30.優しさ
「陛下たちには何と言われましたか?」
「……ニコラさんには会わずに、できれば遠くに行って欲しいと」
「やはり、そうなりましたか」
「やはりって」
「陛下はニコラ殿下の足がああなったことに負い目を感じていますから、治る方法があるのならば聖女様の提案を受け入れるでしょうから」
私だってニコラさんの足が治るならばそれ以上に嬉しいことはない。だから陛下の気持ちはわかるつもりだ。
「ソフィ、やはり我が家の専属マッサージ師になりませんか?」
デリックさんの優しさに甘えたくなる。きっとこの人の腕の中にいれば、幸せになれるかもしれない。
けれど、このまま甘えてしまうのは、違うと思うのだ。
一歩下がって大きく頭を下げる。
「ソフィ?」
「こんな私に優しくしてくださってありがとうございます」
「フフフ、参りましたね。簡単に甘えてくれないところすら愛おしく感じるのですから、私はソフィのことが本当に好きなようです」
優しい笑顔に止まっていた涙が再び溢れそうになるけれど、涙を堪える。
「ソフィ、私はいつでも力になりますから」
「はい、ありがとうございます」
その後は、泣いた後だとわかる顔だったこともあり、馬車に乗らずに歩いて帰った。気持ちの整理をつけるにはちょうどよかったのだ。
「ふぅ……これからの身の振り方を考えないと」
角を曲がり、くつろぎ亭の看板が遠目に見えただけで、ほっとする。近い未来にくつろぎ亭を出て行かなければならないことが思いの外ショックで、この場所がいつの間にか大切になっているのだということに気づいた。
お店の前の椅子に誰か座っているのが見えたから、お客さんかと思って走り出そうとしたけれど、そこにいたのは義父だった。
見つかる前に、脇道に入って身をひそめる。
「やだな、また来てる」
遠目で見てもわかるほど、イライラしている様子の義父の姿に絶対に見つかりたくないと思った。いなくなるまでどこかに行こうかと考えて、行く場所がないことに気づいて寂しくなった。誰かに頼ろうかと思って浮かんだ顔はさっきまで一緒にいたデリックさんの顔だったけれど、デリックさんを頼るわけにはいかない。
「ソフィ?」
ポンと叩かれた肩に驚いてしまう。
「あ、びっくりした。なんだミリーか」
「なんだじゃないわよ。こんなところで何しているの?」
文官の服を着たままのミリーは、脇道にいた私を見つけて声をかけてくれたようだ。
「お店の前の椅子に男の人が座っているでしょう?」
「あの小太りのおじさん?」
「そう、実は」
ミリーにお店の前にいるのは義父で、最近居場所がばれてしまってお金を取られていることを打ち明けた。
「なんですって? わたくしが文句を言ってあげるわ」
「ええ? 危ないからいいよ。しばらくすれば諦めるだろうし、どこかで時間を潰すから大丈夫だよ」
「時間を潰すなら、いいところを知っているわ」
「本当?」
「わたくしの行きつけのカフェよ。一緒に行きましょう」
「行くところが思い浮かばなくて困っていたから助かる」
ミリーについて歩き出せば、行きついた先は馬車乗り場だった。
「えーと、馬車に乗っていくの?」
「ええ、もちろんよ」
オベール公爵家の紋章の入った馬車を見て、そう言えばミリーは公爵令嬢だったことを思い出す。
「さあ、乗って」
「お邪魔します」
動き出す馬車の中、ミリーと対面に座る。
「ソフィ。あなた、何があったの?」
「え?」
「何か困ったことがあったのでしょう?」
「なんで?」
「実は、デリック様が教えてくれたの。ソフィが困っているから、声をかけてやってくれって」
「もしかして、ミリーは心配してお店まで駆けつけてくれたの?」
私の言葉に耳まで真っ赤になったミリー。
「ち、違うわよ。心配したとかじゃなくて、デリック様に言われたから私は仕方なく。そう!
仕方なくだから。本当に心配なんてしていないのだから」
ミリーがまさかツンデレ属性だったとは思わなかった。思わずにやけてしまうけれど、笑ったことがばれたら怒りそうで、咄嗟に口元を隠した。
「わたくしのことはいいのよ。それでソフィは何に困っているの?」
何から話せばいいのだろうかと悩んだけれど、今一番の悩みはこれだ。
「どこの国がいいかなって」
「は?」
「他国に行こうと思っているけれど、行き先が決まってないの」
「……あなた、言っていることがおかしくてよ」
真顔のミリーの突っ込みに、最もだと思う。
「おかしくないけど、おかしいよね。ハハハ」
「どうやら詳しく聞かなければいけないようね」
急に立ち上がったミリーは、馬車の窓から顔を出し、御者のおじさんに向かい叫んだ。
「行き先を変更して、家に向かって」
「ミリー?」
「わたくし明日は休暇をとっているから、時間はたっぷりあるわよ」
「……ありがとう」
「わたくしはソフィのことお友達だと思っているから話を聞くのよ。それにソフィは、デリック様の好きな人だから、放っておけないわ」
デリックさんが私のことを好きだってこと、なぜミリーが知っているのだろうか?
「ソフィ、思っていることが顔に出ているわよ」
顔をペタペタと触りながら、デリックさんにも同じようなことを言われたことを思い出す。
「そんなにわかりやすい?」
「ええ。なんでデリック様がソフィを好きなことを知っているのか不思議なのでしょう?」
「うん」
「好きな人の好きな人はすぐわかるのよ。わかりたくなくても気づいてしまうの」
その言葉に驚いた。デリックさんと同じことを言っているから。
「……ミリーとデリックさんは似ているね」
「そんなことないわよ。わたくしとデリック様が似ているところなんて、文官で、秀才で、知的なところぐらいよ」
「フフフ」
「なんで笑っているの? わたくしとデリック様が優秀なのは本当のことでしょう?」
自慢げにそう言ったミリーの顔を見ていたら、馬車が止まった。
どうやら到着したようだ。
「さあ、着いたわ。我が家にようこそ」
馬車を降りた私は開いた口が塞がらなかった。
「本当にここが家なの?」
「そうよ」
私は公爵家の財力を舐めていた。
これはもはや、家ではなくて、ホテルだ。しかも高級ホテル。よく手入れされた庭には色とりどりの花が咲き誇り、噴水まで設置されている。上質な高級感が漂うエントランスホール、うやうやしくお辞儀をして出迎えてくれる使用人、煌びやかな内装の廊下には、ところどころ花が飾られていて、エントランスホールで運動会ができそうだ。
「ここがわたくしの部屋よ。どうぞ」
案内された部屋はかわいらしい女の子の部屋だ。
ソファに座れば、淹れたての紅茶が運ばれてきて、至れり尽くせりである。
「さあ、話してもらうわよ」
紙とペンを手に持って、眼鏡のつるを押し上げるミリーは、これから事情聴取でも行うかのようだ。
「実は……」
私はここ最近起こった出来事を順を追ってミリーに説明していく。ミリーは驚きながらも、ずっと手を動かしてメモをとっている。
話しながら頭の中の整理もできて、気持ちもスッキリした気がする。
全てを聞き終えたミリーは、メモを机に置いて立ち上がる。
「つまり、神聖国の聖女に好きな男を横取りされそうってことでよくって?」
身も蓋もないミリーの一言は、的を得ていた。
お読みいただきありがとうございます。
誤字を指摘して下さった読者様ありがとうございました。




