37.嘘つき
私はその時になって思い出した。
とある日のニコラさんとの会話の内容を。
以前、ニコラさんが、足が動かなくなった理由を話してくれたことがあった。母に刺されたという傷を見せてくれて、その時に母は昔見張り台に使っていたという塔にいると言っていたのだ。王家の森の北にある、見張り台に使っていた塔なんてここしかないのではと思う。
「私のことは気になさらないで」
痩せ気味のサラさん、年齢的にも膝や腰に負担がかかっているのだろう。黙ったまま外を見ていて、あまり乗り気ではない様子だ。どうしたものかと隊長さんを見れば、視線で行けと合図される。
拒絶の雰囲気を感じ取りつつも、サラさんの座っている椅子に近づいて目線を合わせた。
「お身体を触らせていただいてもよろしいですか?」
「……」
無言の拒絶に、これはやっぱり難しいのではと思いながら隊長さんを見れば、隊長さんも無理だと判断したようだ。
「サラさん、何かお困りのことがあればいつでも言ってください。また伺います」
「……ええ」
隊長さんと二人で、また階段を下りる。
「ああいう感じで、我々とも交流なさろうとしないのだ。女性なら受け入れてくれるかと思ったのだが、無駄足を踏ませてしまって悪いな」
「いえ」
サラさんがニコラさんのお母さんなのか確かめたかったけれど、話しかけることさえできなかった。
「サラさんはなぜここに住んでいるのですか?」
「なんだ? スパイ活動か?」
「違いますよ。なんでお年寄りがこの塔にいるのか気になっただけです。私は断じてスパイではありません」
「フッ、そんなこと、とっく知っている。こんな無防備なスパイがいてたまるか。で、そろそろ名前は言えるようになったか?」
「うっ、それは、まだご勘弁を」
「一生スーちゃん呼びでいいなら俺は一向にかまわんがな」
「それは嫌」
「フッ、今日からスーと呼んでやろう」
ニヤニヤと笑いながらそう言った隊長さんは、次回のマッサージの時に、激痛のツボを押してやろうと思う。螺旋階段を下りて、私の部屋の前で隊長さんは立ち止まった。
「ほら、入れ」
「は―い」
「スー、早く身元を明かせよ」
「え?」
「いちいち、鍵をかけるのが面倒くさい」
部屋の扉を閉めてそう言った隊長さんは、外から鍵をかけた。
確かに、騎士達からのプレゼントのおかげで、自分の部屋化して忘れそうになるけれど、一応ここは、牢屋のようなものらしい。
最初来たときは、硬いベッドも、鉄格子付きの窓も、重々しく感じたものだ。それが今では、硬いベッドにはフカフカなマットレス、ベッドサイドには可愛らしいオレンジ色のランプ。机の上にある花瓶には常に新しい花が飾られているから、居心地のいい部屋へと変わった。
砦の騎士達のマッサージをして日々過ごして、それなりに充実した毎日はあっという間に過ぎていく。
そんなある日、砦が慌ただしくなった。
鉄格子越しに窓の外を見たら、いつもはのんびりと見回りの騎士が一人いるだけなのに、たくさんの騎士が行き交っている。背伸びをして下を覗き込めば、指示を出している隊長さんの姿が見えた。いつもは簡素な格好をしている騎士達が鎧を着こんでいて、明らかにいつもと様子が違っている。
「スーちゃん」
部屋の扉に付いている小窓から、声をかけてくれたのはドニだ。
「はーい」
「今日は忙しくて、尋問は中止っす。ご飯置いとくっすね」
「うん、騒がしいけれど、何かあったの?」
「お偉いさんが来るらしいっす」
「お偉いさん?」
「そうっす。だからスーちゃんは大人しくしておくっすよ」
「あ、うん、わかった」
忙しそうなドニは、ご飯を置いたらすぐにいなくなってしまった。
王城から来るという偉い人、もしかしたらオーリー殿下かもしれないと思ったらソワソワしてしまう。
それからしばらく外を見ていたけれど、騒がしくて人が来たようだとなんとなくわかるものの、角度的に誰が来たか見ることはできなかった。見えそうで見えないという状況が余計に気になる。
「お偉いさんって誰だろう?」
毎日マッサージをして過ごしていたから、急に何もすることがないと手持ち無沙汰になってしまい落ち着かない。意味もなく窓から外を覗いて部屋をウロウロしてしまう。
しばらくすると、そんな落ち着かない時間を過ごす私の部屋の扉が音を立てて開いた。
「スーちゃん!」
慌てた様子で入ってきたドニは、肩で息をしていて急いでここまで来たことがわかった。
「そんなに急いでどうしたの?」
「どうしたの? じゃないっすよ」
「何かあった?」
「何かならありまくりっす! スーちゃんを呼んで来いって。隊長命令で」
「隊長さんが私に用事?」
「スーちゃんに用事があるのは、皇子様っす」
「皇子様?」
オーリー殿下が迎えに来てくれたのだろうと思った私は納得して頷いた。
そんな私の肩をつかんだドニは、耳元に顔を寄せて小声で呟いた。
「……逃げるなら今っすよ」
「え?」
「スーちゃん、本当にスパイでやばいってオチじゃないっすよね?」
「大丈夫だよ。スパイじゃないから」
「本当っすか? でも殺伐とした雰囲気でやばい空間が出来上がってたっすよ」
「ドニ、ありがとう。でも大丈夫だよ」
実際に何か悪いことをしたわけではないから、堂々としていればいいのだ。
「よし、行こう。早く行かないと怒られちゃうよ」
「それはそうっすけど、本当に大丈夫っすか?」
「もちろん!」
そうしてドニに案内されたのは、砦の中央にある建物だった。尋問室にしか行ったことがなかった私は全てが新鮮でキョロキョロとしてしまう。
「ス―ちゃん、ここっす」
一際大きな扉を指さしたドニは、緊張感漂う雰囲気で扉に手をかけている。
「失礼します!」
ドニに続いて中に入れば、そこにいたのがまさかの人物で信じられなくてピタッと体が固まってしまう。
「ソフィ」
これが本当に現実なのか信じられなくて、何度も瞬きをした。
「ニコラさん?」
まさかニコラさんが来るなんて思っていなかったから、驚いてしまう。
「遅くなってすまない。全部聞いた」
「え?」
「オーリーから全て聞いた」
ニコラさんの後ろには頬を腫らしたオーリー殿下と、何とも言えない顔をしたアークさんが立っていた。
「ほら、ソフィに言うことがあるだろう?」
ニコラさんにそう言われたオーリー殿下は、私の目の前に来ると、頭が床に着きそうなほど頭を下げた。
「申し訳なかった。許してくれ」
オーリー殿下が頭を下げただけでも驚いているのに、オーリー殿下の隣に並び立ったアークさんも頭を下げるではないか。
「俺も悪かった」
「え、えええ、何事ですか?」
私はオーリー殿下やアークさんに謝られるようなことは何もされていない。むしろ助けてもらったことしかなくて、困惑している。
「ソフィ、オーリーは嘘つきだ」
そう言ったニコラさんの言葉にますます意味がわからなくなる。
「え?」
「その通り、俺は嘘つきだ」
うんうんと頷いてそんなことを言うオーリー殿下に私は首を傾げることしかできなかった。
「ソフィが混乱している。きちんと説明しろ」
「もちろん」
そう言ってオーリー殿下は、私の目の前の床に正座した。
「……なぜそこに?」
「むかついた時に、頭に手が届かなければ叩くこともできぬからな」
「叩きたくなるほどむかつくってことですか?」
清々しいほどの笑顔で頷くオーリー殿下。
「心して聞くがよい」
そう言ったオーリー殿下の頭を叩いたのはニコラさんだ。
「偉そうにするな」
二人のやり取りに、もう私は何に驚けばいいのかわからなくなっていた。




