18.文官
「そこの君は、ソフィにお茶とお菓子を」
「かしこまりました」
そんな会話が聞こえてきたので、お茶とお菓子を持って私のところまで来た眼鏡の文官さんに頭を下げる。
「こちら、デリック様からです」
「ありがとうございます」
茶菓子を受け取ったのに、その場に立ち尽くして動く気配がない文官さんに、どうしたのだろうかと目を合わせてみる。
「……あの」
小さい声に最初は気のせいかと思ったほどだったけれど、私に話しかけているようだ。
「はい?」
「聞いてもよろしいでしょうか?」
「はい?」
「先ほどは、何をされていたのですか?」
「マッサージです。宰相様は肩こりがひどいようなので」
「マッサージをすれば、肩こりが楽なるのでしょうか?」
「ええ、少しは緩和されると思いますが」
そこまで話した瞬間、瞳をキラキラさせて明らかに期待していると言わんばかりに前のめりになった文官さん。
「私もやっていただくことは可能でしょうか?」
「え、あ、はい」
「その、先ほどの宰相様の声が本当に気持ちよさそうで、気になっていたのです。恐らく周りのみんなもですが」
その言葉に周りを見れば、チラチラとこちらに視線を向けている人が見える。
「お試しで、やってみましょうか?」
「本当にいいのですか?」
「はい、待っている時間暇ですし、お菓子もいただきましたし。こちらに座ってください」
それに高価な記念硬貨をもらった手前、働かねばいけない気がする。
文官さんにソファに腰かけてもらい、肩にタオルを乗せる。
「できるだけ力を抜いて、リラックスしてくださいね」
「はい」
背筋が伸びて肩に力が入っていて、全くリラックスできない文官さんの肩をタオルの上から撫でていく。
「力抜けますか?」
「は、はい!」
まばたきが多くて、心なしか顔や耳が赤い文官さんは全く体の力が抜けないようだ。
「うーんと、深呼吸します?」
「スーハー」
「はい、そんな感じです。そのままリラックスですよ」
まだまだ身体に力が入っているけれど、これ以上は力を抜くのは難しそうだ。
そのまま肩を触っていけば、右肩がものすごく凝っていることに気づいた。
「ここですね」
「そ、そうです、そこです」
「これは辛いですね」
「そうなのです。わかっていただけますか?」
「ええ、ここまで凝り固まっていたらさぞお辛いでしょう。頭痛はしませんか?」
「はい、最近では肩だけではなくて、目の奥が痛くて……」
手のひらで優しく擦っていけば、だんだんと肩の力が抜けてきた。デリックさんほどではないにしてもこの文官さんもなかなかの凝り具合だ。
「文官さんなら、日々のデスクワークで頭を前に下げ続ける姿勢や、目の使い過ぎ、緊張やストレスが原因で痛みがでるかもしれません」
「その通りだと思います」
「マッサージだけでは根本的な解決にはなりませんので、お仕事中、たまに立ち上がって姿勢を変えたりしてみてくださいね」
「はい」
「それでは、ホットタオルを作りますのでお待ちください」
「先ほどデリック様が気持ちよさそうにされていた、あれですね」
「はい、こちらに横になってください」
少し不安そうな文官さんだけれど、眼鏡をとって目の上にタオルを置いた瞬間、声が漏れている。
「ほわああ」
「熱くないですか?」
「はい、とても気持ちがいいです」
「それはよかったです。しばらくゆっくりされてください」
とても気持ちが良さそうな様子に安心して、フッと顔を上げれば、執務室内にいる文官さんが数人こちらを見ている。
小さく会釈をして視線をテーブルの上のお茶菓子にうつす。
お茶を一口いただいて、クッキーに手を伸ばす。
「お、おいしい」
さすがお城のクッキー、濃厚なバターの香りが鼻から抜けていく。下町では味わえない上品な味だ。もう一枚食べていいのだろうかと、顔を上げた瞬間、さっきと同じように、文官さん達と目が合った。どうやら熱い視線を送られているのは気のせいではないらしい。
「あああ、あの?」
「はい?」
「その、マッサージを、僕も」
「俺も」
「儂も」
一斉に喋り出した文官さんたちはどうやら、マッサージ希望者のようだ。
「マッサージ体験してみますか?」
一斉にコクコクと頷く文官さん達は、順番を決める為の話し合いをはじめた。
その間に私は紙とペンを借りて、マッサージ券を作っていく。さすがに全員マッサージをきちんとやる暇がないので、後日時間がある時にでもお店に来てくれたらいいなと思う。
券を作り終わるころには、順番が決まったようで、文官さんが嬉しそうにこちらにやってきた。
「よろしくお願いします。それではこちらにおかけください」
腰かけた文官さんの肩にタオルを敷いて揉み解していけば、それはもう気持ちよさそうな反応をしてくれる。手ごたえがよかったので、手書きで作った券を渡すことにする。
「これをどうぞ」
「これは?」
「私、城下町のくつろぎ亭の隣でマッサージをやっていますので、もしよかったらお時間があるとき、この券を持ってきていただければ無料で施術いたします。今日はあまり時間がないので、お試しでしかできませんので」
「なるほど、この券を持っていればマッサージを受けられるわけですね?」
「はい」
手書きで作ったマッサージ券は全部で五枚。ポケットの記念硬貨の存在がずっしりと重くて、本当はこんな券では申し訳ないぐらいだけれどないよりはいいだろうから、マッサージを気に入ってくれた人に配って帰ろうと思う。
二人目の文官さんの施術が終わり、三人目の文官さんの肩を揉んだ瞬間、執務室の扉が開いた。反射的に、扉を見ればそこにいたのはデリックさんだった。
「ソフィ、お待たせしました。おや、もしかして、部下たちのマッサージまでしていたのですか?」
「はい、時間もありましたし」
「ほう、マッサージをやってもらう暇があるとは、仕事の量が足りなかったようですね」
そう、笑って言ったデリックさんに、文官さん達は慌てた様子で自分の机へと戻って行く。
「ソフィ、送ります」
「私、一人で帰れます」
来るときは馬車だったけれど、歩いて帰れない距離ではないし、どう考えてもデリックさんは多忙である。
「しかし」
「本当に大丈夫です。お忙しいでしょうしお気になさらないでください」
「それでは私の気が収まりません。少し待っていてください」
私が返事をする前にデリックさんは執務室から出て行ってしまう。
手持ち無沙汰になった私はマッサージ券を配るために立ち上がる。
忙しそうに働いている文官さん一人一人の机に行って、お店の宣伝をしながら券を手渡していく。
マッサージ券最後の一枚を配るために、書類に顔をこれでもかと近づけて作業している文官さんを見つけて後ろから近づいて声をかける。
「お忙しいところ恐れ入りますが、お時間少々よろしいでしょうか」
「……」
聞こえていなかったのか、顔を上げない文官さんは、髪の長さから見て女性だと気づいた。
「あの!」
「……なんでしょう?」
下を向いたままの女性の文官さんの後頭部を見ていてなぜか既視感を覚える。
あれ?
どこかで見たことがある気がする。
「あ」
そこまで考えて思い出す。
私は、この後頭部を知っている。
「顔を見せてもらえますか?」
「……」
ビクッと反応した肩に、疑惑が確信に変わる。




