第二十一章 ①イレーズの過去(出生)
三峯の丘の上。
イレーズが前置きする。
「この『昔話』はさ?
特殊魔術によって過去を遡って追認したものだ。
もしかするとさ?
少し不快かもしれない。
できれば重く受け止めずに聞き流して欲しい……」
凛花は姿勢を正す。
小さく諾った。
イレーズは数秒、目を閉じる。
そして。
静かに語り始めた……。
……あるところに。
『ルナ』という名の町娘がいた。
粗末な長屋で母親とふたり暮らし。
母親は下等芸妓。
やさぐれた性格で仕事が続かない。
それゆえ生活は困窮していた。
父親は一夜限りの行きずり男……。
当時の『お雇い外国人』だ。
出産時。
西洋人の男はすでに母国に帰っていた。
とある日。
豪商の中年男『小次郎』が商人町を歩いていた。
商談を終えて裏路地に入り込んだ。
…………。
小次郎は息を呑む。
煌めく美少女に釘付けになる。
サラサラ、
伽羅色の髪が風に靡いている。
一瞬にして心が奪われた。
当時十五歳のルナ。
色白で彫深い顔立ち。
手足が長く日本人離れしたスタイル。
その容貌は抜きん出ていた。
巷の男たちの憧れの的だった。
小次郎は一代で富財を築いた男だった。
高級住宅地に広大な敷地を有する権力者だった。
ルナはたちまち高値で買い取られた。
しかし小次郎には妻子がある。
そのため『妾』として囲うのだ。
すぐさま準備を始める。
邸宅の離れに『別邸』を建てた。
数か月後。
瀟洒な別邸にルナを迎え入れた。
小次郎はルナの虜だった。
熱を上げて耽溺する。
別邸に入り浸る。
もはや本妻の目もはばからない。
……ルナの肉体、精神、細胞。
そのすべてを独占したい。
ルナは儂だけのものだ!
誰の目にも触れさせないっ……!
度を越した愛執。
小次郎の束縛はエスカレートする。
正気を置き去りにして常軌を逸していく。
ルナの履物を捨てて外出を禁じた。
使用人や女中でさえ直接接触を許さない。
『ふたりだけの世界』に軟禁する。
別邸に閉じ込めた。
その矢先。
ルナが妊娠した。
悪阻がひどい。
食べ物が喉を通らない。
日に日に衰弱していく。
しかし。
小次郎は医者に診せようとしない。
……ルナは儂のもの。
誰の目にも触れさせない……!
臨月を迎えた。
別邸に呼び出されたのは年老いた産婆だった。
小次郎に雇われた産婆は絶句した。
目の前の妊婦……。
痩せ細り、衰弱し切っている。
一刻を争う状況であること、明らかだ。
産婆は直談判する。
今すぐ医者に診せるべきだ!
母子ともに生命の危機だ!
そう伝えた。
しかし小次郎は拒絶する。
有無を言わさず厳命する。
「お前如きが物申すとは……?
良いか? 必ずや無事に出産させるのだ。
もしも失敗したら……。
ただでは済まさぬぞっ」
ルナは『坊や』を産んだ。
三日三晩の難産だった。
だがしかし。
産後経過は最悪だった。
悪露が止まらず大量出血。
容態は悪化していく。
恐らく。
不治の病魔に侵されていた……。
十日後。
ルナは息を引き取った。
赤子を胸に抱くこと。
成長を見届けること。
その願い、叶わなかった。
小次郎は亡骸に縋りつく。
叫喚して慟哭する。
最愛の妾を失ってしまったのだ。
「ルナッ! ルナッ!
ああ頼むっ、生き返ってくれっ!
ああっ、儂の……っ、儂だけの……。
ヴヴヴヴヴゥゥゥッ…………」
永別の嘆き。
それは凄まじい激憤に変じた。
怒りの矛先は老いた産婆に向けられた。
「ゔあああああっ……!」
産婆は殺された。
小次郎によって惨殺された。
悲劇は終わらない。
小次郎の妻が『別邸』に乗り込んできた。
右手には薪割り用の斧が握られている。
本妻は亡骸の前に立つ。
仏頂面で死体を見下ろす。
……腹立たしい。
この女、死に顔さえも美しい……。
憎い……、許せない……。
小次郎の愛を独占し続けた妾!
わたくしが成敗する!
本妻の目に光はない。
理性は完全消失している。
夫を奪われた嫉妬憎悪が支配する。
おもむろに斧を振りかぶる。
渾身の力を込めて振り下ろした。
……グシャリッ!
まずは細い左手首を切り落とす。
ルナの左手薬指には指輪が嵌められていた。
それは癪に障るほど絢爛豪華な指輪だった。
……グシャッ、グシャリ……!
血飛沫が飛び散る。
一心不乱に斧を振り下ろす。
両腕、両足を切り落とす。
ゴロリ、
最後に首を切り落とした。
別邸は血の海だ。
ルナはバラバラに切り刻まれた。
もはや人間の所業とは思えない……。
小次郎は豪奢な椅子に腰かけて肘をつく。
目の前の地獄絵図。
まるで他人事のように傍観していた。
悪鬼と化した醜女の姿。
ただぼんやりと見つめていた。
「ふう…………」
小次郎は徐に立ち上がる。
本妻の傍らに蹲踞座りした。
その顔をまじまじと凝視する。
返り血に赤く染まっている。
まるで猿のようだ。
「やれやれ……。
もう気は済んだか?
それにしても派手に壊したのう?
どうやら儂とお前は似たもの同士らしい……。
どうだ? 手打ち(和解)、できるか?
もし出来るなら。
今まで通り『夫婦』でいよう……」
小次郎は床に落ちたルナの手首を拾う。
左手薬指から『指輪』を抜き取った。
そして本妻の指に嵌め直した。
本妻は喜びに打ち震える。
「嗚呼、あなた……っ!
もちろん手打ちにいたします!
この指輪も。夫も。
この私の物です。
誰にも譲りませんわ……」
小次郎は本妻の肩を抱き寄せた。
「そうかそうか。
これで儂らは共犯だ。
お前には長らく寂しい思いをさせてしまったな。
済まなかった……」
直ちに。
古参の使用人が集められた。
小次郎は冷ややかに厳命する。
「今すぐ!
この廃棄物を片付けろ!
一滴の痕跡も残すなっ!」
手練の使用人によって。
ルナと産婆の亡骸は徹底的に片付けられた。
遺体は破砕機にかけられ圧砕された。
粉々になった肉片は庭池に撒かれた。
錦鯉の餌になった。
ルナの忘れ形見『坊や』。
本妻の逆鱗に触れ、認知されることは無かった。
出生届も出されなかった。
落胤の存在は禁秘とされた。
俺は非嫡出子になった。
そして別邸に軟禁された。




