7.常連客
今日最初のお客さんは、マッチョなおじさん、アークさんだ。職場が近くにあるらしく、肩もみを気に入ってくれて、いつの間にかマッサージの常連客になっている。
アークさんは来るたびに代金を払ってくれるようになり、私はついに、肩もみ代金を設定した。靴磨き中の肩もみが基本だから、靴磨きと同じ銅貨五枚だ。
「よう、今日もきたぞ」
「アークさん、お仕事お疲れ様です」
「おう、今日は、客を連れてきた。肩を揉んでやってくれ」
「いらっしゃいませ」
アークさんの連れてきた人は、綺麗と言う言葉が似合う男の人だった。
マッチョなアークさんとは違い線の細い男の人で、眼鏡をかけていて知的な雰囲気がする。見るからに育ちが良さそうで、路地裏ではとても浮いて見える。
「ほれ、座ってみろ」
「いえ、私はいいです」
「いいから、騙されたと思ってやってもらえよ」
「結構です」
「もったいないぞ。まじで肩が楽になるのに。デリックは肩こりひどいだろう? 試してみろよ」
「……そこまで言うなら、わかりました」
渋々、椅子に腰かけたデリックと呼ばれた男性は、身長が大きくて、座ってもあまり目線が変わらなかった。
「失礼します」
タオルを肩にかけて、そっと肩に触れる。
一瞬、ビクッと動いた体と、眉間に寄った皺に、触られることを不快に思っているのだろうと思った。触られることが苦手な人は、きっと素手が嫌だったりするのだろうと思うのだけれど、この世界にゴム手袋なんてない。
最初はそんなことを考えていたのだけれど、首の付け根から肩の先端まで触れて驚いた。
「かなり凝っていますね」
こんなにガチガチの肩の人は滅多にお目にかかれない。島江ひかりのマッサージ師としての人生でもここまでガチガチの人はいなかった。これは、マッサージ師としての資質が試されるような気さえしてきた。
「もしかして頭痛や、目の疲れ、手足のしびれなんかもありませんか?」
「どうしてわかったのですか?」
振り向いてそう言ったデリックさんは、驚いた様子だけれど、これだけ肩の筋肉が緊張して硬くなっていたら、いろんな症状が出るのだろうから不思議ではない。
「長時間同じ姿勢でいることが多いのではないですか?」
「その通りです」
「痛みを改善するためには、長い時間同じ姿勢を続けないように、心がけてくださいね」
「善処します」
肩を中心にさすって、揉んで、ほぐしていく。
圧をかけても、あまりの硬さに、指が押し戻されるようだ。
あまり力を入れすぎても、揉み返しがくるだろうから、ほどほどの力でほぐしていく。
「終わりました」
「……もうですか?」
「はい。お一人様一〇分で銅貨五枚になります」
「それではこれで追加を頼みます」
そう言って渡されたのは金貨だった。
「え、いや、ちょっとこれは、敏腕マッサージ師の私でも貰いすぎになります」
「こら、このアホ! 金貨なんて路地裏の子供に持たせたら狙ってくださいと言っているようなものだろうが」
アークさんの言葉に、デリックさんは言った。
「そうなのですか……もっと肩もみをしてほしいのですが、お金を払えばいいわけではありませんか?」
「あのな、なんでそんなに極端なんだ。ここの物価を考えろよ」
「それは申し訳ありません」
「それにな、次は俺の番だ。代われ」
常連になったアークさんは、もうどこが痛いのか言わなくてもわかっている。
よく通ってくれているので、肩だけではなく、最近では手を揉んだり、頭を触らせてもらったりしている。
「アークだけずるいですね。私は、肩しかやってもらっていないのですから」
「フン、俺とデリックでは、通っている頻度が違うんだ。俺は常連だ」
大人の男の人達なのに、まるで子供の喧嘩のようで、笑いそうになる。
「しかし……女性が一人、路地裏で商売するなんて危険ですね」
「いえ、いつもは一人ではなくて、今日は偶々です」
今のところ、私は荷物を取られたぐらいで、危ない目にあったことはない。けれど、最近では、お客さんが増えて明らかに稼いでいるから、防犯面で不安になってきたのは確かだ。
「ふむ、一緒にいれば、いつでも肩もみをしてもらえるわけですね」
「おい、よからぬことを考えるなよ」
「……しかし」
「とりあえず、今から仕事だ。帰るぞ」
アークさんが名残惜しそうなデリックさんの肩を押しながら歩いて行く。
その翌日、デリックさんは私のマッサージを気に入ってくれたようで、朝一番のお客様として来てくれた。
「おはようございます」
「おはようございます。肩もみをお願いします」
「昨日帰ってから、痛みがでたりしませんでしたか?」
「はい、むしろスッキリして、頭痛が軽減されたのも、肩がこんなに楽だったのも久しぶりでした」
「そうですか、それはよかったです」
デリックさんは、妙に存在感があって目立っている。所作から品の良さがにじみ出ているし、靴磨きしなくていいほどピカピカの靴は、路地裏でも見ることがない高級な物だ。家にいたころ、家族の靴を磨いたこともあり、貴族が履くレベルの靴に触れていたからこそわかるけれど、かなりのお金持ちだろう。
「終わりました」
「……もうですか?」
「はい、一〇分経ちました」
「……もう少しだめでしょうか?」
座ったデリックさんと立っている私の高さの関係で、デリックさんが自然と上目遣いになった。知的眼鏡の美形の上目遣いに、自然と首を縦に振っている自分が恐ろしい。
「では一〇分延長されますか?」
「いいのですか?」
パァと顔を明るくさせたデリックさんは、ポケットから中身がパンパンに詰まった巾着袋を取り出し、銅貨を十枚手渡してくれる。
「ちゃんと両替してきましたから、これは全部銅貨です。これでいつでも通えますからね」
「ありがとうございます。銅貨十枚、確かにいただきました。それでは、肩と、手も少し触ってもよろしいですか?」
「はい」
肩から腕にかけて、筋肉の張りを確認して、手のひらを揉みほぐす。素手で触れても嫌そうな様子がないことにほっとした。手を触っている内に、私はデリックさんの指にペンだこができていることに気づいた。皮膚の硬化の仕方から、かなり長い期間ペンを握っていることがわかる。
「手を揉んでもらうのがこんなに気持ちがいいとは知りませんでした」
「デリックさんは文字を書く時間が長いようですね」
「ええ、それは、もう毎日何十時間も」
「お疲れ様です」
話を聞く限り、デリックさんは文官だろうと思う。気持ちがいいと言われるとやっぱり嬉しくて、顔がにやけてしまいそうになるのを我慢する。
「本当に、素晴らしい技術ですね」
「そう言っていただけると嬉しいです。ありがとうございました」
その後、いつもなら暇なお客さんが来ない時間にも関わらず、すぐに次のお客さんが来てくれた。靴磨きよりもマッサージ希望者が多かったのは、デリックさんが気持ちよさそうにしている姿が宣伝になったのかもしれないと思う。
帰り道、いつもよりも重くなった袋には銅貨がたっぷりと入っている。
「ニコラさん、ただいま帰りました。今日も忙しかったですよ」
「そうか」
「お金貯まってきたから、今日は美味しい物食べちゃいます?」
「贅沢はやめておけ」
ニコラさんはお金をいつもより稼げた日だって、絶対に贅沢はしないし、かなり堅実だ。最近では、マッサージを楽しみにしてくれるお客さんが増えて、時にはお客さんが列を作って待ってくれていることがある。だから、食べ物に困る日はない。いつまでもニコラさんの家にお世話になるわけにはいかないから、お金を貯めていつかは出て行かなければならない。そう考えながらも、ニコラさんと二人で過ごす日々は穏やかで居心地がよいのだ。
固い床で眠ることにも慣れて、疲れで身体が睡眠を欲しているから、私は毎日ぐっすりだ。
けれど、その日は真夜中に物音で飛び起きた。
「な、なに?」
「ソフィ、誰か来たようだ」
「え?」
「ここからドアの前を見ろ」
窓の隙間から外を覗けば、防犯のための入り口に立てかけていた板が倒れている。
それは、風で倒れるようなものでもなく、誰かがドアを開けた時でないと倒れない。
「いったい誰が」
「しっ、静かに」
鼻の前に人差し指を立てて、静かにするように託された私は、口を両手で覆った。
すぐ近くのドアの向こうで、足音がする。
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