潔癖
12時3分。
ヘーゼルは助手席に座り、砂利道に揺られていた。目が回りだし、いつの間にかルディ・ハプニングが運転する車に詰められていたのだ。運転席には怒り肩で、顔を顰めて運転するルディ。後部座席には、ピップがシートベルトも閉めずに座席を膝立ちでウロウロしていた。
「頼むから大人しくしろ!」
ルディが目線を前に向けたまま、後ろに呼びかける。
ヘーゼルは心地よい車の揺れを感じながら、重たい瞼を必死にこじ開けようともがく。目的地に着くまでの時間が一瞬に感じたのは、もがいた時間が無意味に終わったという証拠だ。
数十分前。
マットレスを外に「ゴミ」として捨てた。ゲストハウスの裏口に立てかけられたマットレス。くたびれた様子で、裏口の冷たく暗い空気の中、ポツンと取り残されている。ヘーゼルはなんとなくそれが気に入らなかった。
裏口から出たゲストハウスの庭は薄暗く、蜘蛛の巣が支配している王国だった。日は当たらない肌寒い空間。冷たいげっそりとした換気口が3つ。石畳の3段の階段を下り、日陰で湿った土を踏んで先頭のルディに続いた。
ルディはゲストハウスの裏の駐車場に歩いて行く。時折、ヘーゼルとピップがしっかり付いて来ているのかを確認し、後ろを振り向く。その度ヘーゼルは緊張した。存在をジャッチされている様に感じたからだ。ピップはフラフラと寄り道を繰り返したが、決して遅れをとることはなかった。ピップは周囲への観察力が鋭かったから。
へーゼルは歩きながらぼんやりと周りの木々に目をやった。木と木の間に細長い影が見えた気がした。水色のニット帽を被った誰かだった。ニット帽の誰かは、すぐに木の影に隠れる。ヘーゼルは特に何も感じずに、視界の隅へ追いやった。
「乗れ」
ルディがそう言って車の鍵を開ける。これまた真っ赤な車だ。ツードアのレトロな車。きっと彼なりのこだわりがあるのだろう。しかし、ヘーゼルは車に詳しくない。その上そこまで興味もなく、ヘーゼルは車の話題で会話を広げることを諦めた。
ヘーゼルは助手席、ピップは後部座席へと座る。ルディは運転席で大きくため息をついた。ヘーゼルは他人をイメージで決めつけて偏見を持つことに対して、いつでも細心の注意を払っていた。それがたとえ誰かに話さない些細なことだとしても、ヘーゼルは嫌だった。1度脳みそで「この人はこう」と決めつけたら、次見かけた時にはそれしか頭に残らないからだ。しかし、人間の脳みそは「詳しく知らない人間」に対して特に偏見やイメージを持ちやすい。今まさにルディに対し、ヘーゼルの脳みそは「絶対運転荒い」の危険信号でいっぱいだった。
「ったく…、ベンのやつから返信が来ない」
ルディが携帯と喧嘩しながら言う。
「寝てるんじゃない?」
ピップのガラスの様な声が後部座席から聞こえた。ヘーゼルはこの「ベン」について何も知らないため、どこか疎外感と孤独を感じていた。幸いにも、その両方に慣れっこだった。
「あいつに限ってそれは無い」
ルディはそう断言し、スマホを膝の上に落とした。車のエンジンがかかる。
車について詳しく無いヘーゼルだが、この車がマニュアル車だと言うことは分かっていた。複雑な操作に目を回され、ヘーゼルの視線は窓の外に移った。
予想とは裏腹に、ルディの運転は普通だった。やはりイメージでの決めつけはよくない。ヘーゼルはなんとなく脳内で自分を殴った。
ルディはちゃんと整備のされていない細い砂利道を慎重に走る。時折対向車に出会し、舌打ちしながら後退するルディ。この細い道はちっとも一方通行になどなっていなくて、ドライバーの譲り合いで成り立っていた。ヘーゼルは胃が少しオゾオゾした。
ヘーゼルの意識が睡魔に襲われるのはしょっちゅうで、助手席で窓にもたれながら眠りに落ちた。ルディは相変わらず人生の何もかもに苛立った様子で運転を続け、ピップは息で曇らせた窓に指で絵を描いていた。
「眠っちゃったね」
ピップがヘーゼルの席の後ろに回って言った。
「あぁ」
ルディが相槌する。聞いているのかは微妙だった。
「疲れてるのかな」
ピップが質問を重ねる。
「さぁな」
ルディは左へウィンカーを出した後、徐行した。
「こいつと知り合いなのか?」
ルディは左折しながら聞く。車体が右に傾く。
「スタンに挨拶しに行ったら、スタンの上で眠ってたの」
ルディが少し笑った。鼻で。
「ルディは何してたの?」
話題が自分の事になったことで、ルディの顔から笑顔が消えた。
「今日移住者が来るってアガサに言われたんだ。だが時間になっても来なくて、俺に押し付けて行っちまった」
「どこに行ったの?」
ルディはため息をついた。誰にも聞こえない様な、聞かせない小さなため息。
「町内会だ、メリーもそこにいる」
ピップはあまり知らない世界の話をされて黙った。会話を諦めたわけではなく、考えているのだ。
「町内会って何してるの?」
ピップの純粋無垢な質問に、ルディはなんとも言えない気持ちを抱えた。
「…街のこれからとか、大人が抱えなきゃいけない問題だよ」
ピップはまたも黙った。大人の子供に対する扱いについて、自分なりに結論を見出そうとしていたからだ。
「アップルターンの人口が今年で半分になったのって本当?」
ルディは少し頭が回らなかった。ピップはきっと大人たちの話を耳にしたのだろう。断片的に得た情報をただ口に出しているだけ。ルディは自分にそう言い聞かせた。
「人がいなけりゃ広々するな」
ルディの苦しい返答に、ピップは何も言わなかった。信号で停止したルディの車だけが道路にいる。そのたった数十秒がルディには苦しかった。
「それより、こいつ起こしてくれ。もう着く」
ルディがヘーゼルに軽く目をやる。だらしなくシートに沈みかけるヘーゼル。目は虚で、少し開いている。いびきは全くかいていないが、その分息をしているのか怪しいくらい無音だった。ルディは内心「死んだか」と少しゾッとした。
「起こさなきゃダメ?」
ピップが後部座席からヘーゼルの顔を覗き込んだ。
「ぐっすり眠ってるよ」
「だから起こせ、あと3分で着くんだ」
ピップはなんとなくルディとヘーゼルの顔を交互に見た。ピップの起こす気のない様子に、ルディは渋々大きく息を吸った。
「起きろ!!!!!!!!!!!!!」
車内にルディの声が反響する。ヘーゼルが目をチカチカさせながら起きる。大きな石を踏んだのか、ルディの声のせいなのか、車は大きく跳ねた。
ベンのマットレス専門店。だだっ広い駐車場に、ぽつんとある街灯と看板。その奥の店。何もかもがアンバランスだった。ルディは1番入り口に近い場所に車を停めた。そのまま肩を回して車を降りる。ヘーゼルとピップも、それに合わせて車を降りた。
「ホーソーンのマットレス」。そう書かれた看板はやけに精密で、正確で、小綺麗だった。あたり一面は相変わらずの木なのに、この建物だけが異質に磨かれた雰囲気。冷たい風がヘーゼルの髪の間を通る。ヘーゼルは顔に張り付いた髪を振り払った。
「クソッ、閉めてやがる」
ルディが入り口の張り紙を見ながら言った。「本日休業」の一言。
ルディは相変わらず苛立った様子で、車のトランクからガサゴソと探し物を始めた。ヘーゼルの欠伸には誰も気が付いていない。
「あった」
ルディはそう言うなりトランクを閉め、ガニ股でズカズカと扉前へ戻る。手に持っていたのは鍵。大量の。小さく「緊急用」と書いてある鍵を差し込み、ドアを押しこくった。
ヘーゼルの目には彼が犯罪をしている様にしか映らなかった。ピップは慣れているかの様に、当たり前にルディについて行く。この状況では、ヘーゼルは同じことをする他なかった。
店内は薄暗いと思われていた。しかし、休業中にしては明るく、清潔。白い蛍光灯が煌々と白いシーツを照らす。目が痛いほどに眩しい照明。やたら大きなサイズのドアマット。入り口付近には四台の消毒液。「必ず消毒して!」というメモと、存在感の強い赤の矢印付き。ヘーゼル達は消毒液を無視して店内へ入った。
「ベン!!!!!!!!」
ルディが店内に呼びかける。ありふれた家具屋。それがヘーゼルの感想だった。しかし普通の家具屋と違うのは、置いてあるものが全てマットレスということ。全ての展示用ベッドには、「お試しする際にはスタッフにお声がけください。」としつこいくらいの張り紙。ヘーゼルとピップは、その張り紙のあるベッドに容赦なく腰掛けた。
「ベーーーーーーン!!!!!!」
ルディの声が白い壁に反響する。よく通る声だと、ヘーゼルは感心した。ヘーゼルの声は真逆で、ノイズに取り込まれがちだから。
ピップがベッドに寝転ぶ。白いシーツの上に2つの三つ編みが広がる。
「ベンってどんな人?」
ヘーゼルはピップに聞いた。
「いい人だよ。ゲストハウスの掃除をよくしてくれるの」
ピップが言った。
「ベーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!」
ルディの大声に耳が破裂しかけたヘーゼル。ルディはスタッフルームに向かって怒鳴っていた。7秒後、スタッフルームの扉が開いた。
「なんだよ!!!!!?????」
ルディと同じくらい大声での返答。しかし、彼の声には困惑と拒絶と恐怖心が混ざっていた。彼がベンジャミン・ホーソーン、通称「ベン」だった。
「みっけ」
ルディが大声を出した喉を労わる様に咳払いする。出てきた男は黒髪を顎の位置まで伸ばし、青のダウンジャケットを着ていた。アジア系の顔つき、手元は水色のゴム手袋だろうか。手を動かすたびにゴム手袋が擦れて、ゴム特有の高い音が鳴る。ヘーゼルは人をジロジロ見るのが苦手だった為、曖昧な観察だった。
「彼がベンだよ」
ピップがそう言ってベッドに膝立ちになる。それを見てしまったベン。目を見開き、顔が引き攣る。ピップとヘーゼルの横には、あの張り紙。ベンの左目が痙攣した。
「張り紙、読んだ?」
ピップに聞いたベン。無言のまま頷くピップ。ベンは大きく深呼吸をした後、「あとで消毒すれば平気…」と3回ほど自分に言い聞かせた。癖なのか、両手を握って摩っている。その動きのせいでまた、ゴム手袋が鳴る。ヘーゼルはなんとなくベッドから降りた。
「え、誰」
ベッドから降りた音でベンの目線がヘーゼルに向く。ベンの言い方は別に冷たくはなかったが、ヘーゼルは恐怖心から言葉を探した。
「ヘーゼルです、はじめまして」
「…はじめまして」
ベンは上の空で返した。思考はグルグル動いていたが、対応だけは柔軟にこなす。
「ゲストハウスに今日から住むんだって」
ピップがベッドに乗ったまま言う。ベンの顔がまた引き攣った。
「へぇ、で、わざわざ挨拶しに?」
ベンがヘーゼルをじっと見る。ヘーゼルの顔は疲労からか眠気からか焦点が合っておらず、目線はウロウロしていた。
「挨拶だけで来るわけないだろ。マットレスがいるから取りに来ただけだ」
ルディの言葉にベンはわざとらしい程の笑顔を浮かべた。
「わぁ、そうなんだ。マットレス関係で訪ねて来たんだね。そっかそっか。じゃあ入り口の張り紙、見えなかった?」
ルディ、ヘーゼル、ピップの脳内に浮かぶ「本日休業」の張り紙。3人はしばらく黙った後、お互いに顔を見合わせた。ベンは「死ぬほど呆れた」とでも言う様にため息をついて、手を擦りゴム手袋を鳴らした。




