17.宰相
アークさんが、小さくノックをして、部屋に入っていく。後ろからついて中に入れば、中には複数人がいるようで話声が聞こえてきた。
「殿下、どちらに行かれていたのですか?」
「野暮用だ」
「さぼらないでください」
「大事な用事だったのだ」
大柄なアークさんのすぐ後ろに立つ私には、誰がいるか目で確認することはできないけれど、聞こえてくる声は聞いたことがある声だ。
けれど、確証が持てずに聞き耳を立てる。
「私はもう行きます」
「行くとはどこに行くのだ?」
「野暮用です」
「なんだ、デリックも野望用か」
「ええ、それでは、今日の分はまとめて机にならべています。今日中に目を通していただきたい重要案件は赤箱に入れておりますので必ず確認してください」
「待て、待て」
「急いでいるのですが」
アークさんが半歩動いたことで、視界の端に映ったのは、デリックさんとオーリー殿下だ。
「デリックは、ソフィのところにいくのか?」
出て行こうと扉に手をかけた姿勢で停止したデリックさんは、すごい勢いで振り向いた。
「今、ソフィと言われましたか?」
「ああ」
ニヤリと笑って、私の方を一瞬見たオーリー殿下。
「なぜ殿下がソフィの名前を……」
「怒るな。怒るな」
「怒るようなことをしたのですか?」
「い、いや、俺は、デリックの為を思ってだな」
「ほう、私の為を思って何をされたのです?」
明らかに怒っている様子のデリックさんに、オーリー殿下は降参と言わんばかりに両手をあげる。
「デリックは毎日ソフィのところへ行っているのだろう?」
「調べましたね」
「そりゃあ、宰相が挙動不審な動きをすれば当然調べるさ」
「挙動不審ですか?」
「仕事一筋、仕事が生きがいのデリックが、ここ最近は城を抜け出したり早帰りしたり明らかにおかしい。それに、俺を置いてひどいではないか」
「ひどくありません。職務は終わらせております」
「うっ、そうは言っても、デリックがいなければ困るのだ」
「どうやら殿下を甘やかしすぎたようですね」
「そんなことを言っていられるのも今だけだぞ」
「なんですか?」
「ソフィを連れてきた」
「なんですって?」
「怒るなよ」
「ソフィはどこに?」
「そこだ」
オーリー殿下が指さした先にいたのは私で、驚くデリックさんに向けて小さく頭を下げる。
「ソフィ……ご迷惑をおかけしたようで申し訳ございません」
「あ、いえ」
「そんな恰好までさせられて」
「いえ」
「それに、私は自分が宰相だと明かさずに」
「いえ、私もあえて聞きませんでしたし。本当に気になさらないでください」
「しかし」
デリックさんが眉を下げて申し訳なさそうな顔をしているけれど、デリックさんは何も悪くないのだ。事の元凶であるオーリー殿下を見れば、にっこりと笑って満足そうな表情をしている。
「では、あとは頼んだぞ、ソフィ」
「え」
「デリックに、俺がソフィを呼んでよかったと言わせるぐらいのマッサージをしてやってくれ。もちろん報酬は払うぞ。ほら」
ポイっと私に向かって何かを投げたオーリー殿下。反射的に受け取って顔を上げた時にはオーリー殿下の背が見えなくなっていた。
手のひらを開けば、そこにあったコインは初めて見る物だった。
デリックさんがコインを見て大きなため息を吐いている。
「王子の生誕の際に作られて記念硬貨です」
「記念硬貨……」
「価値は、金貨二〇枚分ほどあります」
「に、二〇枚?!」
「くれるというのですから、心置きなくもらってください」
「でも」
「ソフィ、この度は本当に申し訳ないことをしました。巻き込んでしまいすみません」
「いえ、その、私こそ、申し訳ございません」
「何がです?」
「宰相様とは知らずに馴れ馴れしくしてしまって」
「構いません。いつでも名乗ることができたのに名乗らなかったのは、私ですから。今までと同じようにしてください」
「でも」
「……お送りします」
「え、でもマッサージ」
「殿下に無理やり連れてこられたのでしょう? 気にしなくていいのですよ」
「こんな高価な記念硬貨をいただいてしまいましたので、何もやらずに帰るなんて恐ろしくてできません」
「しかし」
「ご迷惑ならやめておきますが」
両手で肩を揉む仕草をすれば、デリックさんの表情に変化があった。
「そ、それは、本当は私だって、すぐにでも」
「場所が違うだけですから、もしよければですが」
一度目を瞑って上を見上げたデリックさんは、悩んでいるようだ。
「殿下の思うつぼのようで、あまり気が進まないのですが、マッサージに罪はありませんね」
執務室は広く、机と椅子がずらりと並び、机の上には書類がたくさん置いてある。座っている人が見えなくなるほど書類が積み重なっている机もある。
「それでは、ここでやっていただけますか?」
デリックさんがここと指さしたのは、執務室の端にあるソファだった。
「ここなら人の目もありますし、密室に二人きりと言うわけではありませんから」
広い執務室の中に、仕事をしている人が数人いて、確かに二人きりではない。
「わかりました。それではこちらでお願いします」
「何か必要な物はありますか?」
「タオルと、あとはできたらですが、お湯があれば」
「ああ、あのホットタオルは実に素晴らしかったですからね。ぜひお願いします。お湯は用意させますから」
デリックさんが指示を出すと、すぐにふかふかのタオルとお湯が運ばれてきた。
「ありがとうございます。それでは始めます」
まずは腰かけたままいつものように肩にタオルを敷いて、もみほぐしていく。
「ああ」
「……」
「あああああ」
「……」
「最高です」
「……」
「ああ、そこ、実にいい」
いつも喜んでくれるデリックさんは、施術するこちらがいい気分になるほどの気持ちのいい反応をしてくれる。
ある程度肩をほぐしたら、お湯が冷めてしまう前にホットタオルを作る。
「それでは、靴を脱いで横になってください」
高身長のデリックさんが横になると大きなソファでも窮屈そうだ。それでもなんとか横になることができたので、ホットタオルを目の上に置くと、ほっとした吐息がもれるのが聞こえてきた。身体の力が抜けたデリックさんの、足の裏を指圧していく。
「あああ」
「……」
「なんと、足の裏までとは」
「……」
「本当に最高です」
「……」
「私は幸せ者です」
「いつも、喜んでくださってありがとうございます」
グッと、指に力を込めて指圧していく。足にはツボがあって、押せば体の悪いところがわかるなんて言われているけれど、うろ覚えだ。もっと詳しく勉強しておけばよかったと思いながらマッサージをしていく。
フッと感じた視線に、顔を上げると、一番近くにいる文官さんが何やら紙を持ってそわそわした様子でこちらの様子を伺っている。
ちょうどホットタオルが冷めた頃ということもあり、手を止めてタオルを取る。
「デリックさん、後ろの方、用事があるようです」
「ほう……私の至福の時を邪魔するとはいったい誰です?」
「デリック様、申し訳ございません。至急確認してほしい件が」
「仕方ありませんね、その書類見せなさい」
申し訳なさそうに、紙を差し出す文官さんから書類を受け取ったデリックさんは、書類に目を通して眉間に皺を寄せている。
「ソフィ、申し訳ありません。急ぎの用事ができまして、少しの間こちらで待っていただけますか?」
「はい、もちろんです」
「なるべく早く帰ってきますから、ソファでくつろいでいてください」
「はい、私のことはお気になさらずに」
書類片手に立ち上がった表情はキリリとしていて、マッサージ中のふにゃりとした顔とは大違いだった。
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