第十一話 入浴
伝声管の蓋を開けて、長椅子に腰掛けて待機する。
その間に水分補給を済ませよう。
私は水差しのコップを取り、ピッチャーを傾けて水を注ぐ。そして少しずつ、時間を掛けて呷った。
暫くすると、伝声管から声が届いた。
「―――ハヅキさーん、聞こえますかー?」
「はーい! 聞こえてまーす!」
「準備ができたので、入ってくださーい!」
伝声管に向かって返事をして、私はその場で服を脱いだ。
ロビンから借りていた黄色い外套を丁寧に折り畳み、棚の木籠にそっと入れる。それから腰に巻き付いていた布を外し、一応それも籠に入れておいた。
改めて自分の身体を見下ろす。
至るところが継ぎ接ぎだらけ。引き攣れた縫合の傷跡が痛々しい。自分で言うのも何だけれど、見ていて気分のいいものではなかった。
私はバスタオルを一枚と手拭いを二枚手に取って、洗い場に入る。
タオルが濡れないよう離れた位置の椅子に置いて。極力、鏡を見ないように気を付けつつ、私は水栓器具のノズルを取った。
赤と青の栓を回し、出てくるお湯の温度を調整する。丁度良いと判断したところで、私はお湯が溢れ出るノズルを頭上に掲げた。
温水が降り注ぐ。
髪全体を揉み込み、手櫛を入れて、散髪で切れた毛を落として行く。細かな毛と共に、髪に付着していた埃や塵が流れ、排水溝に消えて行った。
温かいお湯が肌を洗う感触が心地良い。
サウナに入る場合、先に身体を洗うのがマナーである。
汚さないため、というのは当然として。肌に垢や皮脂などが付着したままの状態だと汗を掻き難くなる上に、雑菌が急激に繁殖して悪臭の原因になってしまうからだ。
だけど一度洗ってしまいさえすれば、臭いの源はほとんど取り除ける。
その後サウナで汗を流しても、汗に含まれる成分は大体が水分と塩分とミネラルであるため、風呂上がりに掛け湯をすればそれで事足りるのだ。
―――という訳で。
一旦栓を閉めて、ノズルを壁に立て掛ける。
離れた椅子の上に置いていた手拭いに手を伸ばし、桶に溜めたお湯に潜らせてから、備え付けの石鹸を布の上に落とす。そして揉み擦ると、みるみる内に乳白色の泡が溢れ出した。
もったりとした泡立ち。
香料が使われているのか、花や果物を思わせる甘い匂いがする。
泡立てた手拭いを肌に滑らせ、全身を洗う。
……直ぐに垢で真っ黒になるのではないかと予測していたのだけれど、そんなことはなく。泡は白いままだ。どうやら私は自分で思っているほど汚れてはいなかったらしい。
棺の中にいる間、仮死状態で代謝が止まっていたから……と考えるのが妥当だろうか。
などと益体のないことを考えつつ、洗身。
全身をくまなく洗う。特に髪は念入りに。
頃合いを見て桶のお湯を被り、それから水栓を捻ってノズルからお湯を出す。
泡も汚れも、一切合切が肌の上から流れ落ちて行く。
それから泡だらけになった手拭いも濯ぐ。布地を通って流れ落ちる湯から白い濁りが消えて、完全に透明になったのを確認してから栓を閉じた。
たっぷりと水を含んだ髪が重い。私は前髪を掻き上げてからノズルを元通りに立て掛けて、手拭いをぎゅっと絞った。
髪を拭き取り、ついでに身体も軽く拭う。
それから再び水浸しになった手拭いを絞り、余計な水分を落としてから、髪を団子状に纏めて手拭いで結ぶ。
もう一枚の手拭いは、折り畳まれた状態のまま携えておく。
残る幅広のバスタオルを胴体に巻いて、身体を隠す。……ジャンヌさんの冗談を間に受けた訳ではないけれど、落ち着かないので、一応ね。
準備を終えたところで、いざ入浴!
意気込んでガラス戸を開ける。すると、先程のソレとは比較にならない熱気に出迎えられた。
ガラス戸を後ろ手に閉めて、壁際にある段状な造作ベンチに腰掛ける。そして肩の力を抜いて、ゆっくりと深く息を吐き出した。
空気が熱い。
息苦しく感じるくらい。
だけど不思議と不快感はない。じっとりと、それでいてじりじりと。身体の芯から温まる感覚。
心臓から走る血液が、動脈や静脈、全身の毛細血管に至るまでを押し広げて激しく巡っているのが分かる。玉のような汗が滲み出して、肌を伝い落ちた。
バスタブの湯船の方が馴染み深いけれど、サウナも気持ち良い!
筋肉の緊張と共に、心の凝りも解れていく。やっぱりお風呂は最高だ。
それに、なんだか香ばしい良い匂いもする。
これは炭と麦が焼ける匂いだろうか。
そういえば、昔はパン屋が風呂屋を兼業していたことがあったと聞いたことがある。朝にパンを焼く時に、一階の竈の熱を利用して、二階にある浴場でお客さんが入浴していたのだとか。
それそのものではないにしても、似たような造りになっているのかもしれない。
私は立ち上がって、窯を兼ねた通風口に近づく。そしてその隣に安置された水桶の柄杓を手に取った。
窯の中の鉄板の上で柄杓を傾け、ゆっくりと水を注ぐ。すると水は即座に泡を立て沸騰し、白い蒸気になった。
蒸せる熱気を浴びて、更に代謝が促進される。ぴりぴりと肌が痺れるような感じがして、それが融けて身体の奥にまで染み込む。まるで自分の身体が蒸気と一緒に熱い雲になって飛んで行ってしまいそうな――そんな開放感に、堪らず酔い痴れていた。
デトックス効果を実感。
止め処なく溢れ出す汗をタオルで拭い取り、私は深く息を吐く。
「あぁ――生き返る……」
いや、別に死んではいないのですけど。
思わず、というかなんというか。
ご機嫌な気分に水を差すような突っ込みが混ざってしまった。私は頭を振ってそれを払い落とし、目を閉じて天井を仰ぐ。
今は余計なことは忘れて、リフレッシュに専念しよう――なんて考えていると。
―――バァン!
……なんか、突然扉が開いた。
「―――やあ、お待たせしたね! 皆様のご期待に沿い、セオリー通りやって来た僕だよ! 煽いで熱波を浴びせるサービスはいかがかなぁ~!?」
「結構ですッッッッッ!!」
派手な音を立てて開かれるガラス扉。そこから現れたエロガキ/スケベジジィに向かって、手にしていた柄杓を全力で投げ付ける。
「ぎゃぅんっ!?」
柄杓はロビンの額にクリーンヒット。
悲鳴を上げてひっくり返ってもんどり打つお馬鹿を無視して、私は扉を閉めた。
* * *
早めに上がるつもりだったのだけれど、ついつい長湯してしまった。
のぼせているのだろう、ちょっと頭がふらふらする。
伝声管越しにジャンヌさんへ上がることを伝えてから、私はサウナを出た。
体に巻いていたバスタオルと頭の手拭いを外し、畳んで置く。そして洗い場の放水ノズルを取り、水栓器具の青い栓を捻った。
ノズルから、勢い良く冷水が噴き出す。
私はノズルを頭上に掲げて、滝行のように頭から水を被った。
蒸し上げられて火照っていた身体が、急速に冷めていく。すると、途端に激しく鼓動を打つ心臓に気付く。胸から頭の天辺までが一体化したみたいに、脳味噌が直接ばくばくと揺れているみたいだった。
頃合いを見て水栓を閉める。
一応、魔導具の魔石を確認してみる。翠玉を思わせる緑の輝きに曇りはない。特に変化はないように見えるけれど……よく分からない、というのが正直なところだった。
置いていたタオルを手に取り、体に張り付いた水分を丁寧に拭う。そして、私は洗い場を後にした。
脱衣所の空の籠に畳んだタオルや手拭いを入れて、長椅子に腰掛ける。
足を伸ばして脱力。深く息を吸って、吐き出す。
すると爪先の方から、ぴりぴりとした感触が皮膚の下を走った。それは全身を巡って心臓にまで戻り、再び肌を淡く痺れさせる。それが非常に気持ち良かった。
―――……ととのう~!
サウナの醍醐味を十分とちょっとくらい堪能してから、水差しに残っていた水で水分補給を行い、私は立ち上がる。
入浴前に籠に入れた服は消えていた。代わりに、着替えが納められている。
籠に手を入れ、取り出したるは――ドロワーズだった。
名前を聞いたことはあるんだけど、たぶん実物を見るのは初めてな代物だ。……いや、記憶喪失なので、自信はないんだけど。
さて、ドロワーズ。
使用用途は下着。カボチャみたいなふんわりとした見た目で、構造はショートパンツに近い。材質は綿、肌触りは良好。
他にはチューブトップに似た形状のものが一点。材質は同じ綿。胸に着ける用のものだと思しい。
下着を身に着ける。
穿き心地は意外に悪くない。だけど胸の方は少しきついかな。
再び籠の中に手を入れ、残る衣服を取り出す。
丁寧に四角く折り畳まれた生地を広げる。
それは白いワンピースだった。質素なデザインだけれど布地には汚れ一つなく、どうやら新品であるらしい。
恐縮してしまう気持ちをどうにか飲み込んで、私はワンピースの袖に腕を通した。
厚めの生地は絹ではないようだけれど、それに近いさらりとした肌触りで、とても着心地が良い。関節を曲げても皺にならず、折れ目も付かず、丈夫なようだ。
ゆったりとしているけれど、ちょっとサイズが小さい。長袖は前腕の途中まで、スカートは膝くらいまでの長さだ。
とはいえ何分急な話だったのだし、こうして着替えを用意して貰えるだけでも有難い。
でも、だからこそ。
「うーん……髪が濡れたままなのは……」
思わず独り言が出てしまった。
このままでは服が汚れてしまう。ドライヤーで乾かしたいけれど、それは流石にないようだ。
気が咎めるけれど仕方がない。
追加で新しい手拭いを取って、髪を包んで纏める。それから、私は脱衣所を後にした。