40.オーリー殿下
その夜、隊長さんには、砦の内部にある部屋を勧められたけれど、最後の日は塔のいつも使っている部屋を使わせてもらうことした。
部屋に帰ってからは、いろんなことがあったせいか、目が冴えてしまいなかなか寝付くことができなかった。だから小さな物音にもすぐに気づいたのだ。
トントントンと階段を上る音が聞こえて起き上がる。
こんな夜更けに誰だろうかと、そっと扉を開けて覗いてみる。
私の視線の先には、ランプの明かりを持って階段を下りてくるオーリー殿下の姿があった。
扉を開けた私に気づいたオーリー殿下と視線が混ざり合う。
「あ」
「悪い。起こしてしまったか?」
「いえ、なかなか眠れなくて起きていたんです」
この塔にいるのは、私と、サラさんだけなのだ。だから恐らくオーリー殿下はサラさんのところに行ったのだろうと思う。
ランプを持って下りてきたオーリー殿下は 夜だからか疲れた顔をしていた。元気のないオーリー殿下を見て、この人もこんな顔をするのだなと意外に思った。
「サラさんのところに行っていたのですか?」
「なぜサラを知っているのだ?」
「知っているというか、マッサージをおすすめした時に、一度お会いしただけです」
「それで、サラはマッサージを受けたのか?」
「いえ、黙ったままだったので、何もせずにすぐに部屋を出ました」
「そうか……」
「サラさんは、ニコラさんのお母様ですよね?」
ひどく驚いた様子のオーリー殿下の様子に首を傾げる。
「なぜ知っている?」
「なぜって、あんなにそっくりな顔をしていたら誰が見ても気づくと思いますよ」
「そんなに似ているか?」
「はい。頬骨の角度や、目や鼻のパーツの配置もニコラさんとほぼ一緒だと思われます。骨格が似ているのでしょね」
「そんな変な視点で見ている奴はいないぞ」
「え? そうですか? でも雰囲気も似ているし」
無意識なのか、小さな溜息を吐いて疲れている様子のオーリー殿下。気だるげな様子が妙に色気を醸し出しているけれど、こんなに覇気がないオーリー殿下を見るのは初めてだ。
「大丈夫ですか?」
「ん? 何がだ?」
「何がって、なんとなくお元気がない気がしたので」
「元気がない? そうだな、疲れているのかもしれない」
いつもは飄々として掴みどころがないのに、なんだか弱っている様子が以外で気づいたら口が動いていた。
「マッサージいたしましょうか?」
「マッサージ?」
オーリー殿下の疲れ具合を見ていたら、前世のお店で来店してくれていた常連のサラリーマンのお客さんを思い出した。月末になるとやってくるその人は、マッサージに来ることを楽しみに、月末の激務を乗り気っていると言ってくれていたのだ。
「お疲れのようなので、もしよければですが……」
「そういえば俺はスーちゃんのマッサージを体験したことがなかったな」
オーリー殿下とは顔を合わせる機会があっても施術する機会はなかった。
「気持ちよすぎてギャフンと言わせて見せましょう」
「ははは、なんだそれは」
「どうぞ」
扉を開けてオーリー殿下を招き入れたら、室内を見たオーリー殿下は目を丸くして驚いていた。
「……なんだここは」
この部屋は騎士のみんなから貰ったプレゼントでできている部屋だ。レースのついたピンクのカーテンや、小花柄の可愛らしいシーツなど女の子らしいプレゼントものばかりだから大変可愛らしい部屋が出来上がっている。殺風景な塔の中で、ここだけ別の空間のようだから、オーリー殿下が驚くのも無理はない。
「砦の騎士達がマッサージのお礼にと生活用品をプレゼントしてくれたんです。今着ているこの服も全部」
「そんなにマッサージはよいものか?」
「一度体験して見ればわかりますよ」
オーリー殿下は将来、上客になること間違いなし。
腕まくりをして気合を入れた私は、まずは疲れた顔でベッドに腰かけたオーリー殿下の全身状態を確認することにした。
「はい、では横になってください。うつ伏せでお願いします」
頭から足先まで確認して驚いた。
オーリー殿下はかなりいい身体をしていた。
日ごろから鍛えていなければこの体つきにはならないだろう。
「殿下は今おいくつですか?」
「二二になったな」
「若いだけあっていい身体していますね」
「若いって、スーちゃんの方が若いだろう」
「え、ああ、そうですね」
「スーちゃんは、若者っぽくないな」
時折忘れそうになるけれど、ソフィ・ブラウンである私は若いのだ。ただ、前世を含めると五〇を超えているのだから、内側からにじみでる何かがあるのかもしれない。
「そういえば、私、一七になりました」
前世を思い出したときは一六歳だったけれど、砦で暮らしている間に誕生日が過ぎていた。
「誕生日はいつだ?」
「三日前です」
そう言った瞬間、うつ伏せに寝転んでいた殿下が手をついて上体を起こして振り返った。
「なんだと? それでは祝いができなかったのではないか?」
「これまで特に祝う習慣もなかったので、問題ありません」
この国で一般的なのは、一年の成長を神に感謝して、家族で御馳走を囲むのだけれど、実母が亡くなってから一度も祝ってもらった覚えがない。それに、もう小さな子供でもないのだから祝うことができなくても問題ないのだ。
「悪かった。俺が嘘をついたばかりに」
「本当に気にしないでください」
何やら言いたげな視線をもらったけれど、気を取り直してマッサージだ。
「殿下は、しなやかな身体をしていますね」
「そうか?」
「ええ、柔らかくて強い、とてもいい筋肉です。とくにこの背筋」
弾力性のある素晴らしい背筋の圧し心地は、これまでで一番かもしれない。
「そんなところを褒められたのは初めてだ」
「本当に素晴らしい筋肉です。この身体を維持するためには、日々の鍛錬が必要でしょうから、殿下は努力家なのですね。ちょっと見直しました」
黙ってしまったオーリー殿下はどうやら照れているようだ。ほんのりと赤くなった耳を見て、可愛い所もあるのだと笑いそうになった口元を引き締めた。
「それでは、痛かったり、くすぐったかったり、何かあればすぐに教えてくださいね」
「ああ」
足の裏から、ふくらはぎ、太ももと下半身を満遍なく揉み解していく。
「なるほど」
「はい?」
「皆がソフィのマッサージの虜になるわけだな」
「お気に召していただけましたか?」
「あのデリックが毎日通う理由がわかった」
「デリックさんは、肩こりがひどいのです。だから、とくにマッサージを気に入ってくださっています」
そのまま上半身を揉み解していくと、オーリー殿下の身体から完全に力が抜けた。
まさかと思って、顔を覗き見れば、完全に目が閉じている。
「オーリー殿下?」
「……」
「殿下?」
眉をひそめてうるさいと言わんばかりの表情で寝返りをうったオーリー殿下は、それから何度起こしても起きなかった。
「殿下痛くはないですか?」
眠っているのだから当然返事なんてなくて、マッサージの手を止めた。
「本当に疲れているみたい」
しばらく、ロッキングチェアに座り寝顔を見ていたら私も眠くなってきた。
スヤスヤと気持ちよさそうに眠っている殿下を見ながら椅子に座ってユラユラ揺れる。
「ふわわわ、私も眠たくなってきた」




