第三章 ①在狼コン太
箱根町・芦ノ湖。
湖上を周航する海賊船上は賑やかだ。
観光客たちのはしゃぐ歓声が響いている。
そんな声音さえも遠く届かぬ湖の深奥に。
『呂色九頭龍神在狼』は棲んでいる。
今日も心地よい静けさの中。
至福のうたた寝の時間を過ごしていた。
…………！
不意に、安眠を妨げられた。
黄金龍王の『怒りの波動』をキャッチした。
芦ノ湖から垂直に飛び立つ。
局所的場所目がけて飛んでいく。
そうして瞬く間に。
滝落としの豪雨が降り注ぐ波動発信地に到着した。
『否アァッ！』
黄金龍王の怒気籠る唸り声が轟いた。
これは契約者のリズムが停止消滅するという明示宣告だ。
同時に。
『否の制裁指令』が下された瞬間でもあるのだ。
在狼に与えられている使命。
それは契約者の運命が暗転した瞬間に立ち会うこと。
そして止めの制裁を下すこと。
……あーあっ、それにしても飽き飽きするねえ？
毎回毎回、似たようなパターンだねえ？
うんざりしちゃうねえ？
またもやまたもや、契約不履行かい？
『是』の采配が『否』に転じた。
龍神界と契約を交わた幸運人間がエラーを起こした。
つまりは契約を違えた。
造形無き『誉』の効力は停止する。
忽ちにリズムは完全消滅する。
エラー人間は見苦しい言い訳をする。
無様に命乞いをする。
おいらはキメ台詞を吐いて最後通告する。
『リズム消滅。鬼畜め、バイバイ！』
制裁が下される。
空蝉インコに変じる。
そうして空へ羽ばたいて消え去る。
最期の時間を過ごす場所へと向かうのだ。
所沢市・緑町。
ひと仕事終えた在狼は人間に化身した。
芦ノ湖の棲み処への帰りしな。
必ず立ち寄る場所がある。
それは龍使い・凛花が暮らす『赤煉瓦ベル』だ。
「おっじゃましまーす！」
「あっ、コン太！
今日は手巻き寿司だよ」
凛花はテーブルに刺身ときゅうりを並べていた。
「あら、コン太。いらっしゃい」
真珠色龍神ノアが迎えてくれた。
龍使いに任命された『あの日』から。
凛花とノアは一緒にいる。
赤煉瓦ベルの1DKでふたり仲良く暮らしている。
そしてそして！
何を隠そう！
ジャンジャカ、ジャカジャジャーンッ！
真珠色龍神ノア、おいらの恋人だ。
龍神界公認！
熱々ラブラブカップルなのだ。
夕食の準備が整って食卓を囲む。
在狼は板海苔の上に酢飯と具材をのせる。
はち切れんばかりに大量にのせる。
そうして巻きこむ。
完成したパンパン海苔巻き。
口いっぱいに頬張った。
「ふんまいっ(美味い)！」
凛花が笑う。
「ふふ。コン太は手巻き寿司好きだよね！
いっぱい食べてね」
ノアは呆れ顔をする。
「もう！ 食べながら喋らないでよ。
行儀悪いわね」
ふと、凛花が訊ねる。
「あのね、今更だけど……。
どうして『在狼』って名前があるのに。
『コン太』って呼ばれているの？」
ふむふむ。
質問に答えよう。
だけどまずはその前に！
お茶をがぶがぶ飲み干す。
ほお張ったパンパン海苔巻き。
喉の奥へと流し込む。
「ぷっはぁっ！
おいらの愛称だよ」
「愛称？ あだ名ってこと？」
「そうさ。
おいらの親友。
『カリスマ神霊獣使い』がつけた愛称だよ」
「わあ、そうなんだ！」
コン太は愉快げに笑う。
「そいつがさあ。
『在狼よりコン太って感じ。
コン太がピッタリ！』
なんて言うんだよ。
ふざけているのかと思ったら真顔でさ。
それでその日から『コン太』って呼ぶんだよ。
そうしたら周りの龍神たちまで『コン太』って呼び始めてさぁ……。
まったく失礼しちゃうよな！
クールでニヒルなおいらのイメージが台無しだよねえ？」
凛花は嬉しくなる。
ほわほわん、
敬慕の念が伝わってくる。
間違いない。
コン太は『カリスマ神霊獣使い』のことが大好きだ。
「ふふっ、あのね。
金柑にも『こん太』っていう品種があるんだよ？
甘くて小さくて可愛いよ」
「おっ、さすがはみかん農家の娘だな。
待てよ……、ということは！
あいつはおいらを！
『可愛い』って思っているんだな！」
「うんっ！ きっとそうだよ」
「イヒヒッ、あいつめ。
だけどおいらのカワイ子ちゃんはただひとり。
おいらのノアへの愛は！
金柑に負けないくらい甘々なのさっ」
コン太は激しくデレた。
凛花はしみじみ感じ入る。
……人間の姿のコン太。
長身美男子だ。
均整の取れた長身逆三角形のスタイル。
健康的で浅黒い肌。
すべてを見透かす瞳はミステリアスだ。
龍神の姿のコン太。
軽快で躍動的だ。
龍眼は金色に縁取られて眼光は鋭い。
龍体の鱗は濡れているかのように呂色に艶めいている。
結論として。
どちらのコン太も。
黙っていれば『クール系の美男子』だ。
だけど。
コン太は決してニヒルではない。
茶目っ気たっぷりの愛らしい美青年だ。
ヤンチャで食いしん坊のお喋り龍神だ。
そしてなんと言うか……。
コン太の存在そのものが萌えなのだ。
ノアに冷たくされると。
シュン、しょんぼりする。
ノアに褒められると。
キラキラ、瞳を輝かす。
とにかく。
ノアにメロメロ、デレデレ。
擦り寄って甘える姿はまるで。
尻尾を振る子犬のようなのだ。
凛花はコン太の名付け親に共感する。
金柑のような甘さと苦みを兼ね備えたパーソナリティ。
在狼より『コン太』がピッタリだ。
秀逸なるネーミングセンスに拍手を送りたい。
迫力ある呂色九頭龍神を『コン太』と呼称するなんて最高すぎる。
おそらくカリスマ神霊獣使いの男性は只者ではない。
龍神の性格を完璧なまでに把握掌握しているに違いない！
凛花は面識なき『カリスマ神霊獣使い』に拍手を送る。
深い畏敬の念を表した。
