第十七章 ⑤友人からの贈り物
暮れ方前の稲佐の浜。
光風が吹き抜ける。
凛花の体内に不思議な変化が起こっていた。
……あれ?
血液が逆流している?
背中が軽い。肩が軽い。
モヤモヤがクリアになる。
頭が冴えてくる!
……幼少期から。
心には何千本もの毒針が刺さっていた。
年月の経過によって。
家族から注がれる愛情によって。
突き刺さった毒針は少しずつ減った。
だけど奥の奥の最深部に。
数本だけ、残っていた。
深く突き刺さった毒針が悪さをする。
穢れた欲望を想起させる。
嫌悪感を充満させる。
憎しみを増幅させる。
細くて鋭利な毒針は。
不意に私を苦しめた。
スルリ、
抜け落ちた。
突き刺さった毒の針が消えていく幻影。
瞼の裏に映じられた!
毒針は跡形もなく消え去った。
心は寛大な『赦し』に変転した。
柔らかく穏やかな光が差し込んでくる。
心が洗われて澄み渡っていく。
まるで生まれ変わったような心地なのだ。
凛花は感動に震える。
「うっ、うううっ……。
幼少期から今まで。
心の奥底ではずっと悲鳴を上げていました。
ですがたった今!
毒の針が消えてなくなりました。
太郎さんのお陰です……。
ありがとうございます……」
凛花は大粒の涙を零す。
「これほどまでに貴い『本物縁』。
出雲のご利益は凄まじいです!
ありがとうございます。
本当に本当に!
ありがとうございます…………」
太郎は笑う。
「ハハハ、大袈裟ですよ。
それにご利益はこれからが本番です。
もしかすると。
『極上の恋』が始まるかもしれませんよ?」
「…………?」
ふたりは立ち上がる。
砂をはらって向かい合う。
太郎は改まって伝える。
「凛花さん、よく聞いてください。
イレーズは天才ゆえに。
気難しく見えるかもしれません。
ですが実は。
繊細で優しいです。
容貌だけでなく心根も美しいです。
今後とも仲良くしてやってください。
是非とものお願いです」
凛花は戸惑いながら返事をする。
「……?
わかり、ました」
太郎は空を見上げる。
「ああ、そろそろ時間だ。
割子蕎麦とぜんざい餅。
ご馳走になったお礼を差し上げます。
右手の掌を広げて出してください」
凛花は促されるまま右手を差し出した。
ポンッ、
太郎は掌の上に何かを置いた。
それは小さな巾着袋。
蒼色の『布袋』だった。
「わあ! ありがとうございます。
白い花模様の刺繍が可愛いです」
「それは龍華樹の花の刺繍です。
この花茣蓙と同じ模様です」
「みかんも白い花を咲かせます。
親しみを覚えます」
「古事記を紐解けば。
みかんは『黄泉の国』では縁起ものとされています。
龍華樹の花もたぶん縁起ものです。
蒼い布袋の中にはふたつの『石』が入っています。
凛花さんの『御守り』にしてください」
「わあ、ありがとうございます!
大切にしますっ」
太郎は思いついたように告げる。
「ああ、そうだ!
もしもイレーズが凛花さんを威嚇してきたら。
この布袋を目の前に差し出して抵抗してください」
「……威嚇、ですか?」
「そうです。
その布袋を見せて落ち着かせてください」
「……?
イレーズさんとお会いすること……。
もうないと思いますが?」
「ハハ、すぐに会いますよ。
もう間もなく此処にやって来ます。
コン太とノアもあとから来るはずです」
太郎は思案する。
「うーん……、イレーズの場合。
布袋を見せても詰め寄ってくる可能性がありますね。
ですので念のため。
対処法をお伝えしておきます。
まずは。
イレーズの頬をぎゅっと両手に挟んでください。
次に。
視線を重ね合わせてください。
要は顔を近づけて見つめ合うのです。
わかりましたか?」
「…………? はい」
凛花は訳が分からない。
首を傾げて頷いた。
太郎は言い置く。
「もうすぐ日暮れですね。
稲佐の浜は夕日が美しいそうです。
凛花さんは堪能してからお帰りくださいね。
それでは。
またそのうちにお会いしましょう」
シュンッ…………!
消えた。
太郎は瞬く間に消えてしまった。
凛花は茫然として立ち尽くす。
ビジーで思考が追いつかない。
……余りにハイテンポだった。
そして余りに呆気ない別離だった。
もしかしたら先ほどまでの出来事は夢だった?
自分の頬をつねってみる。
……痛っ!
痛みを感じた。
掌を開く。
龍華樹の白い花模様の蒼い布袋がある……。
夢ではないらしい。
出雲の壮大なパワーに感謝する。
新たな友人との『本物縁』をいただけた。
霊妙なる友人ができた!
ユーモアがあって。少々せっかちで。
聡明でフレキシブル。
素敵な神さま『太郎さん』。
凛花は胸がいっぱいだ。
新たな友人と貴重な時間を過ごせた。
心は羽が生えたように軽かった。




