16.嫌がらせ
翌朝はいつもより早く目が覚めた。
お店が気になって、早い時間だったけれど着替えを済ませて外に出る。
まだ薄暗い路地裏は、少し肌寒くて、腕を擦りながらお店の扉に手をかけた瞬間、内側から扉が開く。
「え?!」
出てきた人は昨日お店の前で、ライラックの花を持っている時にぶつかった女の人だった。
驚いたのは、お互いだ。
動きを止めたままの私より一拍早く、その人は動き出す。
私を押しのけて、走りだしたその瞬間にやっと私は我に返った。
「待って」
そんな私の声には反応もせずに、一目散に逃げていく。
追いかけようかと悩んだ一瞬動きが止まってしまい、相手の背中が遠くなった。
荷物を盗られたあの日、犯人を追いかけた時にも追いつけなかったことを思い出して、あの時の悔しさを思い出す。
気づけば私は走り出していた。
まだ早朝で、人通りも少ない。
相手の後頭部を見失わないように見つめながら足を動かす。
振り返る相手と目が合った瞬間、グッと拳を握り、スピードを上げる。
けれど、なかなか距離が縮まらず、焦って周りを良く見ていなかったのが悪かった。
横道から飛び出してきた人にぶつかってしまう。
「うわああ」
ぶつかった拍子に、ドンを大きな尻もちをついて倒れこむ。
「おい、こら、どこ見てやがるんだ」
「す、すみません。急いでいて」
「フン」
ぶつかったのは男性で、相手はよろけただけで転ばなかったのが幸いだ。
お尻は痛むけれど、立ち上がり大きな怪我がないことを確認していれば、ぶつかった男性が落とした荷物を拾っていることに気づいた。
「本当に、すみませんでした」
「気を付けろ」
「はい、すみません」
追っていた犯人は当然いなくなっていて、諦めてお店に戻るしかなかった。
お店を確認すれば、中が荒らされていた。並べていたタオルが棚から全て床に落とされて、棚に置いていた花瓶も床に転がっていた。
犯人の顔を見られたのは収穫だけれど、何度思い出しても知っている顔ではない。
茶色の髪を肩まで伸ばしている、少し釣り目の女の人。目元の黒子が印象的で、年齢は恐らく二〇代前半だろう。
「あれは、誰?」
もしかしたら、忘れているだけかもしれないと思って記憶を辿っても、やっぱり知らない人だ。
悶々としながら、お店の中を整えれば開店の時間になった。
午前中は、商人のおじさんが着た後はお客さんが来ない時間が続き、お昼過ぎになり、扉がノックされた。
「はい、いらっしゃいませ」
扉を開けた先にいたのは、騎士団の制服を着たアークさんだった。
「いらっしゃいませ。どうぞお入りください」
「今日は客じゃないんだ」
「え?」
「嬢ちゃんを迎えに来た」
「お迎えですか?」
「ああ、ちょっと城まで一緒に来てくれるか?」
「お城ですか?」
「ああ」
城と言う単語に、聞き間違いかと思ってしまう。
「お城には、なんのために? と聞いてもよろしいですか?」
「直接聞いてくれ」
「直接?」
アークさんは私を豪華な馬車の前に連れていく。
末端とはいえ貴族だった私でさえも見ことがないほど、豪華な馬車は、誰か見たって高貴な人が乗っているに違いない。
アークさんが明けたドアの向こうにいたのは、この国の第二皇子であるオーリー殿下だ。
反射的に頭を下げる。
そして、思い出す。
オーリー殿下は、公爵令嬢であるマリー様に婚約破棄を申し出て、くそ男と言われビンタをされた人だということを。
「オーリー殿下にご挨拶申し上げます」
「うむ。頭を上げろ、行くぞ」
行くぞとは誰に向かって言ったのだろうかと、後ろを振り返った私に、後ろにいたアークさんの視線が突き刺さる。もしかしてと思って、小さく自分を指さしてみると、アークさんは大きく頷いている。
「ほら、行くぞ。ソフィ・ブラウンがいれば、宰相がいなくなることはなくなるのだ」
「宰相様でございますか?」
そんな偉い人を、私は知らない。末端貴族だった私は、宰相に会ったことは一度もないのだから。
「通っているだろう?」
「え?」
「デリック・ウィリアムズだよ」
聞き覚えのある名前に思考が停止する。
「デリックさんが宰相……」
「なんだ、デリックが宰相と知らなかったのか」
「文官さんだと思っていました」
「デリックは優秀だぞ、アカデミーの頃から成績優秀で、歴代の宰相の中でも最年少で宰相の地位に就いたのだ」
宰相といえば、皇帝陛下の補佐をする人で、私の中では年配の人のイメージがあったから、まだ若々しいデリックさんがまさか宰相とは思わなかった。
「ここ最近、デリックが仕事を抜け出して出かけている。調べたら女性の元へ通っていることがわかったのだ」
女性の元へ通っているというのは間違ってはいないけれど、語弊がある気がする。
「私はマッサージ店を営んでおりまして、宰相様は、私のマッサージを気に入ってくれて、マッサージの為に、来店されているだけなのです」
「ふむ……それならば、城で宰相のためにマッサージをやるのだ」
「え?」
「よいか、宰相が城を抜け出す理由がなくなる、すると仕事が捗る、結果的に国の為、国民のためになるのだ。よって、巡り巡ってお前のためにもなる」
そんなことを言われたって私には関係ないと思うのだけれど、さすがに王族相手にそんなことは言えない。
オーリー殿下は、話は終わったと言わんばかりに書類に目を通し始める。
社交界にほとんど参加をしたことがない私でさえも知っている第二皇子のオーリー殿下の噂は、女好きで、だらしがなく無能な皇子という噂だ。けれど、目の前のオーリー殿下は、噂通りには見えなかった。確かに女性にモテそうな容姿だけれども、ピッと伸びた背筋はだらしがないとは正反対で、きちんとした印象を受ける。私は姿勢にも人柄が出ると思う。
よくよく観察していると、文字を追う瞳はせわしなく動いていて、できる男にしか見えない。
「そんなに見つめられると溶けそうだ」
「す、すみません」
「今度、デートに誘ってやろうか?」
「え」
「なんだ、嬉しくないのか?」
「え、いえ、そのようなことは……」
「残念だな」
口ではそう言っているけれど、ちっとも残念そうではなくて、つかめない人だという印象が強くなった。警戒心丸出しの私を、面白そうに見ては機嫌が良さそうな様子のオーリー殿下。
「フッ、まあいい、そろそろ到着するぞ」
城に到着して、オーリー殿下についていく。
「よし、ソフィ、着替えてこい」
「え? 着替えですか?」
着替えなんて持ってきていないのに、何を言っているのだろうか不思議に思ったのは一瞬でアークさんにメイド服を手渡される。
「これに着替えてくるのだ。アークについていけ」
アークさんに背を押されて部屋に案内される。
「よし、ここで着替えてこい」
「あの、私はなぜメイド服を着ることになったのでしょう?」
「さあな、俺が聞きたいぐらいだ」
なんとか着替え終わり、部屋の外で待つアークさんに声をかける。
「着替えました」
「行くぞ」
アークさんに案内された先には、大きな扉があり、両側には騎士が立っていた。




