第二十三章 ⑤輝章の揺らぎ
都内・某撮影スタジオ。
ふうっ……、
輝章はため息を漏らす。
心に揺らぎが生じている。
この数ヶ月の間に。
俳優・レンジに対する印象が大きく変わった。
それはスタッフたちも同様だった。
映画関係者は囁き合う。
……傲慢横柄俳優はどこかへ消えた。
高圧的に振る舞わない。
暴言を吐かない。
若手スタッフにも丁寧に応対している。
新人俳優に対しても敬意を払っている。
さらには。
真摯に作品に向き合っている。
脚本台本を読み込んで役柄に入り込む。
鬼気迫る演技に圧倒される。
やはり。
凄い役者だ……!
映画撮影がクランクアップした。
輝章は主演俳優に花束を渡す。
「レンジさん!
これにて撮影終了です。
長丁場……、お疲れさまでした!」
レンジは穏やかに笑う。
そして深々、頭を下げた。
「まずは。
申し訳ありませんでした。
個人的私事で迷惑をかけてしまった。
俺のせいで現場の雰囲気を悪くしてしまった。
至らぬ主演俳優で情けなくて心苦しかった……。
監督とスタッフに大いに助けられました。
ありがとうございました」
「あ……、いえ……。
関係者一同、改めて。
『俳優・レンジ』の実力、思い知らされました」
「いや……、俺の実力ではありません。
監督の天才的感性とスタッフの資質……。
それに尽きます」
「そういえば羽衣さん。
一足先に撮影終了しました。
彼女の成長は目覚ましいものがありましたね」
「羽衣にはセンスがあります。
間違いなく。
素晴らしい女優になると思います」
「同感です。
そして恐らく。
人知れず努力していると感じました。
彼女のひたむきな姿勢……、
スタッフたちが絶賛していました」
レンジは思わず涙ぐむ。
「ああ、ハハ……。
あれ? 困ったな。
羽衣が褒められると嬉しい気持ちになってしまって……」
「昨日の帰り際……。
羽衣さんは力説していました。
……もしも私が。
女優として成長できたのだとしたら……。
それは監督やスタッフのお陰さまです。
そして何より。
レンジさんのアドバイスの賜物です。
レンジさんはとっても優しいです。
尊敬できる大先輩です! と……」
「羽衣が?
そんなことを……?」
レンジは感極まる。
堪え切れずに涙を落とした。
「二か月後になりますが。
映画宣伝を兼ねた『プレミアム上映会』を予定しています。
その時はまた……。
ご助力をお願いします」
「承知しました。
輝章監督の作品に携わることができて光栄でした。
ありがとうございました」
ふたりは固い握手を交わした。
レンジは決意していた。
二ヶ月後のプレミアム上映会。
それまでに過去を清算する。
そして襟を正して再出発する。
……まずは。
資産のすべてを整理する。
そしてサユミと離婚する。
脅迫して偽装結婚を迫ったことは罪深い。
相当額の慰謝料を支払うつもりだ。
それから。
残りの財産すべて……。
『被害者』の慰謝料に充てる。
『ナナ』と『宇和島の幼女』に渡したい。
俺のせいで苦汁の日々を与えてしまっていた。
だからこそ!
これからは少しでも楽をして欲しい。
幸せになってもらいたい。
あの日の早朝。
所澤神明社の境内で。
ナナはわかりやすい嘘をついた。
……レンジさんは誤解している。
羽衣はあなたの子供ではない。
あなたを恨んでいない。
苦労などしていない。
奥様のサユミさんと仲良くして。
家族を大切にして……、と……。
ナナ……。
どこまでお人好しなんだ。
俳優レンジは最低最悪の鬼畜野郎だぞ?
汚い男の稼いだ金は汚いと感じるかも知れない。
だけどどうか償わせてくれ。
俺はお前が愛おしくて堪らないのだ……。
そして。
遺憾だが……。
宇和島の幼女に渡すことは叶わない。
十五年前。
弁護士を介して約束が交わされている。
【被害者に二度と近づかない。
被害者家族や近親者に関わらない。
その対価として。
強姦の事実は無かったことにする……】
……つまり要するに。
慰謝料は支払わない。
レイプ事件は無かったことにする。
そんな非道取引きだ。
そこには。
被害者への配慮はない。
反省意識の欠片もない。
我ながら呆れ返った。
レンジは思案に暮れる。
敏腕弁護士と相談を始めている。
想定として。
受け取り拒否もあり得る。
その場合。
『一般財団法人・リンカ』に寄付をする。
世間の慈善団体……。
胡散臭いと感じている。
しかしどうやらそこは。
信頼の置ける財団らしい。
不遇な境遇に置かれた者への援助。
難病トゥレット症候群の啓蒙活動。
少数派っへの理解活動など。
不平等の調整に向けた未來型支援活動をしている。
輝章監督をはじめとして。
ミリオン歌手や人気タレント。
売れっ子作家や漫画家。
スポーツ選手や実業家たち……。
こぞって『財団・リンカ』に寄付しているのだ。
……ああ、痛い。
最近やけに首筋が熱い。
ズクン、ズクン、
火傷の痕が疼いている。
レンジに。
『改悛の情』が顕れ始めていた。




