38.謝罪
正座したオーリー殿下は、私を見上げて言った。
「神聖国の騎士がソフィの命を狙っているというのは嘘だ」
「は? え? 嘘?」
「そうだ。そんな事実はない」
まさか、嘘のはずがないと、過去を振り返ってみる。
そもそものはじまりは、アークさんがお店の前で待ち伏せまでして助けに来たと言ってくれたことからはじまったのだ。あの時の緊迫した雰囲気が演技なわけがないと思ってアークさんの顔を確認すれば、気まずそうに目を逸らした。
「う、嘘ですか?」
「うむ、そうだ。よって、馬に乗っている時に攻撃されたのも嘘だ」
「え、あの、でも、弓が飛んできて、オーリー殿下は馬から飛び降りましたよね?」
「ああ、飛び降りたぞ。だが、命を狙われていないのだから、追手はきていない。だから、弓が飛んでくるはずがない」
「え、えええ」
「そもそも弓が飛んできたのを見ていないだろう?」
そう言われるとそうだけれど、あれが演技だったなんて考えられない。
「でも、追手が来たと話している時に、後ろから馬の蹄の音が聞こえましたよ」
確かに馬の蹄の音を聞いたのをはっきりと覚えている。
「すまん。あれは俺だ」
そっと小さく手を上げたアークさんは申し訳なさそうな表情だ。
馬から飛び降りるなんて荒業をやったのに、嘘だなんて信じられない。そもそも、なんでそんな嘘をつく必要があるのか不思議だ。
「本当に嘘なんですか?」
「全部嘘だ」
「……」
黙り込む私を上目遣いで見ているオーリー殿下。
「怒らないのか?」
「なぜそんな嘘をついたのか聞かせていただきたいです」
怒るとか怒らないとかではなくて、嘘をついた理由を知りたい。
「言わないとダメか?」
「まあ、理由を知れば納得できるかも? ですし」
「ふむ、そういうものか」
「ええ」
「では、言うぞ」
「はい」
「俺は、兄上のことが好きなのだ」
「ん?」
ポッと頬染めて、恥じらうような姿に呆気に取られてしまう。
「兄上は尊い」
「え? まさかのBL?」
「ビール? なんだそれは?」
うっかり心の声が漏れた私は、全力でなかったことにしようと決めた。
「ブラザーラブ」
「は?」
「なんでもありません。それで、オーリー殿下がニコラさんを好きなのと嘘をついたことがどう関係しているのですか?」
「ソフィ・ブラウン、君と言う存在は、兄上にとって希望の光だ。ただし、小さな小さな光なのだ。だから、俺は吹けば消えてしまうかもしれない小さな光を、大事にしまっておかなければならなかったのだ」
「はい?」
それまで黙って成り行きを見守っていたニコラさんが、オーリー殿下の頭をグーで拳骨した。
「い、いたっ!」
「意味不明な発言をするな。きちんとわかりやすく説明しろ」
「わかりました。要するに、ソフィは保険だったのだ」
「保険ですか?」
保険と言われても全く意味が分からない。
「聖女の治癒が成功すればそれでよし。しかし聖女の神聖力で治癒ができなければ、兄上の足を治せる可能性があるのはソフィ・ブラウンのマッサージだけだ。けれど聖女の要望で目の届く範囲に君を置いて置けない。でも、他国に行かれては困る。だから俺の権力の及ぶ範囲で安全な場所にいてほしかったのだ」
「それで、安全な場所がここだったというわけですね?」
「その通り」
悪びれもなくそう言ったオーリー殿下に、ニコラさんは溜息を吐いた。そしてオーリー殿下の頭に手を置いてグッと下に押した。
「ソフィ、すまなかった。弟が迷惑をかけた。俺からも謝罪する」
二人のつむじを前に、私は思い出していた。
一人で馬に乗っている間の不安、馬から落ちた時の痛みと筋肉痛。打ち身により青あざは消えるまでに時間がかかった。牢屋もどきな部屋で過ごし、女スパイと間違えられてスーちゃんと呼ばれ、尋問と言う名のマッサージまで施して日々を過ごした。隊長さん含め砦の騎士達が気のいい人だったから、問題がなかったけれど、なかなかひどい目にあっていると思う。命の危険があったって不思議じゃなかったはずだ。
私の思考を読んだかのように、今まで黙っていたアークさんがポツリと呟いた。
「ソフィに危険が及ばないように、常に見張りを置いていた」
「え? 全く気づきませんでしたよ」
「王家の影を使ったんだ。危険が迫ったら救出するように手配はしていた」
王家の影と言うのは、王族が動かせる特殊部隊のようなものらしい。一応安全に配慮してくれていたらしいけれど、どうも釈然としない。
「悪かった。すまん」
アークさんまでもが頭を下げて謝罪をするものだから、私の前にはつむじが三つ。
「……頭を上げてください」
「許してくれるのか? なんでも願いを言ってくれ」
キュルルンと音がしそうなほどの可愛らしい瞳で上目遣いをするオーリー殿下。絶対にわざとだ。無駄にいい自分の容姿を最大限に活用しているのがあざとすぎる。
実際はそんなに怒っていないけれど、このまま許すのもどうかと考えていると、ニコラさんが言った。
「オーリーは本当は優秀なのに、わざと何もできない振りをしている。それに女は苦手なくせに、女好きのふりをして、自分の評判を落としているのだ。オーリーが本気でやろうと思えば大抵のことはできる。だから何でも願いを言っていいぞ」
確かに、巷では、女好きの無能な皇子というのがオーリー殿下の評判だけれど、それがわざとだったとは、もはや本当のオーリー殿下がわからない。
「オーリー殿下は嘘つきすぎです。なんで能力があるのに無能な皇子のふりをしているのですか?」
「俺は兄上こそが皇帝にふさわしいと思っているからだ」
「俺はオーリーの方が皇帝にふさわしいと思っているけどな」
仲がいいのか悪いのかそんなことを言い合っている二人を前に私は、これまで起こった出来事を教えなければと思った。
「私は馬に一人で乗ったのは生まれて初めてでした。もちろん馬から落ちたのも、牢屋で寝泊まりしたのも初体験です。身を隠さないといけないからと思って名前も名乗れずに、ここでの呼び名はスーちゃんですよ」
「スーちゃん?」
小首を傾げて不思議そうな二人。
「女スパイではないかと怪しまれておりましたので、スパイのスーちゃんです」
「プッ。アハハハハ」
私を指差して大声で笑うオーリー殿下の頭を叩いてやりたいけれど、さすがに皇子の頭を叩くのはどうかと思い、踏みとどまる。
「ス、ス、スーちゃん。女スパイのスーちゃんがいるぞ! プハハハハ!」
笑いが止まらないらしいオーリー殿下は床を叩いて大笑い、対称的に反対を向いて笑いを堪えている様子のアークさん。そしてニコラさんは、眉毛を下げて可哀想にと言わんばかりの顔で私を見ていた。
「ソフィ、苦労したのだな」
「ええ、まあ。それなりに。でも、この砦の隊長さんをはじめ騎士のみんながとてもいい人達だったので」
「そうか、この砦の騎士達には感謝せなばならないな」
存在感を消して部屋の隅でずっと様子を伺っている隊長さんとドニは、恐れ多いと言わんばかりに頭を下げていた。




