第二十一章 ③イレーズの過去(座敷童)
小次郎屋敷・別邸。
目の前に。
丸々肥えた幼児が立っていた。
踏ん反り返って仁王立ちしている。
それは散切り頭の男の子。
顎下まである髪で顔を覆い隠している。
「もしかして……?
座敷童?」
「そうだ。
お前はひとりか?
この広い屋敷でひとりぼっちか?」
「うん、そうだよ」
「そうか……。
じゃあ友達になってくれないか?
あたいと友達になってくれ」
「あたい、って……。
お前、女か?」
「あたいは寂しいんだ。
友達になってくれ」
「そうか……。
お前、寂しいのか……」
のそり……、
俺はベッドから降りた。
丸々した座敷童に向き合った。
くしゃり……、
前髪をかき上げる。
そして顔を見定めた。
……肉付きのいい輪郭。
細い半月目。
低い鼻、への字口……。
まるで民話の金太郎のようだ。
「よせっ、やめろっ!
見るなっ!」
顔を見られるのが余程嫌だったのだろう。
ブンブンッ、
威勢よく両手を振り回した。
抵抗して悪態をつく。
「やめろっ!
あたいの顔を見るな!
この阿呆め!
あたいに触るな!
このハイカラ野郎!
調子に乗るなっ!」
俺は唖然とした。
阿呆?
ハイカラ野郎?
それってもしや俺のこと……?
クククッ……!
笑いが込み上げた。
こんなに心が弾んだことはない。
ぽろり、
本音が漏れ出した。
「ククッ!
お前、かわいいね?」
「は……?
お、おいっ、馬鹿を言うなっ!
あたいはいつも不細工だと揶揄われている。
醜くいと罵られている。
自慢じゃないけどなっ」
「え? そうなの?
すっごく可愛いけど?」
「よせっ、やめろっ!
褒められたことなどない!」
……照れている。
この女童、面白い。
愛嬌があって憎めない。
恥ずかし気に視線を逸らす。
頬を紅潮させ唇を尖らせた。
ドキンッ!
鼓動が高鳴った。
不覚にもときめいた。
「俺はさ? 人の心が読めるんだ。
だからわかるよ。
お前は良い奴だ」
「違うっ!
あたいは良い奴じゃないっ」
「うーん……、だけどさ?
悪い奴ではないよね?
あ、そうだ。
俺と友達になってくれるんだよね?
名前を教えて?」
「……ゴン子」
「ゴン子、か……。
ああ、ごめん。
俺は名前がないから名乗れない。
だけど嬉しいな。
初めて友達ができたよっ」
「あたいも嬉しいぞ。
よろしくなっ」
ピョン、
ゴン子は人差し指を立てた。
ツンツン、
俺の鼻先を二回突く。
「お前とあたいは友達だ。
だから特別に。
内緒話を教えてやる」
「オフレコ?」
ゴン子は俺の掌を両手で包み込む。
ギュウッ、
握りしめた。
そして唐突に告げた。
「……死ぬなっ!」
「え……?」
「お前は死のうとしているな?
だが死んではだめだ。
寿命尽きるまで待て」
「なんで? どうして?
死にたいのに……。
死んだらだめなの?」
「なぜ死にたい?
あの強欲な父親が原因か?
それとも孤独か?」
「うーん……。
孤独は平気だよ?
そんなのとっくに慣れているからさ?
だけど……。
悪事に手を貸すのが嫌なんだ。
気分が悪くなって吐き気がする」
「そうか。
そうだな……」
「それにさ。
そもそも俺には名すら無い。
居ても居なくてもどっちでもいい人間なんだ。
死んだって誰も悲しまないよ」
「馬鹿を言うなっ!
友達が悲しむだろう?
あたいを悲しませるなっ!」
「ああそうか……。
そうだった。
俺にはゴン子がいたんだっけ。
だけどさ?
汚物世界にうんざりしてるんだ……」
「汚物世界にうんざりか。
それはあたいも同感だ。
しかし自殺はだめだ。
死没後、身体が浮かばない。
だから寿命が尽きるまで待て。
耐え忍んで生きろ。
踏ん張れ」
「まだ……、
我慢しないといけないの?」
「そうだ。
そのかわり。
お前の死出の旅路……。
あたいが迎えに行ってやる。
約束する」
「ほんとっ? ほんとにっ?
ゴン子が迎えに来てくれるの?
それじゃあ頑張るよ。
父親の隷下は嫌だけど。
頑張ってみる」
「ああ、そうしろ。
それに……。
お前の寿命は長くない」
「…………?」
「いいか、よく聞け。
お前はもうすぐ死ぬ。
数日後。
父親に連れられて宴に同行する。
そこで流行り病に感染する。
三十日後、お前は死ぬ」
「そうか。
もうすぐ死ねるのか。
あのさ?
俺が死んでも『友達』でいてくれる?」
「ああ、約束する。
永遠に友達だ。
だから今は死ぬな。
耐え忍んで生きろ」
ゴン子は俺が頷くのを確認する。
ニターッ…………
笑って消えた。
四日後。
予言通り。
父親主催の酒宴に同行させられた。
庭園の奥座敷。
其処は回遊式庭園が見渡せた。
雅やかな奥の間に貴賓らが集う。
賓客は表裏社会の大物連中だ。
このときすでに。
父親は巨万の富を築き上げていた。
息子の頭脳を悪用して。
不動の地位を確立していた。
息子を餌食にして。
立志伝中の人物に上り詰めていた。
小次郎は華麗奔放に振舞う。
踏ん反り返って高笑いする。
両脇には。
ケバケバしい遊女を侍らせている。
賓客たちは媚び諂う。
小次郎の機嫌を取る。
ちやほや、褒めそやす。
そして奴らは俺に擦り寄る。
寄って集って群がってくる。
俺の頭脳を損耗する。
強欲連中がほくそ笑む。
自惚れやが私腹を肥やす。
猫も杓子もへったくれもない。
似たり寄ったりで差異など無い。
どいつもこいつも同類に見えた。
俺は耐えた。
ゴン子との約束を守るため……。
悩乱しそうな苦痛時間。
ひたすらに耐え忍んだ。
盛大な酒宴が終わった。
その二日後。
俺は倒れた……。




