26.告白
その日、いつもより早い時間にくつろぎ亭に戻ることができた私は、臨時休業中の札をかけたお店の中にいた。ニコラさんの元へ通うことになって二週間ほど、お店をずっとお休みしていたから、掃除と換気のために久しぶりに立ち寄ったのだ。そんなに長い期間離れていないのに、お店が懐かしく感じてしまう。
またいつでもお店を再開できるように、掃き掃除と拭き掃除をしていればあっという間に時間が過ぎていく、商人のおじさんに貰った外の椅子も吹き上げて額の汗を拭う。フッと顔を上げれば見覚えのある人が歩いている。
「デリックさん?」
目を見開いて驚いているデリックさんが、次の瞬間すごい勢いで走ってきた。そして私をギュッと抱きしめるではないか。
「ソフィ!」
「はい、えっと、デリックさん? 大丈夫ですか?」
「ソフィ会いたかったです」
「どうしたのですか?」
「私はソフィがいなければ生きていけない身体になったと以前も言いましたよね?」
その台詞は、ミリー・オベールが私とデリックさんが付き合っているのではないかと誤解した台詞だ。あまりにも印象に残っていて、覚えている。ミリーがいないか、思わずハッとして周りを見渡してしまう。
「と、とりあえず中に入りましょう」
「いいのですか?」
「掃除も終わったところですし、どうぞ」
お店に招き入れれば、何も言わずともベッドに寝転ぶデリックさん。
「ダメでしょうか?」
そんな体勢で聞かれたら断るわけにもいかずにマッサージを了承した。
「久しぶりなので、全体を見させてもらいますね」
「はい。お願いします」
相変わらずガチガチの肩は仕事の忙しさを物語っている。
「いつもお疲れ様です」
史上最年少で宰相を任されたというデリックさん。ニコラさんのところに通うようになって、お城に行くことが増えた今、デリックさんの噂をよく耳にしていた。若く経験が足りない宰相に最初は誰もが期待していなかったそうだ。けれど、デリックさんは革新的なアイデアで、次々に国の問題点を指摘し改善案を出して、さらには以前よりも効率よく執務が行えるように改革を行ったそうだ。きっと毎日、無理をして働いているのだろうと思う。お疲れ様という意味を込めて疲れているだろう肩を揉んでいく。
「ソフィがニコラ殿下の元へ通っている今、臨時休業していることは頭ではわかっているのですが、つい足がこのお店に向いてしまうのです」
「マッサージ気に入っていただけて嬉しいです。デリックさんほど気持ちよさそうに喜んでくれる方はいらっしゃりません」
「嘘や建前ではなくて、私は本当にソフィのマッサージが好きなのです」
「ありがとうございます」
デリックさんは、初めて出会った時から本当に気持ちよさそうにしてくれるから、揉み甲斐がある。
「ソフィ、あの話考えてくれましたか?」
あの話とは何だっただろうかと手を止めれば、デリックさんは起き上がって言った。
「専属マッサージ師の件です」
「あ、はい、覚えています。有難いお話なのですが今はニコラ殿下の治療もありますし、私はやっぱり自分のお店を持つのが夢だったので、このお店をやっていきたいと思っています」
「そうですか……残念ですが、ソフィがそう決めたのなら応援します」
「ありがとうございます」
「専属マッサージ師が難しいのならば、私の伴侶になるのはどうですか?」
「え?」
言われた言葉に理解が追い付かない。
今、伴侶と言う単語を聞いた気がして、思わず首をかしげてしまう。
「突然伴侶と言われても戸惑うでしょうから、まずは交際してみませんか?」
「えええ? 私とデリックさんがですか?」
「もちろん、ソフィと私です。私は優良物件ですよ。貴族ですが、次男なので家を継がなくてもいいのでしがらみもありません。 宰相という地位もありますし、お金もあります。さらに、容姿もそう悪くはないはずです」
容姿は悪くないどころか良すぎる。デリックさんは知的で、気品があり、自分で優良物件と言うだけあってパーフェクトな男の人なのは本当だ。高身長だけれど物腰が柔らかく威圧感もない。宰相という地位はもちろん、まさに優良物件だろうと思う。そんな人が私を伴侶になんて、何かの勘違いだろうとさえ思う。
まじまじとデリックさんを眺めてそんなことを考えていれば、デリックさんは真剣な表情で言った。
「私はソフィのことが好きですよ」
「わ、私をですか?」
「ええ、マッサージの腕はもちろんですが、ソフィが作り出すこの柔らかな空気は安らぎを与えてくれます。最初はマッサージを気に入っていただけだったのですが、だんだんとその人柄に魅かれました。そして、毎日通って、今回会えない日々が続いてソフィへの気持ちに気づいたのです」
こんなに優しいまなざしで見つめられ、戸惑う私にデリックさんは言った。
「ソフィは好きな方がいるのですか?」
その瞬間、頭の中に浮かんだのはニコラさんの顔だった。
「……え、えっと、その」
「どうやらいるようですね」
「……はい」
「それでも、私がソフィに好意を持っているということだけは覚えておいてください」
「え、でも、私他に好きな人がいるのですよ?」
「ええ、若い女の子ですからそんなこともあるでしょう。けれど、私はソフィが好きですよ。思っているだけで伝えなければ何もわからないでしょう?」
私が返事をする暇もなく、立ち上がりまた来ますと笑って出て行ったデリックさん。
今、話したことを改めて思い出す。
好きな人はと聞かれて真っ先に浮かんだ顔はニコラさんだった。ニコラさんがくつろぎ亭から出て行った日寂しくて、もしかしたら私はニコラさんが好きなのかもしれないと思ったことはあった。でも、まだあの時は、好きだとはっきりと思っていたわけではなかったのだ。今回再会して、毎日顔を合わせて、いろんなことを話していく内に少しずつ仲良くなって、ニコラさんが嬉しいと自分も嬉しくて。いつの間にか会いに行くのが楽しみに変わっていったのだ。
でも、ニコラさんは皇子で、私は平民の路地裏のマッサージ師で、未来が交わることはないだろう。
それでも想いを伝えることは大事だと気づいたのは、たった今デリックさんが、晴れやかな顔をしていたから。
「告白しよう」
当たり前のように来ると思っている明日が来ないことを私はもう知っているし、今世では言いたいことを言うと決めているのだ。
その夜は、何と伝えようか、いつ切り出そうか、そんなことを悩みながらソワソワしていた。後になって、この夜の悩み事がどんなに幸せだったのかを知るのだけれど、未来にことなどわかるはずもない私は、ただただ、自覚した恋心を胸に眠りについたのだった。
「うーん、よく寝た」
その日は、告白しようと意気込んで鏡の前に立った。なんだか肌の調子もいい気がするし、いつもはしないお化粧をして、ガラスでできた花の髪飾りもつけた。少しでも可愛く見えたら嬉しいななんて思いながら鏡を覗き込む自分も悪くないと思った。
「女将さん、おはようございます」
「おはようソフィ」
「今朝の朝食もおいしそうですね」
「おや、ソフィ、今日はおしゃれしているね」
「わかりますか?」
「もちろんさ、可愛いじゃないか」
「ありがとうございます」
「なんだか嬉しそうだね。さあ、パンが焼きあがったところだから、たくさんお食べ」
「わあ、美味しそう! いただきます」
くつろぎ亭の朝ごはんは絶品で、毎日食べるのが楽しみで、朝のこの時間に女将さんと話をするのが大好きだ。
「ごちそうさまでした」
「はいよ、いってらっしゃい」
「いってきます」
こうして送り出してくれる人がいるのも幸せで、思わず笑みがこぼれる。
お読みいただきありがとうございます。




