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到着

バスを降り、駅の中のバス停前に立った瞬間、ヘーゼルが感じたのは疲労感と街の冷気で、旅の感動なんて大してありはしなかった。長時間座席に拘束されていた体はあちこちで悲鳴をあげ、伸びる度に骨は何度も同じように音を鳴らした。アップルターンの寒い空気は、ヘーゼルの焦茶色のアウターを真顔で貫通し通り抜けた。

アップルターンの駅はこぢんまりとしていながらも、意外と売店や施設は充実している。ヘーゼルのこの街への期待値が底無しに低く、殺伐とした戦争地帯を思い浮かべていたおかげかもしれない。

静かで人の少ない駅。人の目がないことでヘーゼルは妙に安心感を覚えた。近くに小川があるのか、聞こえるのはか細い水音と木の葉が揺れる音だけ。精神科待合室のモニターで流れる「癒し効果」をうたう映像並みの自然で溢れ、破裂しそうだ。人の喋り声も物音も聞こえなかった、本当に。ヘーゼルは少し心が安らいだ気がして、石畳を進む。この音は確かに、精神的にいいのかもしれない。スピーカーで聴く音なんかよりずっと。この街に来た価値があるかはまだ断言できないが、ヘーゼルには、もしかしたら、希望がありそうだった。歩みを進める度にスーツケースが石畳の凹凸とぶつかり、ゴロゴロと、そこそこの雑音を立てた。小川の水音と木々の声はヘーゼルの耳から遠のいた。ヘーゼルの少し安らいだはずの精神はバスを降りる前と同じ状態に戻った。


売店に目をやる。ヘーゼルがスーツケースを引く様子が窓に反射する。その鏡合わせの自分の奥を見ようと、ヘーゼルは目を凝らした。店の中は薄暗く、ぱっと見、人はいない。レジにはいると思うが、外からではあまり見えない。やたら重い押し戸を背中で押しこんで開けた。普通なら2.5秒で開くドアだが、スーツケースと肩掛けバッグと疲労感を装備しているヘーゼルは5秒ほどかかった。ドアが開き、スーツケースも中に入れようと引っ張るが、ドアの段差で引っかかり、またも一苦労だった。やっとの思いで店に入ったヘーゼル。スーツケースが店に入るまでも合わせると、8秒かかった。

店内は外から見た通り薄暗く、太陽からの光のシェアで照らされていた。古びた商品棚を通り過ぎ見渡すと、壁に張り紙。「節電のため、店内消灯中」と。

売り場は簡単な飲料水、軽食、傘や薬などの日用品。そして、きっと売れずにヒビが入ったりんごのキャラクターグッズ。陽気に見せる笑顔のキャラクターに若干の嫌悪を抱く。しかし、この規模の施設、この街の人口密度にしては十分すぎる店だ。薄汚いとは言えど、大抵のものは買えるはず。昨日の夜から何も食べていなかったヘーゼルは、おそらく「観光客」向けであろう洒落た袋詰めのアップルパイを手に取り、レジに向かった。食べたかった訳じゃない。安かったのだ。

「いらっしゃっせー」

店員のやる気のない声はどこも共通なのかと、ヘーゼルは感心した。

レジはこれまたこぢんまりとしていて、レジの店員はどこか見覚えのある男だった。レジカウンターを人差し指で、慣れない手つきでいじる姿をまじまじと見てしまったせいか、彼もヘーゼルを見た。

「バイトっす。バスも」

彼は先程のバスの運転手だった。レジ店員兼バス運転手はそう言ってレジとの格闘に戻る。ヘーゼルはなにも言わず、浅く少しゆっくり頷いた。ヘーゼルは何も考えないようにした。

何度か操作を間違えたのか、舌打ち寸前な顔でレジと睨み合う店員。「客の前」という状況で、彼の中の数少ない理性が平和を保っていた。数秒後、無事に会計は終わった。電子マネーで支払ったのでお釣りは出なかった。その代わり、彼はデジタル通貨の種類の多さに手こずっているようだった。

袋詰めされたアップルパイをヘーゼルが受け取ると、店員は言った。

「この街って、別にりんごが特産品ってわけじゃないですから、そんな美味しくないっすよ」

そう言って、栗色の巻毛をわしゃわしゃ掻いた。彼は欠伸をして、元々目つきの悪い目がさらに悪くなった。

「あっさっしたー」

もはや原型のない挨拶を背にして、ヘーゼルは薄暗い売店を出た。暗がりのせいで太陽に目が眩み、眩暈がした。

店員の言う通り、アップルパイはさほど美味しくはなく、2口で飽きた。ヘーゼルは心の中で彼のことを「ブキミくん」と名付けた。


滞在先のゲストハウスである「アップルハウス」に着くまで、駅から徒歩20分。タクシーなんてありはしないので、歩く他なかった。ヘーゼルはスマホのナビを立ち上げ、ナビ通りの道を進んでいた。駅からしばらくは歩道と道路さえあるものの、木々に囲まれた道で、周りには街灯のみ。途中、あのりんご型の湖まであと何キロかの看板が出ていたが、ゲストハウスとは別方向だったのでヘーゼルは無視した。一刻も早くこのクソ重いスーツケースとおさらばしたかったから。

ヘーゼルは思いつきでバッグからビデオカメラを取り出した。先ほどの看板や木々を映す。葉の揺れる音、風が吹きカメラのマイクに鈍く当たる音が録れた。アップルターンまであと17分。

次第に建物が見えて来て、またもビデオカメラを構えた。住宅地。度々人が住んでいるとは思えないようなボロ家もあった。大抵の家の柵は高く、通路は狭かった。左右に生えている背の高い木々の影が通路を包み、冷たい空気とグルなのか、死ぬほど肌寒かった。実際、死んだだろう。

通路は車1台分しか通れない幅だ。対向車が来た場合、どちらかがバックで戻る羽目になるだろう。しかし、きっとうまく一通になっている。道を作る人はそこまで大馬鹿者じゃない。と、ヘーゼルは願った。

何度も曲がり角や小さい交差点に直面し、その度にナビを確認していたヘーゼル。次第に道路は完全な砂利道となり、足がもつれそうだ。スーツケースは砂利道に足跡を付け、ガタガタと騒がしい。景色は塀と木々の一定で、同じような景色が続いた。正直、「同じところをグルグル回ってるぞ」と今天使が出てきて言われても全然信じる。今はナビだけが頼りだった。しかし、バスの中で父、バジル・グリーンとのくだらないメールが効いたのか、音楽を聴きながらスマホをいじったせいか、それともモバイルバッテリーの充電を忘れたせいか、凍えているヘーゼルより先に、ヘーゼルのスマホは、死んだ。

「…」

ヘーゼルの脳内ではフランツ・シューベルトの弦楽四重奏曲第14番、「死と乙女」が音割れするほど流れ出した。心なしか、父、バジル・グリーンがせせら笑っている気がする。ナビがなければゲストハウスには辿り着けない。この住宅街迷路から抜け出す方法は無い。終わった。ここで死ぬのか。ヘーゼルは悟った。

先ほどのナビの画面を思い出せるだけ書き出すことにしたヘーゼル。記憶が逃げないようにと、少し焦ったせいか、ペンのキャップを落としそうになり、ヘーゼルの両手の中で荒ぶる。ノートなんて持ち歩いてないから、バッグの底に眠るいつかのクシャクシャレシートを取り出す。その場に座り込んで、膝の上でレシートの皺を可能な限り伸ばした。ざっくりと道を思い出すヘーゼル。しかし、書き出せたのは余計迷子になりそうな四角の集合体だった。

「…はは」

乾いた笑いが自然と出たヘーゼル。本格的に死を覚悟した。死ぬか、生きるか。この場合の「生きる」は、枝とどんぐりを集めて春まで冬眠するという意味だ。

住宅街をふらふらと進むヘーゼル。その間、薄いピンクの豪華な別荘や、古く小さいヴァイオリン教室、「フィオナ’s書店」という閉まった小さい本屋を通り過ぎた。随分と遠くに来てしまったようで、小川の音がする。ヘーゼルは道を外れて河岸に立った。小さな河岸にはまちまちな大きさの石。いや、岩?そして周りを取り囲む相変わらずの木。今日で何千本の木を見たのだろうか。ヘーゼルは変に折れ曲がった椅子のような木に腰掛けた。ずっと歩いていたからか、座った瞬間の疲労感。これはしばらく立てなそうだ。背もたれ付きの贅沢な木だからか、次第に瞼がシャットダウンする。脳にモヤがかかる。閉じられる視界と体の感覚をよそに、ヘーゼルの理性は「ここで死ぬのか、オッケー」と冷静に眠気について行った。この慢性的な睡魔はヘーゼルにとって珍しいことじゃない。「ナルコレプシー」。ヘーゼルはここ何年もこの睡眠障害と共に過ごし、生きて来た。もうそろそろ「相棒」と呼び合える仲だろう。さよならアップルターン。さよなら小川。さよなら自律神経。ヘーゼルは木々と冷たい空気に見守られ眠りについた。


あれから1時間ほど経った。空気の冷たさに耐えきれず、自然と目が醒めざるを得なかったヘーゼル。寒い。木のせいで体も痛い。おまけに迷子。スマホは死体。叫んでやろうか。ヘーゼルは渋々木に座り直し、意識をはっきりさせようと伸びをした。伸びても伸び切らないせいか、余計に疲労感が増した。これから真面目にどうするべきか。一番手っ取り早いのは、この辺の家のチャイムを片っ端から鳴らして「アップルハウスはどこですか」と聞いて回る方法だ。9歳のハロウィーンでトリックオアトリートをした時以来の行動力。なるべく避けたいが、ヘーゼルはこれしか思いつかなかった。木に座ったまま動きたく無い。何がリトリート療法だ。ヘーゼルは心の中で悪態をついた。

「スタンに挨拶しに来たの?」

「うわっ!」

背後から聞こえた幼い少女のガラスのような声。ヘーゼルは咄嗟に木から飛び降り、振り向いた。声が木々に響く。

「…どうも」

ヘーゼルはとりあえず挨拶した。言葉を探す余裕がなかったからだ。

「こんにちは」

少女は棒立ち。無表情に見開いた目。ブロンドをきつく2つの三つ編みにしている。クリーム色に水色の花柄のネグリジェ、そして裸足だった。9歳くらいだろうか。

「スタンって?」

ヘーゼルはかろうじて質問をぶつけた。

「この子」

少女はそう言って、ヘーゼルが先ほどまで座っていた木を指差した。

「あー…、名前があるの?」

「なんにでもあるよ」

少女は他の木を指差しながら木を紹介してくれた。

「あれはジョニー。あっちはアディソン。あそこのはランド。ランドは感じ良くないの。気にしないでね。」

どの木のことを言っているのか、ついて行くのに精一杯だったヘーゼルは、辺りをキョロキョロしながら顔を顰めた。

「じゃあスタンは?」

ヘーゼルは根元上から極端に折れ曲がった異質な「スタン」を見つめた。

「スタンは気難しいよ。座る前に挨拶しないと怒られる。」

少女は淡々と言った。

「みんなに座られちゃうの。まだ木で、椅子に加工はされてないのに。挨拶した?」

まっすぐ目を見る子供の純粋さにヘーゼルは根負けした。

「してないです」

「じゃあして」

ヘーゼルはスタンに向き合い、上がりそうに無い口角を無理やり引き上げた。

「こ、んちわ〜、」

わざとらしいほどの猫撫で声。少女は満足そうだった。スタンに耳を当てて、振り向いた。

「許してくれるって」

「…やったー」

ヘーゼルは子供が苦手だと、改めて痛感した。

「名前は?」

少女はヘーゼルに聞く。

「この辺に住んでないよね?」

この歳の観察力は舐めてはいけないのか、この子が特別異質なのか。今のヘーゼルは見極めきれなかった。

「ヘーゼル…グリーン…。今日ここに着いた」

「ヘーゼル?」

少女は聞き返す。

「髪色はオリーブっぽいのに」

そう言ってヘーゼルの髪を指さす。

「あぁ…、私のお母さんの名前がオリーブだよ」

ヘーゼルは自身の髪をいじりながら言った。

「あ、蝶々」

川岸の上で舞う2匹の蝶。少女の興味はとっくにヘーゼルに向けられていなかった。蝶を追いかけ、じっと見つめている。蝶がヘーゼルの頭の周りをパタパタと回る。ヘーゼルは少女の前で蝶を追い払うことも出来ずに、蝶が去るまでじっとしていた。

「この街に何しに来たの?」

少女が大きめの石に片足で立ちながら聞いた。少しふらついた。

「宇宙人に会いに」

ヘーゼルは適当に言った。

「どうやって会うの?」

「…さぁ、そら、…から、落ちてくるんじゃない?」

考えながら喋ったヘーゼル。たどたどしかった。

「会ったらなにするの?」

少女は相変わらずの無表情で聞いた。

「保険関係の作業全部やって。って…お願いする」

「今の社会に適合するにはあまりにも手間と労力がかかりすぎるもんね」

少女はそう言って、そこら辺に落ちていた木の枝を川に突っ込んだ。一体何歳なんだろうかと、ヘーゼルは唖然とした。その数秒後に大事なことを思いだし、少女に言った。

「アップルハウスって場所探してるの、知らない?スマホが死ん…、充電なくなっちゃって」

縋る思いだった。このままここで野宿は嫌だ。

少女は足で石を転がしながら言った。

「知ってるよ」

「ほんと?」

「住んでるもん」

「ほんと!?」

ヘーゼルの声が反響する。久しぶりの声量だった。

「案内したげる」

少女はそういいながらヘーゼルの上着を引っ張った。ヘーゼルの体がぐらついたが、今はそんな事眼中にない。

「ありがとう、本当に」

ヘーゼルは致死量の安堵で溺れそうだった。ようやく迷子から抜け出せるのだ。この9歳程の少女に引っ張られながら。通行人が見たら、間違いなく、ヘーゼルの方が迷子だとは思わないだろう。

「あ、ねぇ、名前は?」

ヘーゼルは少女に聞いた。少女は歩きながら振り向いて、その大きな目でヘーゼルを捉えて口を開いた。

「ピップ・ゴールドフィンチ」

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