第十四章 ①神在月の出会い(稲佐の浜)
箱根町元箱根。
湖畔の紅葉が見頃を迎えた。
九頭龍神社の本宮・新宮には改心した毒龍が祀られている。
昔々、里人を苦しめた毒龍はもういない。
鎮座するのは、心優しくユーモラスな縁結びの龍神様である。
日の出前。
芦ノ湖は白い霧に包まれた。
ぐるぐる、水面が渦を巻く。
……シュンッ!
湖の深奥から漆黒の龍神が天高く飛び立った。
呂色九頭龍神在狼が天空を駆け抜ける。
あっという間に目的地に到着した。
くるり、人間に化身する。
するり、壁を通り抜けた。
所沢市・緑町。
赤煉瓦ベル。
ここは親友の龍使いと最愛の恋人が暮らすマンションだ。
コン太が叫ぶ。
「凛花、起きろ!
遂に遂に時空が来た!
おいらと一緒に出雲へ行くよ!」
早朝六時。
凛花はすでに起きていた。
しかしまだパジャマ姿だ。
「出雲って? 大社?」
「そうだよ! すぐに支度してくれ!
早く早く! 大急ぎでっ」
「わあっ、待って!
五分だけ待って!」
凛花は顔を洗って歯を磨く。
日焼け止めを塗る。
ざざっと髪を梳かす。
黒のロングワンピースに着替える。
ネイビーのカーディガンを羽織る。
財布、スマホ、ハンカチを確認する。
スナイデルのポシェット(ノアからの誕プレ)を斜め掛けにした。
準備完了!
「おまたせっ!」
「イヒヒ、二百八十秒だ。
さすが早いな。
それじゃあすぐに出発だ」
凛花は疑問を抱く。
「ねえ、ノアは? 一緒に行かないの?
めずらしくまだ寝てるけど……」
ノアは布団にもぐって丸まっている。
コン太は考え込むふりをする。
「うーん……、実はねえ……。
ノアは一身上の都合で遅れるんだよ。
だけど後から合流するからノープロブレム!」
凛花は心配する。
「ノア、もしかして体調悪いの?
……大丈夫?」
コン太は肩をすぼめる。
「ノアの心配は無用だよ!
とにかく先に出発するよ?
ほらっ、スニーカー履いて」
「うん……。でも……」
コン太は恋人に優しく声をかける。
「ノア、おいらたちは先に現地に行っているねえ?
無理して急がなくて大丈夫だからねえ?」
ノアは布団をかぶったまま返事をする。
「凛花、必ず後から行くから心配しないで?
コン太、悪いけどよろしくね」
コン太は呂色九頭龍神の姿に変化した。
すっぴん凛花を背に乗せる。
「それじゃあ、お先にっ!
しゅっぱぁーーつ!」
ふたりは瞬間移動した。
大社町杵築東。
ワープして辿り着いたのは宇迦橋の第一の鳥居(石製)の上空だった。
ときは旧暦神無月の十月の十一日。
新暦では霜月の十一月。
まさに今。
出雲地方は『神在月』である。
昨晩七時。
稲佐の浜では御神火が焚かれた。
神迎えの神事『神迎祭』が厳かに執り行われた。
『龍蛇神』が八百万の神々を先導する。
浜から大社へ続く『神迎の道』を進む。
『神在祭』の祭典では。
幸縁結びを祈る祝詞が奏上される。
参集した神々による七日間神議『カミハカリ』が始まる。
出雲に迎えられた神々たちは長屋造りの『十九社』にて七日間滞在する。
普段は扉は閉じられ遥拝所になっている十九社。
この七日間だけは神々の宿所として使われ、その扉は開かれる。
神在祭の神事『カミハカリ』によって。
八百万の神々によって。
未來の方向性が清々粛々と決定されてゆく。
人知れず、良縁幸縁が定まりたる。
人知れず、先々の明暗は分かれたる。
森羅万象すべてに新しき道、示さるる。
七日後。
『神等去出祭』が執行される。
そうして八百万の神々は帰還する。
神在祭の七日間議は終了となる。
今日は神在祭の一日目。
コン太は凛花を背に乗せたまま喋る。
「これからあいつとの待ち合わせ場所。
『稲佐の浜』に向かうよ?」
「うん! 実はね、以前から尊敬していたの。
だからお会いできると思うと嬉しくて……」
コン太は困り顔をする。
「うーん、ごめんよ。
実はさ、カリスマ神霊獣使いは人間が嫌いなんだよ。
それも根底から嫌悪軽蔑レベル」
「え? そうなの?」
「残念ながらそうなんだよ。
あいつは尋常じゃなく冷たくて、あだ名は『氷河期男』だ。
つまり、仲良くなるのは至難の業、ってわけ」
「……そっか、わかった。
お顔を拝せるだけで満足だから大丈夫っ」
「よしっ、それならオッケーだ!
それじゃあ瞬間移動するよ!」
大社町杵築北。
稲佐の浜は出雲大社西方に位置している。
早朝の空気は森閑として冷んやりしていた。
天からは霧のような細雨が降り落ちている。
白い砂浜は潮が満ちている。
日本海の波は荒く激しかった。
弁天島の上空に。
スラリとした長身の男性が浮揚している。
光沢のある白銀色の束帯布袴を身に纏う。
烏帽子は被っていない。
伽羅色の髪がさらさらと風に靡いている。
どうやら。
憧れていたその人はお爺さんではなかったらしい。
凛花は感激に震える。
……なんて、なんて! 神々しいのだろう。
柔らかな白金色の光が放たれている。
キラキラ、全身が煌めいている。
肌は白く端整な顔立ち。
髪と同じ伽羅色の瞳は奥行きがある。
一切の非の打ち所がない、とは。
途方もなく美しいカリスマ神霊獣使いのことではなかろうか。
あきらかに世俗とは一線を画している。
コン太は声を潜めて説明を始める。
「凛花、空に浮かぶキラッキラ男が見えるかい?
あいつがおいらの愛称『コン太』の名付け親だ。
未來王の側近弟子、魔導師四人衆のひとりなんだ。
四人衆は規格外のジーニアス集団だ。
凄まじい能力を有した魔法使いだ。
彼らを欺くのは神であっても不可能だ。
彼らは一瞬で森羅万象のすべてを暴く。
超速で読み取って透視分析してしまう。
だから必然的に畏敬尊敬されている。
八百万の神々もイレーズに格別なる敬意を払う。
そもそも神という立場にあっても!
未來王や魔導師にまみえる機会は滅多にないんだよ」
コン太はさらに続ける。
「あいつの名は『イレーズ』。
イレーズは飛び抜けた天才だ。
十二天将を司る比類なきカリスマだ。
そして宇宙一の美貌を有している。
しかし欠点がある。
異常なまでに気難しくて冷淡不愛想だ。
要するに!
凛花と口を聞いてくれるかどうかすら分からないんだ」
コン太はまとめる。
「と、いうことで! 今日の対処法は……。
ウームムム……。
ま、特に無いんだけどさ?
まあこんなものか! って慣れてしまえばオッケーさ!」
凛花は思わず吹き出した。
「ふふ、承知しました。
大雑把なアドバイス、ありがとう。
ちょっと面白かった」
「まあ、補足だけどさ。
基本的にあいつは悪い奴じゃない。
見た目はもちろんだけど、心根も物凄く綺麗なんだよ。
おいらにとってイレーズは大切なマイベストフレンドだ。
だから悪いけどさ。
多少の当たりの強さは耐えておくれよ。
凛花、ごめんよ。
おいらが代わりに謝っておくよ……」
ペコリ、コン太が頭を下げた。
それは親友への愛で溢れていた。
凛花は神々に感謝した。
カリスマ神霊獣使いに会いたい……、密かに祈り続けていた。
その願いはたった今、叶えられた。
密かに憧れていたカリスマ神霊獣使いに会えた!
この目で拝することができたのだ……!
すうっ……、
ふたりは弁天島に近づく。
コン太はカリスマ神霊獣使い・イレーズに声をかける。
「イレーズ、久しぶりだねえ!
ほら、おいらの背に乗っかっているのが『龍使い・凛花』だよ。
どーぞよろしくねえ!」
凛花は挨拶する。
「はじめまして。凛花と申します」
イレーズは凛花を見ようともせずソッポを向いている。
「あ、あの……、お会いできて、光栄です」
「……………………」(無言)
ツーンッ! プイッ!
完全無視だった。
どうやらよろしく、ではないらしい……。
コン太が仲介する。
「おいおいおいおいっ! イレーズ!
せめて一目だけでもこっちを向けよ!」
「…………」(無視)
「ふーん……? へえ? そう?
それじゃあ!
未來王に言いつけちゃおっかな?」
イレーズは眉間に深くしわを寄せた。
不快げにため息を漏らす。
そして露骨なまでに渋々嫌々と。
ちらり、凛花を視界に入れた。
一瞬、ふたりの視線が重なった。
その刹那、ピリリッ!
体内に電流が走り抜けた。
…………?
凛花は首を傾げる。
不思議な感覚に戸惑った。
コン太はニヤリ、笑う。
「さあさあ!
大社に移動するよ!」