第三章 ③赤煉瓦ベル
所沢市・緑町。
赤煉瓦ベル。
凛花は在宅のアルバイトを終えた。
ソファに腰掛けて紅茶を飲む。
……あたたかくて美味しい。
ふと感慨にふける。
……幼少期の忌まわしい出来事によって。
この身体は『五体満足』とはいえない。
女性としての身体機能は破壊されてしまっている。
思春期のころ。
穢れた身体を心底嫌悪した。
役立たずの『産業廃棄物』と卑下していた。
すべての男性が汚らわしく見えた。
人体を蝕む不浄な怪物に見えた。
目を閉じる。
見知らぬ男が覆いかぶさってくる……。
そんな幻覚に苛まれる。
ようやく眠れても。
弄ばれて喰われる……。
そんな悪夢を見てしまう。
穏やかな日常の中。
不意に恐怖心が襲ってくる。
途端に心は乱れる。
非難と怒りが支配する。
心が弱って荒む。
もうこの世から消えてしまいたい!
自分の痕跡すべてが灰になればいい……!
今住んでいる『赤煉瓦ベル』にはシンパシーを感じる。
土からできた煉瓦は耐久性や耐火性に優れている。
塗装せずとも上質な外観を具える。
古くなるほどに味わいを増す。
砕けば土に還るというサスティナブルな性質だ。
だけど解体されれば産業廃棄物として処分される。
『無害』であるのに『有害物』として扱われる。
それこそが自分の境涯と類似している気がして愛着がわいた。
大学ではコンピュータサイエンスを学んでいる。
サークル活動はしていない。
アルバイトは在宅でのプログラミング作業。
なかなかの高時給だ。
Unityを使ったARアプリケーション開発業務は面白い。
龍使いは人間と深い関わりを持つことが許されない。
だから在宅ワークは有難い。
最近は仕送りなしで生活できるようになった。
龍使いの使命を全うすること。
それは『孤独』を感じるものなのかも知れない。
だけど少しも寂しいと感じることはなかった。
……ノアがいる。
大好きなノアがいる!
心に念じればノアがすぐに飛んで来てくれる。
スーパーの特売品を買い過ぎてしまったとき。
男性に後をつけられて戸惑っているとき。
突然の通り雨に困ったとき。
ふとすると。
目の前にノアが現れる。
そっと寄り添って。
さり気なく傍らにいてくれる……。
赤煉瓦ベルでは。
ふたりの穏やかな『暮らし』が重ねられている。
かなり頻繁に。
ノアの恋人『コン太』が遊びに来る。
そして三人で食事を楽しむ。
賑やかで楽しい時間だ。
お喋りコン太の独演会。
小気味良いアクセントになっている。
宇和島の家族との『深い絆』と同様に。
龍神との間にも『特別な絆』が芽生えていた。
もうひとつ大切な家族が増えた!
そんな幸せな心地だった。
ノアは憂慮する。
本来。
凛花は人懐こい性格だ。
しかし親しい友人はいない。
宇和島の家族のほかに。
心を許せる人間はひとりもいない。
しかしそれは『龍使い』にとって。
当然の日常であるともいえる。
凛花の日常は清貧だ。
他を優先して自己を主張しない。
見返りを求めない。
そもそも龍使いとは対価を得られない。
是契約者から報酬を得ることもない。
契約者との再会すら許されない。
当然ながら。
ひと言の礼すら述べられることがない。
究極の『不採算任務』といえる。
それでも凛花は『是契約者』が現れると喜ぶ。
才能ある人間が『誉』を手にすることを貴ぶ。
是契約者が起点となり恵みを分かち合うことができる。
多くの人々と恩沢を供することができる。
その理を知っているからだ。
これほど聡くて無欲な人間は滅多にいない。
凄まじく優れた人間性を包み隠している。
恐らく。
龍使いのパワーなど行使しなくとも。
己の実力のみで大成できた人物だろう。
凛花は自利を求めない。
あまりに欲が無さすぎる。
だからこそ憂えてしまう。
幼き日の忌まわしい出来事を機に。
誰もが欲する小さな楽しみや喜びさえも。
諦めてしまっているのではないだろうか……?
凛花と同居を初めて十日ほど過ぎたとき。
赤煉瓦ベルにコン太を初めて招待した。
……ノアの恋人に会ってみたい!
凛花がそう言い出したからだ。
不安だった。
漆黒の龍体。
九つの龍頭。
妖異な姿に怯えて震え上がるかもしれない。
九頭龍神の風貌は人間にとって『ホラー』かもしれない……。
その懸念は杞憂に終わった。
呂色九頭龍神の姿を見た瞬間、
凛花はキラキラと瞳を輝かせた。
そして屈託ない笑顔を見せた。
物怖じせずに駆け寄る。
ぎゅうっ!
ハグをした。
それから九つある龍頭を順に撫でた。
目を細めて呟いた。
「かわいい……」
コン太は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
そうして照れながら無邪気に笑った。
「凛花、今日からおいらと友達だ。
だからコン太って呼んでくれ!
今後とも! どーぞよろしくねえ?」
呂色九頭龍神在狼・コン太。
最強パワーの最恐龍神だ。
まさにジキルとハイド。
凄まじい残虐性を潜ませている。
凛花は取扱い注意の危険龍神をあっという間に懐柔した
それもいともたやすく懐柔したのだ。
龍神は瞳を照覧することで人間の心が読める。
だから媚びへつらいは通用しない。
龍神が懐くということは。
龍使いの敬意や真心が『本物』である証なのだ。
……もしかしたら凛花は。
相当な潜在能力を有した龍使いかも知れない……。
凛花は心から感謝していた。
ノアとの暮らしは柔軟で穏やかだ。
『赤煉瓦ベル』での生活は無二なる宝だ。
私は今、幸せだ。
ノアは心の奥底から願う。
コン太とともに願う。
……凛花に幸せになってもらいたい!
たくさん幸せを感じてもらいたい!




