32.待ち伏せ
それから、マリー様にマッサージを施すと、とても気に入ってくれて、公爵家の侍女になって毎日やってほしいと言ってくれた。丁重にお断りしたけれど、嬉しい言葉を聞くことができてよかった。
「本当に気持ちよかったわ。行くところがなくて困っているなら、我が家に居ていいのよ」
「お気持ちだけいただきます。ありがとうございます」
「いつでも待っているわ」
マッサージ後のマリー様はご機嫌な様子で出ていった。
「ソフィ、姉さまのマッサージありがとう」
「うん、私こそ今日は話を聞いてくれてありがとう。ミリーとマリー様のおかげですっきりしたよ」
「これからどうするの?」
「うーん、まだ決めていないよ。でも、もう一度きちんと考えてみる」
「わかったわ。姉さまも言っていたけれど、行くところがなければ家に来てちょうだい」
「うん、ありがとう」
ミリーの家でゆっくりさせてもらい、帰路に着く。
くつろぎ亭が見えるところまできて、念のため歩調を緩めて周りを観察する。義父のあの様子ではしつこくお店の前に居座っていてもおかしくないからだ。脇道に入って、そっと覗けば、椅子に座っていたのは義父ではなかった。
「うわぁ、あれはマイケルだ」
お店の前の椅子で腕を組み座っているのはマイケル・ウッド。私の元婚約者だ。待っているということは私に用事なのだろうと思うけれど、絶対に碌な用事ではない、どうしようかと思っていたら、突然後ろから伸びてきた手に口を塞がれた。
「んんん!」
焦って手を引きはがすために暴れる。
どうしよう。
力の限り暴れてもビクともせず、助けを呼ぶにも口が塞がれている。パニックになりかけた時だった。
「ソフィ。俺だ」
誰? そう思って後ろを仰ぎ見れば、見覚えのある人がそこにいた。
燃えるような赤髪が特徴的な頼れる騎士。
「アークさん?」
「おう、脅かして悪い。でもこうでもしなければソフィに会えなくてな」
「会えないって、どうしてですか?」
普通に話しかけてくれればよかったのにと思う。
「ソフィを待っている奴がたくさんいるぞ」
「え?」
「二時間前までは店の前の椅子に小太りの親父がいたし、今いる男も三〇分ほど待っている。そして、くつろぎ亭の向かいの店には神聖国の騎士が潜んでいる」
小太りの親父は、私の義父だろう。またお金を取りに来たのだと想像がつく。そして、マイケルも恐らくお金のためにいるのだろうけれど、神聖国の騎士様がなぜいるのかがわからない。
「なぜ神聖国の騎士様が?」
「それも含めて説明するから、とりあえず、見つかる前に移動していいか?」
「はい」
「念のためこれを」
渡された帽子は顔を隠すように深く被る。
アークさんの後ろを歩いて案内されたのは、馬車乗り場だ。たくさん並ぶ馬車の中からアークさんが選んだのは、人を運ぶではなくて、商人が荷物を運搬するときに使う荷馬車だった。
アークさんは馬車に乗り込む寸前も、周りを見渡して警戒した様子だった。
「よし、追手はいないな」
「アークさん、今の状況がよくわからないのですが?」
「ソフィの身に危険が迫っている」
「え?」
「神聖国の騎士はソフィの命を狙っている」
「ええ?」
ただただ驚いて、なんで?という純粋な疑問しか湧いてこない。
「ソフィの存在が邪魔なんだ」
「それは知っています。今朝、聖女様から直々に遠くに行くように言われて、陛下からは通行証と身元保証書をいただいたんです」
「俺はオーリー殿下の命を受けて、ソフィを助けに来た」
「オーリー殿下ですか?」
「ああ、命を狙われているから気を付けるように、オーリー殿下からの伝言だ」
「命を狙われるなんて……」
「聖女様が治癒に失敗した。ニコラ殿下に続いて、デリックとローガンも治癒がほぼ効かなかった」
「それって」
「そうだ。ソフィ・ブラウンのマッサージを受けた者は神聖力の効き目が悪かったんだ。デリックなんて、聖女様の治癒を受けても、首を傾げて何も変わらなかったと言っていたぐらいだ」
だからって命を狙う程のことではないと思うのだけれど、事態は深刻らしい。
「神聖力が効かなかったことで、邪悪な力が働いているのでは? なんて恐ろしいことを神聖国の奴らが言いだしたんだ」
「邪悪な力って、まさかただのマッサージがですか?」
「まさかそんなことがあるわけないと否定したが、その言葉を信じる奴がでてくるかもしれない。それに聖女様はプライドが高いらしい」
「そんな」
「あと、その通行証と身元保証書は使うな。調べたらどこで使ったのかわかるから、居場所がばれるぞ」
「私はどうしたらいいのですか?」
「身を潜める必要がある」
そう言ったアークさんと私の乗る馬車は、なぜか城の方向に向かっていた。
「目的地は?」
「城だ。正確にはその先だが、まずは城に向かう」
命を狙っている張本人がいるお城に行くなんて大胆すぎる。そう思ったけれど、私一人ではどうすればいいかわからなかったから、助かってはいるのだけれど。
「それで、その先とはいったいどこなんですか?」
「あそこだ」
そう言って、アークさんが指さした先は王家の森だった。
「北にある王家の森をずっと進めば国境に着くが、それは険しい山と崖を超えた先だからな。実際にこの森を使って隣国に行く人はいない。隣国に行くときはみんな遠回りになっても迂回して平らな草原を行く。そもそも王家の森と言われているぐらいだから、一般の人はまず来ない。王家の森に立ち入る人はいないから、安全だ」
「なるほど」
「国境沿いに砦があるから、身を隠すならそこがいいだろう」
「わかりました」
馬車を降りて、アークさんがまず身を潜める場所に選んだのは馬小屋だった。
「夜が明けると同時に移動しよう。それまではここで身体を休めておいてくれ」
「はい」
「俺は必要な物を用意してくる。誰も来ないだろうが、念のため隠れておけよ」
大きな馬小屋には、たくさんの馬が並んでいた。アークさんに言われた通り、積んである藁の陰に隠れるようにして座る。
「ふぅ。疲れた」
今日一日でいろんなことがありすぎた。身体は疲れ切っているのに、目が冴えていて、とてもじゃないけれど眠れそうになかった。ヒヒーンという馬の鳴き声以外は静かなこの場所に、不意に足音が聞こえてきた。
ドキッとして、自分を抱きしめるように身を小さくして耳を澄ませる。
アークさんにしては戻ってくるのが早すぎる気がする。
一歩一歩近づいていくる足音に、ドキドキと心臓が鳴る
そうして、すぐ近くで足音が止まった。




