27.想定外
ニコラさんに会いに行く道中、いつもより自分の足取りが軽い気がする。離宮に行く途中の庭園の花もいつもよりも綺麗に見える気がするし、世界が明るくなった気さえしてしまう。
「おはようございます」
通いなれた離宮のドアの前で挨拶をする。いつも少し待つと、入り口までニコラさんが歩いて迎えに来てくれるのだ。ニコラさんは歩くのに少し時間がかかるから、ドアの前でしばらく待機する。
ドキドキとする胸を落ち着けようと、なんとなく髪飾りを触った瞬間、髪から飾りが取れてしまう。
「あ」
ガシャンという音と共に、地面に落ちた花の飾りにひびが入ってしまった。
「あーあ、せっかくつけてきたのに」
今にも割れそうな髪飾りをハンカチに包んで、ポケットにしまう。
それから、急いで髪を手櫛で整えて、待っているけれど、出てくる様子がない。
「あれ? ニコラさん遅いな」
いつもならもう出迎えに出てきてくれるだろう時間が経過したように思う。もしかしたら寝ているのかもと思ったけれど、早起きのニコラさんが寝坊するとは考えにくかった。
「おはようございます!」
もう一度大きな声で呼んでみるけれど、離宮は静かだった。
「ニコラさーん」
ドアをノックしても出てこないから、離宮の周りを見て回ろうと移動しようとしていると、やっと入り口が開いた。
「ソフィ様」
「はい?」
出てきた人がニコラさんじゃないことに驚きながらも返事をする。出てきたのは離宮に勤める執事さんだ。マッサージ中にお茶の用意をしてくれたりしていたから顔見知りである。
「ニコラ殿下は本日急な用事がありまして留守にしております」
「あ、そうなのですね」
「急遽呼ばれ、お帰りは何時になるかわかりませんので、ソフィ様に謝っていてほしいとのことでした」
「わかりました。それでは今日は失礼します」
「お気をつけてお帰りください」
会釈をして、その場から離れる。
告白しようと意気込んできただけに、会えないなんてなんだか拍子抜けで、肩の力が抜けた。
見上げた空は、さっきまで晴れていたのが嘘のように、雲が増えていた。
「雨が降りそう」
来た道を戻る足取りは行きとは違って重かった。
遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。
「早く帰らなきゃ」
遠くに見える暗い空を見ながら、なんとか降り出す前に馬車乗り場にたどり着く。歩いてでも帰ることができるけれど、馬車の用意をしてくれているので遠慮なく使わせてもらっている。馬車の準備をしてもらい乗り込んで、しばらく走ったところで急に馬車が止まった。どうしたのだろうかと外を覗けば、どうやら城門付近で入ってくる馬車がいて進めなくなっているようだ。
「すみません、しばらく待機してから出発になります」
「はい、私はいつでも構いませんので、お気になさらずに」
窓から外を覗けば、とても豪華な馬車がいることに気づく。繊細な装飾が施している馬車はとても美しかった。
「あんなにきれいな馬車初めて見ました」
「ありゃ、国賓級ですよ、きっと」
御者のおじさんの言葉に、そうだろうなと思う。きっとお城にお客さんが来ているのだろう。だからニコラさんは離宮にいなかったのかもしれないと思う。
それから、しばらくの間待機して馬車が走り出す。
すれ違いざまに見えた、綺麗な馬車の中には、その馬車に似合う美しい女性が見えた。
「わあ、綺麗な人」
ニコラさんに会えないのは残念だけれど、時間がたっぷりあるからお店を開けるのもいいかもしれないと思う。御者のおじさんに別れを告げて、お店に戻る。
臨時休業の紙をはがせば、営業開始だ。
いつお客さんが来てもいいように、お店の中の準備を整えていたけれど、待っても待っても誰も来なかった。
「そりゃあ、そうだよね」
勝手に休んで、急に開店して、自分の都合でお店を開けたり閉めたりしたってお客さんは来てくれないのだ。陛下からの依頼と言えど、お店をないがしろにしてしまったのは自分で、お客さんが離れてしまったからといって落ち込んではいられない。
そう奮起したところで、お店のドアがノックされた。
「はーい、今開けます」
お客さんが来てくれた嬉しさに、窓から外を確認せずに扉を開けてしまった。
「ソフィ、こんなところにいたのか」
「え……」
「探したぞ」
「義父様?」
そこにいたのは、イーサン・ブラウン。私の義父だった。私を置いて夜逃げしたはずの義父が目の前に現れたことに驚きを隠せない。
「なんだ、元気そうじゃないか。こっちは大変だってのに、店まで出していい身分だな」
よくよく見れば、義父は以前よりもだらしない姿をしていた。もともと太っていたけれど、前はそれなりに身なりに気を遣っていたのに、ヨレヨレの服を纏い、昔より落ちぶれた姿になっている。
「何かご用でしょうか?」
「フン、マイケル・ウッドの言った通り、生意気になっているな」
義父のこの目が嫌いだった。自分は偉いと言わんばかりに蔑むような視線と、高圧的な態度。いつもこの人の機嫌を損ねないように行動していた自分を思い出す。悪くもないのにすみませんというのが口癖になったのも、この態度が原因なのだ。血のつながった母がなくなって、居心地が悪い家で、居場所がなくて、この人に嫌わられないようにしなければと思っていた。
けれど、委縮してすみませんと謝ってばかりいた頃と、今の私は違う。
「私を置いて、夜逃げされたのは自分たちではありませんか?」
「なんだと? 誰に向かってそんな口を利いている?!」
「お引き取りください」
「うるさいぞ。生意気に、育ててやった恩を忘れて、勝手にウッド家との婚約まで破棄しやがって、本当におまえは使えない」
「婚約破棄はマイケルから」
「そんなことは今となってはどうでもいい、早く出せ」
「はい?」
出せとはなんだろうかと不思議に思っていれば、義父は突然お店の棚を漁りだした。
「なにを勝手に、やめてください」
「うるさい! 金だ。金を出せ」
「ありません」
「嘘をつけ! マイケル・ウッドから店が繁盛してお前が金を持っていることを聞いているんだぞ」
「本当にありません」
お店を臨時休業していたから、売り上げを置いていないのだから、本当にここには現金がないのだ。あったとして、出したいとは思わないけれど。
お金がないとわかって、騒ぐだけ騒いで満足したのか、店を荒らして帰っていく義父の姿にため息が出る。
「またくるからな。その時までに金を用意しておけ」
「もう来ないでください」
「うるさい! 私に指図するんじゃない!!」
ニコラさんには会えないし、義父に居場所がばれてしまって今日は散々である。
「こういう日は早く寝よう」
本格的に降り出した雨の音を聞きながらも眠りにつく寸前、思い浮かべるのはニコラさんの顔で、早く明日になって、ニコラさんに会いたいと思った。
翌朝、昨日ほどではないにしても身なりに気を配ってくつろぎ亭をでた。城門から入っていつもの道を歩いていたけれど、ニコラさんのいる離宮の周辺にやたらと人が多くいることに気づいた。いつもよりもすれ違う人の数が多く、どうしたのだろうかと不思議だった。
離宮の入り口には、見たことのない騎士服を着た人が立っている。この国の騎士の服は青を基調としているけれど、目の前の騎士は白い騎士服を着ている。なんだか物々しい雰囲気が気になりながらも、離宮に入ろうとしたところで声をかけられる。
「何者だ?」
「おはようございます。私マッサージ師のソフィ・ブラウンと申します」
「少し待て」
一人の騎士が中に入っていき、しばらく待たされたけれど、次に扉が開いた時には離宮の執事さんの顔が見えてホッとした。
「ソフィ様おはようございます」
「おはようございます」
「中へどうぞ」
「失礼します」
「突然騎士様がいて驚きました」
いつもは笑顔で対応してくれる執事さんの表情が硬く、口数が少ないことに違和感を覚える。
毎日通っている応接室に行けば、そこいたのはニコラさんではなく、昨日馬車ですれ違った時に見た美しい人だった。小さな顔にふわふわとした桃色の髪、陶器のように白く透き通るような綺麗な肌のまるで人形のような人がそこにはいた。
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