縁となり、この世界に留めようとする。人は過去を愛し、記憶に縛られる。だからこそ、帰還は困難なのだ。


 男が一歩進み、言葉を重ねた。

「――ようこそ、日の昇る高みリオアンハールへ。再び歓迎しよう。強き武士もののふよ」


 その言葉は試練を示す警告であると同時に、敬意をも含んでいた。


 藤兵衛の胸に熱が灯った。

 彼は菅笠を脱いで深く一礼し、己の決意を込めて答える。

「この命、ただ留まるためにあるにあらず。人の世へ戻り、我が道を切り拓くために、友との約束を果たすために、再び参った」


 管理官たちはそれ以上言葉を費やさなかった。ただ静かに道を開け、塔の内部への階段を示す。


 ――忘却の審判レザ・シンブク

 禍の記憶バラ・クーヴァを幻視し、己の記憶と滅びを見極める試練。成功すれば元の世界に帰還できるが、失敗すれば永遠に魂の牢獄エレギアに堕ちる。


 白亜の石段を登る足取りは、鉛を抱えたように重い。だが彼の脳裏に浮かぶ顔は数えきれぬほどであった。


 永遠の戦いの中で己の死地を探す、クネードの戦士ウドゥンの猛き瞳。

 自らの世界を滅ぼし、贖罪の道を求めた二アールの科学者シギの潰えた三つの眼。


 ――そして、同じ日ノ本、はるか先の世から来た若者たちの面影。


 無頓着に見えながらも、いつも人の心を救おうと笑っていた楽助の顔。

 不器用で真っ直ぐに己を律し、厳しさの裏に仲間への情を隠していた貴彦の横顔。

 記憶を失ってなお小さな希望を託すように、かすかに微笑んだリオンの表情。


 そして、旅の中で出会い、己を友と認めてくれた数多の異種族たちの声。

 その一つ一つが足を重くし、胸を締め付ける。


 だが彼は立ち止まらなかった。

 ――滅びを恐れる心は確かにある。だが、それを背負ってこそ前に進むのだ。


 やがて白い光の間に辿り着く。

 塔の中心に浮かぶ結晶――バラ・クーヴァが脈動していた。水晶のようでありながら、あらゆる色に輝きを変え、生き物の心臓のように鼓動を刻む。その輝きはまるで、彼自身の記憶の総体であるかのようだった。


 藤兵衛は静かに刀を鞘から抜き、膝をつき、目を閉じる。


 意識が光に吸い込まれていく。


 ――幻視が始まった。

 焼け落ちる村、絶叫する人々、己の刃が斬り伏せた怪物の影。戦友の背、失われた命、誰もが帰ることを願いながら果たせなかった現実。苦しみと悔恨が押し寄せ、心を抉る。血の匂いと灰の煙までが肌にまとわりつく。


 「おまえは何者だ」


 虚空から声が響く。低く、重く、魂を試すかのように。


 「この世界に縁を持ちながら、それを捨てて帰る資格があるのか」


 藤兵衛は立ち尽くす。足元は闇、頭上は紅蓮。炎が天を裂き、黒き影が彼を呑み込もうと蠢く。


「わしは何者でもない。ただの人に過ぎぬ」

 彼は胸に手を当て、静かに答えた。


「だが、異なる世で学び、見、知ったものを、土佐に、元の人の世に返す。――そして遺すのだ。遥か先の世に待つ”仲間”のもとへ。時を超えて輝く光を」


 その言葉は、己への誓いであり、オラゾに残る者たちへの別れでもあった。


 声は消え、闇が崩れ、光が差し込む。

 無数の縁が絡みつき、彼を留めようとする。

 だが彼は刀を納め、光の中へと一歩を踏み出した。


 白光が全身を包み込む。

 重さも、痛みも、記憶の残滓さえも、すべてが薄れていく。

 最後に藤兵衛はひとつ息を吐き、静かに目を閉じた。


 ――その身は光となり、うつつの世界へと溶けていった。


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