宇文護のアフタヌーンティー
565年、北周。
武帝・宇文邕が治めていたこの国は皇帝とは名ばかりなもので、実権は依然その従兄弟で太師の位にある宇文護が握っていた。
宇文護の権勢は増すばかりだが、彼の手腕によって不倶戴天の敵である北斉と国力を逆転させて、その高い能力を持って良く治めていた。
「陛下。此度の大豪雨で臨州・信州は甚大な被害を被り、臨州総官の何箬は朝廷への報告を怠った上にあろうことか隠蔽まで図る始末。それに比べ私が指揮官として送った李玉开,哥舒唐,杨玄は見事3カ月足らずで事態を収拾させました。そこで何箬はその任を解き、その3名は功に報い李玉開を小司馬、哥舒唐,杨玄を驃騎大将軍に任ずるべきかと。いかがかな?」
「太師と朕はいかなる時も一心同体。太師の勧めとあらばそのようにいたそう。」
「聞こえたか?任命された3名は前に出て謝辞を。」
「陛下の御恩に感謝いたします。陛下万歳万歳万万歳」
「太師はまた部下を昇進させ、陛下の老臣を退けたな。」
「何殿は陛下が即位なさる前からの臣下で事あるごとに陛下が相談なさる知己でもあられた。この災害に乗じて上手く排除されたゆえ、これでますます陛下は追い詰められてしまったな。」
「陛下は後何年皇位にあられるだろうか……。」
「もって3年だろうな。太師は狙いを外さないお方だ。」
内憂外患、様々な問題を飲まず食わずで処理し続けて夜明けから始まった朝議を終え、都の晋国公府に護が戻ったのは申の刻を過ぎてからの事だった。
普段ならば昼餉もとっくに終えている時刻ではあるが、国事をその一身に担う護にとって用意された羹一つをとっても食欲をそそられず側仕えのものにすべて下げさせてしまう有り様。
次から次へと処理すべき奏上を思うとさすがの万事卒なくこなしてきたこの太師であってもため息が止まらなかったのである。
「ふぅ……。こうも仕事に忙殺されると、庭の景色一つ見られずに季節がまた一つ終わっていくな……。」
「主上、失礼いたします。」
「入れ」
ぼーっと過ごしているところに、彼の幼少期から付き従う侍従が盆に小高く盛られた甜点と飲み物を持って入ってくる。
護はそれを一瞥するといらないというかのように目を細めるが、机の上に置かれるとたちまち表情を緩めた。
「……*¹饆饠か。」
「さすが主上はお目が高い。厨師のものに最高級の小麦粉を使い揚げさせ、中の餡は西域から取り寄せた香辛料で炒めた羊肉を詰めさせました。脂は脂で落とせといいます。飲み物の酸奶汁で召し上がった後の口の中も爽快かと。昼餉も取れぬまま公務の続きをされては身体が持ちませぬ。どうか一口でもお召し上がりください。」
饆饠……。酸奶汁……。名は同じであれ記憶の中にあるものとは正反対の甜点,その時の記憶の中で飲んだものとは対となり比較されてきた飲み物。
言いようのない虚しさが宇文護を襲った。
「饆饠と酸奶汁で昔を思い出した……。かつてかように疲れ切っていた時に阿萌も私に饆饠と飲み物を作ってここに持ってきた事がある。」
「夫人の作る甜点や料理は天下一品でした。私が持ってきた厨房のものが作るものとは比べようもございませぬな。」
「阿萌はその時甘い饆饠と茶を持ってきたのだ。饆饠は蒸して柔らかい皮に、その時旬であった櫻桃の砂糖煮を詰めていたものでな。水果を砂糖で煮詰めさせてあの者に敵うものは確かに今でもおらぬ。」
「夫人は主上と公子や女公子のために自らの部屋に厨房も置かれておりましたからね。しかも茶でございますか?前朝の郡主であられた夫人にしては珍しい。」
「ふっ。*²孝文帝と祖を同じくしているにしては、かの*³王粛や劉鎬のごとく江南の食物も愛していたからな。もう逝ってしまってから5年が経つのか。好奇心旺盛で可愛いらしい女子だった……。」
護はそう呟くと愛した妻に会いに行くかのごとく、記憶の渦の中に身を委ねるのだった。
時は遡る事557年6月。
西魏・恭帝を禅譲させ北周を立てはや半年。この短い間に叔父・宇文泰の遺詔を元に、柱国大将軍・万紐于謹の助力を得ながら支持を集め、自分に不満を持つ元勲の独孤信と趙貴を退け政局の安定に苦心してきた。それにもかかわらず天王に据えた従兄弟の宇文覚はあろうことか自分に歯向かい、亡き者にしようとしている……。
「ぐふっかごほっッッッ……はぁ……。近頃は咳が止まらずかなわんな……。」
「阿護!!!」
あまりの疲労感から自室でただ目を瞑り、物思いにふけることもなくただ虚空をさまよっていた時、気付かぬうちに眠ってしまったのだろうか。ふと名前を呼ばれて愛しい妻がいるのにやっと気付いたようだった。
「……阿萌。そなたは私に断りもなくこの部屋に入るのが好きだな。」
「そりゃああなたの部屋も私の家ですので。自分の部屋は居心地が良いので入って休みたくなるものでしょう?」
「そうだな。居心地が悪ければ自分の部屋とは言えぬからな。」
いたずらそうにニヤリと笑いながら「そういうことです〜。」と言いながら妻は何やら持ってきた菓子を護の前に広げ出す。
清河郡主、元萌。晋国公夫人で傍流だが前朝の皇族でもあった彼女は、宇文泰に宇文護を紹介され嫁いで今に至る。宇文泰が親族に元氏を娶らせて宇文家の地位を更に盤石にさせるための政略結婚だったとはいえ、なぜか夫人は宇文護を見たことがあり密かに心を寄せていたらしい。
宇文護も宇文護で初めて夫人と顔合わせをした日に一目惚れし、二人は晴れて両想いのまま夫婦になった。
「最近あなたが咳をしっきりなのは屋敷中の皆が知るところですわ?そこで咳止めにもなって、甘くて美味しい甜点を作ってまいりましたわ。もちろん仕事に響かないように眠気覚ましの茶とともにね!今日の甜点も口に合うといいのだけれど。」
「そなたがつくるものはなんだって食べるぞ。……ゲテモノでない限りはな。それで?その白い甜点は何だ?」
「饆饠ですわ。生地は粉を練って、その中に櫻桃を煮詰めたものを入れて包み、蒸し上げましたの。モチモチしていてあなた好みかと。*⁴櫻桃は咳止めですから、そのうるさくて周りの者が夜しか寝られない音のする酷い咳も治せる一石二鳥の甜点です。」
「そなたそれは充分に寝れていると言うんだぞ。そんなに私の咳は酷くないようだな。にしてもうまそうだ。」
「飲み物は眠気覚ましにもなる茶です。饆饠の甘酸っぱさに合うように少し濃い目に淹れましたから、この後の仕事も頭が冴えて眠気も来ないはずです。しかも散茶ですから香り高さもひとしおです。」
宇文護が軽く1つ饆饠を手に取り、口に入れる。その瞬間甘酸っぱさが口の中を駆け巡り生地の甘さがまろやかに溶けていく。
続いて茶を啜ると口に残った甘さはさわやかに流れ、やがて心地よい渋みと苦さに包まれた。
「うん。美味い。そなたの作る甜点は甜点だけで勝負しておらず、付け合わせる飲み物との相性も考えられていてそれも含めての甜点といった感じだから好きだ。」
「お褒め頂き、感謝致します。」
「このところ乳汁を飲む事が多かった、どころか乳汁しか飲んでいなかったゆえ余計に茶が美味い。」
「茶は*⁵酪奴と呼ばれど侮ることなかれ。淹れ方を丁寧にすれば飲む者をたちまち魅了する飲み物ですから。孝文帝に遠慮した王粛も茶は酪奴にならずというほどです。(というかそう言ってるのに当てこすって酪奴も出すから宴会へって言ったり、茶を飲んでる劉鎬をからかった彭城王がイケズなのですよ……。)」
「何かすごい不満が聞こえた気がするがまぁよい。確かに私も茶は酪奴ではなく、苦味と爽やかさをたたえた気品のある飲み物だと思う。こうしてそなたと共に茶を飲み、甜点を食す茶席は*⁶水厄ならず水益だな。」
「益といえば、私はあなたに甜点を作って、それを食べているあなたを見ているときが一番心が安らぎます。嫁いだ頃と変わらずあなたは美味しいと言って食べてくれて、ほころんだ顔になる。なので私もあなたも更に老けて共白髪になってもかならず私の作る甜点を召し上がってくださいね。」
「あぁ。夫人の仰せのとおりに!死が二人を分かつまでそなたには私の甜点や料理を作ってもらおうか。ほらもっと近くに来い。饆饠を食べさせてやる。」
待ってました!言わんばかりに笑顔を見せながら彼女は宇文護の胸の中に飛び込むと口元まで来た畢羅を嬉しそうに口に含む。
その光景は幸せそのものであり、寄り添って実る櫻桃の実のような良縁の幸せが広がっていた。
幸せだった記憶の渦から目覚めた時、そこにはもう妻はおらずただあるのは揚げられた饆饠と酸酪汁のみであった。
甘酸っぱいとは似ても似つかない、香辛料の香り高さは確かに華やかだ。だが彼女の饆饠ではない。
王粛は北魏に亡命して間もない頃、北朝特有の肉や酪を使った食べ物や汁は食べられず、その食事は故郷の江南のごとく魚や茶を好んでいたらしい。
だが時を経て彼も変わり、北朝に食事までも順応して肉を食べ酪を飲むようになった。
変わらない人間はいない。
もちろん宇文護も元萌も鮮卑族の出身であり、スタンダードな食事は肉に酪の北方的なものではあるが、それでも二人が共にいた時は北方・南方限らず様々なものを2人で食べ、楽しんでいた。
それが彼女を亡くしてからは以前ほど食事の幅はなくなった。
彼女はもうおらず、自分の目の前に残ったのはこの点心のみ。
せめて彼女がこれを作って食べさせていてくれたなら。
その時の記憶がこの寂しさや虚しさから救ってくれたことだろうか。それでも。
「食べる。」
疲労しきった体のまま何も食べずにいるのも、ましてや虚しさにとらわれ無気力でいるのも妻は望まないだろう。
宇文護が口に運ぶと侍従は心の底からホッとしたような表情になった。
ある程度食べ終え、飲み物も飲んで侍従を下がらせた。
窓辺に座り、かつて妻とも眺めた中庭を眺める。
「阿萌、そなたは天堂に行ってもなお甜点などを作り、それに見合う飲み物を淹れておるのか?」
ふわりとした風が、そうだと言わんばかりに彼の頬を愛おしそうに優しく撫でながら部屋の中に向かって吹いていった。
「聞いてくれたか……。阿萌、私もそなたのそばに行く日が来たならどうか私とそなたの好物を作って待っていてくれ……。」
満足そうにそうつぶやくと、またもや目を瞑り今度こそはリラックスしてその喜びに浸るのだった。
そんな時、先ほどの侍従が慌てた様子で部屋に舞い戻ってきた。
「主上!ご報告致します。突厥へ送った大使から今しがた文が届きました。木汗可汗は我々の使者を捕らえていましたが解放し、公主を北周に嫁がせることに決めたようです。」
「わかった。この朗報は私が今から宮殿に行って聖下に伝えてこよう。」
酉の正刻。宇文護はそれまでの甘くくすぐったい満足感を隠し、今日も北周の太師として政務に向かうのだった。
終
*1 唐代〜宋代によく食べられたお菓子。南北朝時代の「玉篇」には小麦粉を用い、中に餡を詰めたものと書かれている。唐代の史料には明確には揚げるとしか書かれていないが、「唐代詭事録」には蒸したさくらんぼの畢羅が登場する。
*2 北魏の第6代皇帝。鮮卑族の国だった北魏において漢化政策を取り都も平城から洛陽へ移し、胡服を廃止して漢服にしたり姓も鮮卑名から漢姓に改めた(例:拓跋氏→元氏)
……のだが、食事スタイルはなかなか漢化できなかった模様。
*3 南朝斉の武帝に仕えていたが、父兄を殺されて北魏に亡命しその後功を立てて開府儀同三司の位を賜った。
*4 さくらんぼが咳止めとして使われ始めたのこの後の唐代からである。
*5 茶の別名。ある日の宴でそれまで北方の食べ物を余り食べなかった王粛がガツガツと食べて飲んでる様を孝文帝が訝しんで、彼に中国の食べ物の中で肉と魚、茶と酪漿を比べた時どうだ?と聞いた故事から付けられた。この時王粛は肉と魚はどちらも貴重であるが肉は大国、魚は小国のようだが茶は酪奴にならずと答えたところを彭城王がならば宴にご招待しましょう、酪奴も用意します!とからかった。
(ここの王粛の発言には解釈には諸説あり。研究者によっては茶は酪の奴隷にもなれない、と言ったと解釈している場合もある。)
なお劉鎬は王粛を敬慕し、茶を飲んだりしていたらしい。(それも彭城王が彼の喫茶を嘲っている。)
*6 彭城王はもちろん20年後に権勢を誇った元義が使用した喫茶へのあだ名だが、東晋時代からすでにあった模様。
この時代の茶は餅茶と言って、茶葉を押し固めた物が主流だったらしい。
参考文献 関剣平 「魏晋南北朝における喫茶の文化」