第二十一章 ④イレーズの過去(ゴン子)
小次郎屋敷・別邸。
俺は倒れた。
高熱が続く。
体中に紅い発疹が出た。
俺のせいで……。
『ハル婆』が悶死した。
流行り病に罹患して倒れた。
出生してから十年間。
甲斐甲斐しく世話をしてくれていた。
ハル婆の遺体、別邸に放置されたままだ。
その腐敗臭は閉じ込めきれない。
外まで滲み出ているはずだ。
しかし。
誰ひとりとして別邸に近づかない。
非情な父親はもちろんのこと。
使用人も流行り病の感染を恐れていた。
俺はベッドに横たわって浅い呼吸を繰り返す。
薬はない。
食べる物も底をついた。
次第に。
起き上がることさえ困難になった。
だけど。
ひとりじゃなかった。
ぎゅうっ、
俺の手を握りしめる小さな手……。
ゴン子が傍らに居座っていた。
「痛いか? あたいも痛い。
苦しいか? あたいも苦しい。
いいか?
お前はひとりじゃないからな!」
「辛いか? しんどいか?
それでも早く死にたいと思うな。
定められた寿命を全うしろ!」
「悲しいか?
それでも生きろ。
命が尽きる最期の瞬刻まで生きるんだ。
大丈夫だ。
あたいがずっと傍にいる。
怖がるな。安心しろ」
「どうやらお前は生まれる時代を間違えた。
この天才的頭脳は遥か先。
新時代に活かすべきだった。
悪用されたのはお前のせいではない。
自分を責めるな」
「お前の慚愧の念。
悲哀と後悔。
すべてをあたいが受け止める!
だから何にも心配するな。
あともう少しだ。
藻掻けっ、足掻けっ」
俺は譫言を繰り返していた。
「ゴ、ゴン子……。
まだ? もうすぐ?
つらいよ……、痛い、よ……。
もう、少し……?
苦しい……、よ……」
意識は朦朧として遠くなる。
いよいよ死期が近づいたと悟った。
突如。
ゴン子が泣き出した。
「ゔうっ、ゔゔうっ……!
いいか?
ひとりが平気な奴なんていないんだ!
お前は母親の胸に抱かれて甘えたかったのだろう?
ずっと寂しくて心細かったのだろう?
いつも泣きたかったのだろう?」
「……わ、から……ない」
「弱音を吐けっ!
我慢するなっ!
あたいにだけは正直に言えっ!」
俺は最後の力を振り絞る。
ゴン子の小さな手を握る。
虚ろな目をして頷いた。
「うん……。
あのさ? 実はそうなんだ……。
俺さ……、ずっと、ひとりぼっちでつらかった。
怖くて……、寂しかった。
……親に、愛されてみたかった。
頭を、撫でて、もらいたかった……。
友が、欲しかった……。
……誰かを、愛してみたかった…………」
「うん、うんっ! そうだな。
お前は良く耐えた。
よく頑張った。いい子だ!
偉いぞっ」
「クク……、『いい子』なんてさ?
初めて言われたよ……。
あのさ、ゴン子……。
約束したよね……?
死出の旅路、迎えに来てくれるって……」
「ああ、約束したな」
「それとさ……、
あの世でもずっと友達でいてくれるんだよね?
……永遠に友達でいてくれるんだよね?
頼むよ……。
もうひとりぼっちは嫌なんだ……。
お願いだ……、お願い、だよ…………」
俺は固く閉ざしていた心の内を明らかにした。
ゴン子は俺の頭を撫でる。
何度も諾う。
「もちろんだ!
約束しただろう?
お前の願いは必ず叶えてやる。
お前とあたいはずっとずっとずっと!
友達だっ……!」
「う、ん。
や、く、そ……、く…………」
しんしん……、
初雪が降り積もる夜半過ぎ。
俺はゴン子に看取られてこの世を去った。
享年十歳。
死出の旅路は驚くほど安らかな心地だった。
死に顔は幸せそうに笑っていた。
ボンの死後。
別邸は直ちに取り壊された。
落胤の生きた証。
影も形もなくなった。
汚物世界から。
完全に霧散霧消した……。




