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試着室の中にいる

作者: 宮野ひの

 試着室の中にいる。白い壁、私を全身に映す鏡、白い壁、薄いカーテンで四方を囲まれた空間は妙に落ち着く。


 見上げると、天井と照明が目に入り、眩しさに耐えきれずに顔を背けた。


 試着室は、その名の通り、試着をする場所だ。こんなこと、あらためて考える人はいないほどの常識だ。


 しかし、私は試着をしたい服を何も持っていない。服などの商品を手にすることなく、試着室にこもっているというわけだ。


 本来ならば、私がいるべき場所ではないという事実が気持ちを昂らせた。落ち着かなくて、無意識のうちにスマホを取り出した。今しなくても良い、ブックマークに登録しているサイトを上から順に見ていくことにした。


 しかし、Wi-Fiに繋いでいないことに気づき、ギガを食うことを懸念して、すぐにスマホをしまう。誰からもLINEは来ていなかった。


 日曜日。女友達3人と商業施設に買い物に来た私は、あまりの人の多さに気持ち悪くなってしまった。しかし、みんなは元気だ。とてもじゃないけど、休もうなんて言える雰囲気ではなかった。


 相手の顔色を伺い、限界まで我慢すると、突拍子もない行動を取るしかなくなった。私は友達に報告することなく、自分勝手にグループを離れた。何を思ったのか、そのまま目についた服屋の試着室に入ってしまったのだ。


 私の悪い癖だった。店員さんは困っているだろうか。次に、試着室を使いたいお客さんがいたら申し訳なかった。


 カーテン一枚を隔てた壁は心許なかった。人の熱が感じられて、私の存在をうまくかき消してくれた。


 薄々感じていたけど、私はグループの3人から嫌われているのだろうか。むしろ、私抜きの3人で遊びに来たかったのではないか。一人になると、ネガティブな考えが次から次へと浮かんだ。


 今となってみれば、トイレに逃げ込めば良かった。複数の個室があるから、一つ埋まっていても、他人に迷惑をかけることがない。長時間いても、お腹が痛いんだろうなと、きっと見逃してもらえた。


 私が今いるお店の試着室は一つしかない。いや、奥の方にもう一つあるかもしれない。自分のことしか見えていなかったから、周りに何があるか、ぼんやりとしかわからない。


 私が試着室に引きこもっている、この状況を、第三者が見たら腹を立てるだろうな。だって、今この瞬間、私が私に怒っているくらいだから。


 今日、買い物になんて来なければよかった。だけど、家にいたら家にいたで、「みんな今頃買い物楽しんでいるかな」というように、気持ちがとらわれて、心から休むことができなかっただろう。


「お客様、大丈夫ですか?」


 店員さんが、試着室の前から私に向かって声をかけた。焦ったような声色がする。


「体調が悪いのであれば、おっしゃってください」


「あっ、だ、大丈夫です。もう出ます!」


 咄嗟に返事をしていた。最初の「あっ」が、かすれ声だったのが恥ずかしい。


 手元に服を持っていない私が、試着室から急に出てきたら、おかしいと思われるだろうか。しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。いつかはカーテンを開けて、お店を出て、家に帰らないといけないのだから。


 潔くカーテンを開けて、靴を履いた。私は店員さんに向かって愛想笑いをする。


 名札を見ると、初心者マークが貼られてあった。店員さんはひきつった顔をしていた。


 表情が硬いのも、接客に慣れていないからだろうと都合の良いことを考えて、心が傷つくのを避けた。


 店員さんから服の着心地や、サイズは大丈夫かなどの、質問をされることはなかった。勢いで店から出ると、友達3人のうちの一人、えみちゃんとばったり会った。ショートの髪型で、無地のTシャツにジーンズを履いている。ぽかんとした顔で私を見ていた。


「はるちゃん、ここにいたの?」


 えみちゃんは、友達3人の中で一番話しやすい子だった。


 どうやら話を聞くと、3人でいる間、ギスギスした雰囲気になったらしい。原因について聞いたけど、えみちゃんは口を割らなかった。多分、私の悪口を話すとか、そんな感じだろう。


 えみちゃんは、私が先にいなくなったのをいいことに、険悪になったグループを黙って抜けてきたらしい。


「せっかくみんなで遊びにきたのに、うまくいかないね。何でこうなっちゃったんだろうね」


 そういう割には、爽やかな笑顔を浮かべていた。


 これで、2対2にグループが分かれたことになる。妙な心強さと安心感があった。


「はるちゃんは、今までどこにいたの?」


「試着室」


「へっ?」


「そこのお店の試着室だよ」


 えみちゃんが私の指差した先に視線を向けると、あぁと相槌を打った。


「何か気に入った服あった? 結局、買わなかったの?」


 少し勘違いをしているみたいだけど、わざわざ訂正するほどではない。私は「うーん」と曖昧な返事をかえした。少しの沈黙。


「……あっ、じゃあさ。私も服欲しかったんだ。似合いそうな服、一緒に探してくれないかな。ほら、私無地の服ばかり着てるじゃん」


 泣き笑いの表情を浮かべるえみちゃん。服、似合っていたのに、気にしていたんだ。


「いいよ!」


 私は元気よく返事をした。そしたら、えみちゃんは私が先ほど試着室に入っていた服屋に行こうとしたから、やんわりと止めて隣の服屋を指差した。


 ここから良い思い出を作ろう。試着室を見ると、先ほどの記憶がよみがえり、恥ずかしい気持ちになるかもしれないけど乗り越えて見せる。


 最後は4人合流できるかな。


 えみちゃんが、ハンガーにかけられた花柄のロングスカートを、さりげなく人差し指と親指で触ったところを見ながら、「お腹空いたなー」なんてことを考えた。


 いつの間にか気持ち悪いのが治っていた。

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