24.ニコラさん
次の日から、お店には臨時休業の張り紙を出して、ニコラさんの元へ通った。
路地裏であんなに毎日一緒にいたのに、私はニコラさんについて知っていることがほんの少ししかないということに気づいた。
日々、マッサージをしながら私たちはいろんな話をした。
そこでわかったことは、ニコラさんが王位争いに巻き込まれているということだ。
側妃の子供であるニコラさんが第一皇子、正妃の子供であるオーリー殿下が第二皇子、皇子は二人だけなので、どちらかが皇帝にならなければいけないらしい。
「第一皇子である俺が皇帝になるべきだと言う人もいるが、俺は皇帝になりたいと思ったことはない。昔は、そんな未来がくるかもしれないと思った事があるが、足のこともあるし、オーリーの方が向いているだろう。それに、俺は誰かの上に立つよりも、何かを作ったりすることが好きなんだ」
確かにニコラさんが作ってくれたベッドや椅子は素人が作ったとは思えないほどの出来だったし、靴磨き一つにしてもこだわりがあり、職人気質なのだろうと思う。
「ニコラさんが作ってくれたベッドも椅子も、使い心地とてもよくて愛用していますよ」
「ソフィと一緒にいる間にいろんな物を作って、俺は何かを作ることが好きだと実感した」
「確かに、制作中は真剣で、なんだか楽しそうでしたね」
「ああ、夢中になれることが見つかった気がしたよ。足が思うように動けばもっと早く、上手く作れるのだろうと欲が出たがな」
ニコラさんの左足をそっと撫でてみるけれど、恐らく感覚がないのだろうと思う。
ここ数日で揉み解したり、オイルマッサージをやって見たり、温めたり、いろいろ試してはいるけれど今のところ効果はない。
「ニコラさんが皇帝にならないということは、オーリー殿下が次期皇帝ということですよね?」
「そうなるように動いているところだ」
オーリー殿下は噂では、女好きでだらしなく、無能な皇子だ。世間の評判はあまりよくないようだけれど、実際に会って話した印象では、できる男という感じだった。
「本人は、皇帝になることに異存はないのですか?」
「オーリーは皇帝にふさわしいのだけれど、本人はそうは思っていないかもな……」
何かを考えるように目を閉じたニコラさんはしばらく黙ったままだった。
「俺の話よりも、ソフィの話が聞きたい」
「へ? 私の話ですか?」
「ああ、路地裏ではお互いのことについてあまり話をしなかっただろう?」
「ええ、まあ、でも私は話のネタになるような特別な話はないですよ」
「俺も大した話はない」
「いえ、路地裏で靴磨きしながら暮らしていた人が、実は皇子様だったなんて大した話ですよ」
「それもそうか」
「ええ、私は前にも少し話しましたが、特別の出来事は婚約破棄をされて家族が夜逃げしたことぐらいですよ」
「婚約破棄されて家族が夜逃げなんて、大した話だぞ」
「そうですけれど、実は皇子様でしたなんて話に比べたらなんてことない話ですよ」
そんな話をしながら二人で笑い合う。
「ソフィはどんな幼少期を過ごしたのだ?」
「……母が亡くなったのは十年前なのですが、母が生きていた頃はどこにでもいる普通の子供だったと思います」
「十年前ならば、ソフィは六歳か」
「ええ、当時は母がいなくなって泣いてばかりでした。それでも八歳の時に継母が来るまではまだよかったのですが、継母は私の存在がお気に召さなかったようです。それからは使用人のようにこき使われていましたね」
「それで、マッサージができるようになったのだな。まだ年若い女性があんなにマッサージだできるなんて不思議に思っていたのだ。辛かったのだな」
使用人のような仕事をさせられていたけれど、継母にマッサージは一度もしたことがない。マッサージができるのは、前世でマッサージ師をしていたからだ。けれど、そんな突拍子もないことを話すわけにもいかない。なんと言えばいいかを考えていたら答えられずにいたけれど、無言を肯定ととったのかニコラさんは納得した様子だ。
「俺の左足だが、今の状態になったのは五年前だ」
ニコラさんがフッと話し始めた内容に内心で驚く。だって今までは足が動かなくなった理由を話さなかったのだから。
「差し支えなければですが、教えていただいてもいいですか?」
「あまり楽しい話ではないぞ」
「はい」
ニコラさんは履いていた薄いズボンを膝までまくり上げ、左足を見せてくれる。
「ここに傷があるのがわかるか?」
「はい」
三センチのほどの小さい傷が、膝の上あたりにあるのがわかる。
「刺されたんだ」
「え?」
「神経には届いていない傷で、当初は大したことがないと思っていたのだけれど、毒の塗られたナイフだったようで、傷口は癒えても痺れがそのまま残っているのだ」
一般の人ならばナイフで刺されるなんて、そんな目にあうことはないけれど、身分が高い人は暗殺の危険があったりするのかもしれない。
「犯人は捕まりましたか?」
「……ああ」
「それならよかったですね」
「犯人は俺の母だ」
「え?」
思ってもみない言葉に頭が真っ白になる。
「驚いただろう」
「は、はい」
なぜだか、心臓が嫌な音を立てる。
「母も思うことがあっての行動だったのだろうが、母が俺を刺したという事実に当時はショックを受けた。けれど、不思議と恨んだことはない」
「え?」
「母は優しい人だった。俺は一度だって叩かれたことはないし、声を荒げて怒られたこともない。だから、ただ気になっている。なぜあんなに穏やかな母が俺を刺したのだろうかと、その理由が今でもわからないんだ」
目を伏せてそう言ったニコラさんにかける言葉が見つからなかった。しばらく無言でニコラさんの身体をほぐしていく。
うつ伏せのニコラさんに施術をしながら思った。
元気がないニコラさんを見ていたくないなと。
そんなことを考えながら施術をしていたからか、無意識の内にニコラさんの頭を撫でていた自分に驚いた。
「あ、これは、その、すみません」
「慰めてくれるのか?」
「えっと、いや、あの、手が勝手にですね」
手が勝手に動くことなんてあるわけがないのに、自分の行動に動揺して変なことを言ってしまう。何も言わないニコラさんの様子に、慌てて謝罪する。
「皇子様相手に本当にすみません」
「ハハハ、俺を慰めてくれるなんてソフィぐらいだよ、ありがとう」
熱くなった頬に、今、マッサージ中で顔を見られなくてよかったと心底思う。
「それで、お母様はいまどこに?」
「塔にいる。王城の敷地にあるんだが見たことあるか?」
「塔?」
塔なんてあったかなと記憶を辿る。王城に来たのは三度目だけれど、塔と呼ばれるような建物を見たことはない気がする。
「王城の北には王家の森が広がっているのは知っているか?」
「はい、緑がたくさんあるので森になっているのは知っています」
「その森をずっと北に進むと、塔があるのだ。昔見張り台に使っていたのか、塔の上に登ればこの国が一望できる」
「そこにお母様が?」
「ああ、五年前のあの日以来会っていないが、母はそこで生涯を過ごすつもりらしいと人伝に聞いている。俺が会いに行っても会ってくれないのだ」
「それは、罪の意識からということですよね?」
「そうだろうな。俺が母に刺されたことは一部の人間しか知らないから、母は罪に問われたわけではないのだ。だから、今まで通り暮らしていけたはずなのだ」
「一部の人間しか知らないなんて、そんな大事な話を私が聞いてよかったのですか?」
「ソフィだから、構わない」
私だから構わないなんて、どういうことだろう?
特別な意味はないはずなのに、妙に意識してしまう。
「そ、そうですね、私、マッサージ中にいろんな話を聞きますが、守秘義務は守りますので、心配しないでくださいね」
「……フㇷ、わかった」
「なんで笑うのですか?」
「笑ってないぞ、ははは」
「笑っているじゃないですか?」
「なんでもない、気にするな、ほら、手が止まっているぞ。ははは」
「そんなに笑う人は、激痛のツボ押しちゃいますからね」
左の足の裏のツボをグッと指圧する。
普通の人なら痛いと騒ぐツボでも、感覚がないニコラさんはいつも平然としているから意味がないのだけれど。
そう、思っていたのに。
「おい、痛いじゃないか」
「え?」
パッと手を放して、今言われた言葉を脳内で繰り返す。
今、痛いって言った?
「ニコラさん、今、痛いって」
「それは、ソフィが足裏を押すから……今のは」
驚いた私たちの声が重なる。
「「左足」」
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