42.恋愛
「私で良ければ、お話聞きしますよ?」
「ソフィは……」
目線をあちこちに動かしているニコラさんは落ち着かない様子で、口を開いた。
「お……ん……と思うか?」
「え、はい?」
声が小さくて上手く聞き取れずに聞き返せば、私の方を直視することなくやはり目線がキョロキョロと動いている。
「ソフィは……」
「はい」
小さな声でも聞き逃さないように耳を澄ませる。
「俺をおじさんと思うか?」
「へ?」
自分を指さして、真剣にそう言ったニコラさんは、冗談を言っているわけではないようだ。
「ソフィぐらいの歳の子から見れば、俺はおじさんだろう?」
一七歳の私と、二七歳のニコラさん。歳の差は一〇歳もある。前世の私よりニコラさんの方が年下ということもあり、そんなことあまり考えたことがなかった。
「ニコラさんはおじさんではないと思いますけれど?」
「本当か?」
「ええ、ニコラさんは、その何と言いますか、おじさんの特徴はありませんし」
「特徴?」
「ニコラさんは、お腹が出ているわけでもないし、頭皮が寂しいわけでもなくて、説教ばかりして小言が多いわけでもないですし。その、外見は若々しいと思いますよ?」
「……でも俺のこと四〇ぐらいに見えると言っていただろう?」
「え?」
「俺ははっきりと覚えている。くつろぎ亭の部屋で、ソフィが髪を切ってくれた時だ」
そういえばそんなことがあったことを思い出す。
出会った時のニコラさんは、長い髪や髭で、ほとんど顔が見えなかったのだ。今と違い生気がなかったから、中年男性だろうと思っていたのだ。
「あれは、出会った時、ニコラさんは髪が長かったし、顔がはっきり見えなかったので」
「しかし、顔が見えた後も、ソフィは俺のことを三五ぐらいに見えると言っていたぞ」
思ったより、老けて見えたことを気にしているらしいニコラさんに、思わず小さく笑ってしまった。
「プッ」
「これでも真剣に悩んでいるんだ」
「アハハ、少しぐらい年上に見えても損することもないと思いますけれど?」
「それでは、俺は恋愛対象になるのだろうか?」
言われた言葉を飲み込むのに時間がかかった。
「れ、んあい?」
あの、恋と愛の、恋愛?
ニコラさんの口から恋愛という単語が出るなんて想像もしていなかった。
じっと見つめられて心臓がドキドキと高鳴っているのがわかる。
そっと視線を逸らしながら、好きだと伝えるならば今だと思った。
たった二文字。
二文字の言葉を伝えればいいだけなのだ。
それなのに、喉の奥に用意しているはずの言葉を口から出せずにいた。
その躊躇した一瞬、私が口を開くより先にニコラさんが口を開いた。
「気になっている女性がいるのだが、相手は若く、俺のようなおじさんを相手にするのは抵抗があるのではないかと心配なんだ」
気になっている女性?
相手は若い?
言われた言葉を脳内で処理をする、ほんの数秒で私は悟った。
これは聖女様の話だと。
一瞬でも自分の話かもしれないと思ったことが恥ずかしくて、顔に熱が集まるのがわかった。
聖女様が何歳かなんて知らないけれど、確実にニコラさんよりは年下だろう。ニコラさんと聖女様の関係はわかっていたことだから、ショックを受けることなんてないのに。
それでも心が痛むのは、やっぱり好きだからだ。
「やはり若者から見れば俺のようなおじさんは相手にできないだろうか?」
「……きっと、好きになったら年齢なんて気にならないですよ」
「そうか?」
「少なくとも私はそう思います」
自称おじさんのニコラさんを好きな私が言うのだから間違いない。
けれど、ニコラさんには聖女様と言う伴侶がいるのだから、もう諦めなければいけないのだと思う。
好きな人に好きだと告げなかったことを前世で後悔したけれど、今この気持ちを伝える気にはなれなかった。それでもこうして二人でゆっくりと話せるチャンスがいつくるかわからないのだから、せめて、感謝の気持ちだけは伝えておきたい。
「初めてあったあの日、私はニコラさんに救われました。あの日私に声をかけてくれてありがとうございました」
「いや、礼を言うのは俺の方だ。俺はソフィと出会わなければ、まだ路地裏にいたと思う」
「私は何もしていないですよ。お世話してもらった側ですから」
「そんなことはない。俺はソフィが頑張るその姿を見て、もう一度頑張ろうと思えたのだから」
「それを言ったら私だって、ニコラさんのおかげで今があるのですから」
お互いに相手のおかげだと言い合う私たちは、目を見合わせて笑った。
「互いに、互いの存在に救われたのだな」
「はい、出会いに感謝します」
「俺もだ」
ああ、やっぱり好きだなって。
そう思ったけれど。
もちろん口には出さなかった。
しばらく外を眺めて考え込んでいるニコラさんの横顔を見て、私は何とも言えない気持ちになった。
さっきまで二人きりでいられることが嬉しかったのに、今は早く馬車が進めばいいのにと思ってしまう。
その内に馬車が停車した。
「休憩のようだな」
「私、外の空気を吸ってきます」
馬車の外に出て、背伸びをする。
青い空はどこまでも綺麗で、濃い緑の匂いを吸い込んで深呼吸した。
真上を見上げて太陽の眩しさに目をつぶれば、涙が流れてくる。
涙で潤む視界で、早歩きで川沿いまで移動する。
川の水で顔を洗って、流れてくる涙を一緒に洗い流した。
好きだと思える相手ができただけで幸せじゃないか。
相手に好きな人がいたけれど。
「それでも好きだった」
本当に。
初恋は実らないなんて言うけれど、どうやら本当らしい。
何度も川の水で顔を洗っていると、近寄ってきたのは馬を引いたオーリー殿下だった。
「ス―ちゃん、気持ちがよさそうだな」
もう涙は止まっていた。
持っていた手拭いで顔を拭く。
顔を上げた先にいるオーリー殿下には泣いていたことはわからないはずだ。
「お疲れ様です」
「ああ、俺も顔を洗うかな」
「冷たくて気持ちがいいですよ」
目が合った瞬間、オーリー殿下は眉をひそめた。
「スーちゃんどうした? 元気がないではないか」
妙にするどいオーリー殿下にドキッとした。
「元気ですよ」
「馬車の揺れで気持ちが悪くなったのではないか?ここからは一緒に俺の馬に乗るか?」
「いいのですか?」
「もちろんだ。兄上には言っておく」
「お願いします」
今はニコラさんと二人きりでいるより、外の空気を吸っていたかった。
「さあ、エリザベスに乗るぞ」
オーリー殿下の馬には砦に来るときにもお世話になったけれど、馬の名前まで知らなかった。
オーリー殿下に支えてもらいエリザベスに跨る。
来た時とは違い、のんびりと進む馬の上では話をする余裕があった。
「お名前エリザベスちゃんと言うのですね?」
「ああ」
馬を見比べることが今までなかったから気づかなかったけれど、エリザベスちゃんは美しかった。筋肉の付き方や毛並みがどの馬よりも素晴らしい。
「エリザベスちゃんは美人で気品がありますね」
「そうだろう?」
「はい、凛とした雰囲気が名前と合っていますね」
「エリザベスはオスだがな」
「え? オス?」
「最初見た時から美人でな、メスだと思ってエリザベスと呼んでいたのだ。後になってオスだと気づいたのだが、呼び慣れてしまった後だったからそのままなのだ」
「アハハ」
さっきまで泣いていた自分がもう笑っている。




