第十五章 ②龍王神話
出雲大社・ご本殿上空。
ストンッ!
凛花はコン太の背から降ろされた。
「わああっ!
あれ? 落ちない……」
「イヒヒッ! 不思議だろう?
結界上にいれば地面に落ちないんだよ」
「そうなんだっ!
すごい経験しちゃった」
コン太が耳打ちする。
「そうそう、あのねえ……、
内緒の内緒、秘密の話なんだけどさあ……。
今や表裏の龍王一族は仲良しだ。
家族ぐるみで円満な関係だ。
だけど昔は色々と複雑だったんだよ」
「え? そうなの?」
龍蛇神王は頷く。
「せっかくの機会だ。
我らの懐かしい思い出話を聞かせてあげよう」
凛花は瞳を輝かす。
「龍王神話、
お聞かせいただけるのですか?」
「うむ。
だがもはや今では。
真偽不明の昔話になっているがなぁ……」
燦紋は目を閉じる。
古い記憶を呼び起こす。
そうして滑らかに語り始めた。
……昔々の話。
我ら表裏龍王の若かりし頃。
燦紋とトールは無二の友だった。
互いを尊敬し、認め合っていた。
希少な理解者だった。
ある年の神在月。
恒例行事である七日間神議が始まる。
数か月前から。
絶世の美龍がカミハカリに出席すると噂になっていた。
神々は集結した。
出雲大社ご本殿にて。
我らは初めて緋色龍神ミュウズにまみえた。
それはそれは美しかった。
そのあまりの麗しさに!
周囲からは感嘆とため息が漏れ出ていた。
燦紋はたちまち恋に落ちた。
ミュウズに運命を感じた。
しかしそれはトールも同様だった……。
図らずも。
我らは同じ女龍神に一目惚れしてしまった。
カミハカリが終了して秘密の棲み処に戻った。
しかし心は鎮まらない。
ミュウズへの愛執が募る。
焼けつくほどに恋い焦がれる。
いつしかそれは執着に変じた。
もはやなんとしても!
表龍王の妻にミュウズを迎えたい……!
激しいジレンマにに襲われる。
無二なる友・トールと話し合う。
しかし互いに譲歩することができなかった。
ついに軋轢が生じた。
古からの『龍神界の掟』に則る。
妻の選択権。
それは一番強い龍神に与えられる……。
闘いが始まった。
表裏龍王は怒りの咆哮を上げる。
息の根を止めようと殺し合う。
龍体から血が流れ出た。
血で血で洗う日々。
それは数か月に及んだ。
制したのは表龍王・燦紋だった。
すでにトールは虫の息だった。
傷だらけの龍体を引きずりながら告げた。
「ミュウズ……、
燦紋は素晴らしい男だ。
どうか幸せに……。
誰よりも幸せになってくれ。
……愛していた」
トールは裏木曽の『龍神の滝』に戻った。
滝壺の奥深くに潜り込む。
そのまま隠れた。
ミュウズは嘆いた。
取り乱して泣き叫んだ。
「燦紋さま、申し訳ありません!
私は燦紋さまを愛することはできません。
私の初恋相手は裏龍王です……。
黄金龍王トールを愛しているのです!」
燦紋は威嚇する。
「龍神界の掟に背くのか?
追放だぞ!」
「排斥は覚悟の上です。
私はどうなっても構いません」
「ゆっ、許さんぞっ!」
「甚だ勝手ながら。
燦紋さまに最後のお願いがございます。
この先の龍神界の未來のために。
何より孤高なる表龍王・燦紋さまのために。
どうか黄金龍王トールとは関係修復してください」
「なんと勝手な……!」
「彼に寛大なる赦免をお願いいたします。
そして何より。
燦紋さまに相応しいお相手は私ではありません」
「戯言を申すなっ」
「処刑が決定しましたらお知らせください。
この首、即座に差し出します。
では、私はこれにて……」
ミュウズは永遠の辞別を決意していた。
そうして江の島の洞窟に隠れてしまった。
燦紋の心は虚しさに支配された。
無二の友・トール。
初めて愛した女龍神・ミュウズ。
かけがえのない宝を同時に失ってしまった。
虚無なる日々。
骨身を突き刺さす胸の痛みだけが残った。
孤独が身に染む。
その焦燥たるや想像を絶するものだった。
数年が過ぎた。
燦紋の心中は未だ晴れない。
しかし心をざわつかせるのは忿怒ではなかった。
寂しさと『自責の念』だった。
もはや限界!
燦紋は奮い立つ。
波動メッセージを送る。
【もう過去のことは気にせずともよい。
ミュウズと結婚しなさい。
トールがいないと退屈で仕方ない。
それに何より寂しくてたまらん。
一刻も早く外に出てきてくれ。
ふたりで会いに来てくれ。
無二なる友よ、
儂を笑わせてくれ……】
トールとミュウズはメッセージを受け取った。
寛大な温情に感謝した。
そうしてふたりは秘密の棲み処に出向いた。
トールは深く頭を下げた。
「燦紋、ありがとう。
今でも親友でいてくれて……、
ありがとう……」
トールの傍らにミュウズが立っていた。
「燦紋さま、ありがとうございます。
トールと幸せになります」
花が咲いたように笑った。
美しい容貌を一層に輝かせていた。
燦紋は感慨にふける。
……トールとミュウズ。
実にお似合いだ。
『本物縁』を手中にした仲睦まじい二尊。
その姿は柔和で眩しい。
そうしてようやく気がついた。
……ああ、そうか。
ミュウズの意志を尊重すればよかったのだ。
そうすれば、トールとやり合うこともなかった。
もっと早くに祝ってやれた。
儂が横槍をいれてしまった。
想い合うふたりの恋路を邪魔してしまった。
いやはや……、これはしくじった!
「ふっ、ふははははは……っ!」
馬鹿馬鹿しくなって吹き出した。
我ながら滑稽だ。
器の小ささ、了見の狭さ。
不甲斐なさが身に染みた。
思い切り笑った。
涙を流してひとしきり笑った。
すると、意固地の塊が砕けて溶けた。
嘘のように、蟠りは消え去った。
祝意が腹の底から溢れ出た。
「トール! ミュウズ! おめでとう!
ふたりは強い絆の『本物縁』だぞ。
幸せになりなさいっ」
三人は手を取り合って号泣した。
ほどなくして。
トールとミュウズは夫婦になった。
翌年の神在月。
満月の夜のことだった。
ミュウズがひとりの女龍神を伴って。
龍蛇神王『秘密の棲み処』を訪れた。
「儂に何か用事かね?」
ミュウズは顔を上げ、改まって告げた。
「突然の参上をお許しください。
となりに居ります女龍神。
私の親友『貝紫色龍神ユウイ』にございます。
今宵、燦紋さまに折り入ってお願いがございます」
「なんだね?」
「率直に申し上げます。
燦紋様に相応しき御相手をお連れしました。
崇高なる表龍王の伴侶が務まるのはただひとり。
ユウイを措いて他には居りません。
どうぞ龍眼をお見つめになってお確かめください」
ミュウズの言葉は自信に満ちていた。
「うむ。
では、ユウイ。
面を上げよ」
「はい……」
艶やかな女龍神だった。
わずかに好感を抱く。
ユウイの赤紫色の龍眼を照覧する。
ふわり、
柔らかな『何か』に触れた心地がした。
深遠たる包容力か?
みるみるうちに穏やかな優しさに包まれていく。
枯渇していた心中が潤ってゆく。
愛おしい……。
そんな感情が止めどなく溢れ出た。
この出会いこそ!
『本物』であると確信した。
「貝紫色龍神ユウイよ。
儂の妻になってくれるか?」
「はい。謹んでお受けいたします。
不束者でございますが。
幾久しく添い遂げさせてくださいませ……」
ユウイは静かにほころんだ。
そうして。
龍蛇神王と貝紫色龍神は結ばれた。
まもなくして表龍王の子『雷紋』を授かった。
その翌年。
黄金龍王と緋色龍神のもとには『ノア』が誕生した。
極上なる本物縁に。
無二なる友に。
最愛なる伴侶に。
崇高なる天上界に。
心底から感謝した……。 (了)
凛花は胸がいっぱいだ。
心が洗われる素敵な神話だった。
爽やかな感動を覚えた。
雷紋とコン太が会話する。
「出雲大社。
縁結びの神として名高い。
しかし時に。
その縁は当人の望みとは異なることがある」
「確かにそうだねえ!
それは『カミハカリの演算』によって。
決定されているからねえ?」
「本物縁』は人生の旅路を見据えたうえで。
神々の視点を以って決定されている。
そうして最善最良の縁が手繰り寄せられる。
つまり出雲は。
『上々縁』の聖地だね」
「イヒヒッ!
出雲は幸縁結びのパワースポットだ。
もしかしたらみんなの『本物縁』も!
どこかに隠れているのかもしれないねえ?
いつか会えるといいねえ!」
凛花はそっと頷く。
碧い空を見上げて思いを新たにする。
……未來を悲観して恐れていても仕方がない。
希望をもって生きていくべきだ。
毎日をワクワクして過ごす。
それこそが幸縁を引き寄せるエネルギーになる。
……もしかしたらいつの日か。
私にも。
素敵な出会いがあるのかもしれない……。




