28.聖女
「あなたがソフィ・ブラウンさん?」
小鳥が歌うような可愛らしい声色に、声まで美しいのかと内心で驚く。こんなに綺麗な人を私はこれまでに見たことがなかった。
「はい」
「わたくしは、神聖国から参りました聖女です」
「聖女様ですか?」
「この国の皇帝陛下より、わたくしの国へ皇子の治癒の依頼がありました。治癒は聖女の仕事ですから、わたくしがこうしてはるばるやってきたのです」
神聖国には神聖力が存在し、聖女がいるという話を聞いたことがあったけれど、本当だとは思わなかった。
「皇子の治療についてですが、あなたも何かされていると伺いました」
「はい、私はマッサージ師でして、直接お身体を触って揉み解して、血行を促進したり、痛みを緩和させたりしております」
「なるほど……医師でも薬師でもないというのはそういうことなのですね」
その時、応接室にニコラさんが入ってきた。
「聖女様おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
「ええ、おかげさまで」
「それならばよかったです」
「ええ、今夜は歓迎パーティーも開いてくださるそうで楽しみにしております」
どうやら聖女様はこの離宮に滞在されているようで、今夜は歓迎パーティーがあるらしい。二人で話し込んでいる様子に、なんだか居たたまれなくて重ねた手の中で自分の親指を握りしめてやり過ごす。
「ソフィ、来てくれたのだな」
ニコラさんの視線がこちらに向けられて、いつもと変わらないニコラさんの眼差しにほっとした。
「はい、おはようございます」
「悪い、これからしばらく忙しくなりそうで、落ち着くまでマッサージを受けられそうにないんだ」
「わかりました。またお時間ができた時伺いますので、お知らせください」
「悪いな」
「いえ、それでは失礼します」
「ああ」
聖女様がいる手前いつもみたいに話すことができなくて、距離を感じてしまう。そのまま二人で話す時間もなくて、聖女様とニコラさんに会釈をして、部屋をでる。
一歩離宮を出れば、入り口には白い服を着た騎士が直立不動で立っていて、物々しい警備体制になんだかいつもの離宮ではないようで落ち着かなかった。しばらくというのがどれぐらいかわからないけれど、その間何もしないわけにも行かず、お店を営業するために戻ることにした。
昨日の今日でさすがに義父は来ないだろうけれど、なんとなく気が重い。それでも開店準備を終わらせて、お店を開けた。
しばらく経って、ノックされるドアの音に急に不安になった。
ドアの向こうにいるのが、義父だったらどうしようかと一瞬ためらってすぐに動けなかったのだ。一度目を閉じて落ち着いて、窓からそっと外を確認する。
外にいたのは、アークさんでホッと肩を撫でおろした。
「いらっしゃいませ」
「よう」
「あれ? アークさんなんだか元気がないですね」
「そうか?」
「はい、なんとなくですけれど」
いつもより疲れているように見えるアークさんは、マッサージ用のベッドに寝転んだ。うつ伏せになったアークさんの背中を揉み解していく。
「背中が強張っていますね」
「最近忙しくてな」
「忙しいのは神聖国から聖女様がいらっしゃっているからですか?」
「なんだ、もう知っているのか」
「はい、今朝離宮に行ったら、聖女様本人にお会いしました」
「そうか……それなら、ニコラの婚約の話ももう聞いたか?」
婚約と言うまさかの言葉に思考が停止する。
「……婚約ですか?」
「もしかして知らなったのか?」
「あ、はい」
「まあ、ソフィなら知ってもいいだろうから教えるが、聖女様が神聖力でニコラの足を治癒してくれることになっている。足がああなる前はニコラの王位継承順位は一位だったのだが、あの事件があって王位どころではなくなっていたんだ。だが、足が治ればニコラの王位継承順位は一位に戻って、聖女様と婚約することが決まった」
ニコラさんの足が治って王位継承順位が一位になるなんて、嬉しいニュースなのに、素直に喜べないどころか、平然を装うのに必死だ。内心の動揺を悟られないように黙々と手を動かす。
「……そうなのですね」
「ああ、ニコラも本当なら結婚していてもいい年齢だが、今までは怪我のせいもあって、放浪皇子で結婚どころではなかったからな」
「では、これはおめでたい話ですね」
「ああ。今日の歓迎パーティーで聖女が治癒をすることになっているんだ。神聖国としては神聖力のアピールになって、他国の皇子を治癒したとなれば話題性は抜群で外交のカードとしては最高だろう。今まで鎖国同然だった神聖国からわざわざ聖女が出てきた理由は気になるところだが、今回の婚約、こちらに損はないから陛下はかなり乗り気だ」
「よかったですね」
アークさんの声が遠くに聞こえる。
実際は耳に入っているけれど、心が追い付かない。笑って良かったと言ったけれど、本当は嬉しくなんてなかった。
それからアークさんの施術をしながらも心ここにあらずとは正にこのことで、気づいた時には、銀貨が五枚も受付の棚の上に置かれていて、アークさんの姿はなかった。
「銀貨、貰いすぎているし……」
ニコラさんの婚約のニュースがショックすぎて、後半アークさんと何を話したのかあまり覚えていないぐらいだから、かなり重症だ。
どのぐらいの時間ボーっとしていたのだろうか、外が暗くなり始めていた。くつろぎ亭に帰って早く布団に包まりたかった。
急ぎたいのに、緩慢な動作になってしまって、大きなため息を吐く。
その瞬間、扉が開いた。
「なんだいるじゃないか」
入ってきたのは義父だ。
ボーっとしすぎて鍵をかけることさえしていなかった自分を恨む。
「ほら、金をだせ」
「お引き取りください」
「生意気言いやがって、誰がここまで育ててやったかわかっているのか。早く金を出せ」
今はとてもじゃないけれど、義父の相手をしている余裕はなかった。
アークさんに貰った銀貨をベッドの上に置けば、義父は目の色を変えて飛びついた。
「フン、最初から出せばいいんだよ」
「金輪際関わらないでください」
「お前は稼いだ金を俺に寄越せばいいんだ。昔から役に立たない穀潰しのお前が、やっと食い扶持を見つけたんだ。精一杯稼いで親孝行するんだな」
お金を渡したからか、捨て台詞を吐きながらすんなり出て行った義父。
義父がまた来ることを考えるだけで頭が痛いけれど、今はニコラさんの婚約の話で頭がいっぱいだった。
好きだと気づいて思いを告げようとしたら、自分ではない人と婚約するなんて、告白もしていないのに振られたようなものだ。それなのに、好きだと伝えたいという気持ちが消えなくて、どうすることが正解なのかわからなくなった。




