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15.異変

「女将さん、おはようございます」

「もう体調はいいのかい?」

「はい、元気になりました」

「昨日も、ソフィにマッサージをしてほしいってお客さんが何人か訪ねてきたから、休みだと伝えておいたよ」

「ありがとうございます。今日からまた頑張ります」


 くつろぎ亭の隣にある小さな扉は、見た目にはマッサージ店とはわからない。看板を設置するか悩んだけれど、知る人ぞ知るお店というのもいいかもしれないと思う。紹介制にすれば変なお客さんも来ないだろうし、危険度も減るかもしれない。


 扉を開けて、掃き掃除とベッドの拭き掃除をして、洗濯に出しておいたタオルを棚に並べていく。


「うん、綺麗になった」


 殺風景な室内を見渡して、デリックさんにもらったライラックの花のことを思い出した。お店に飾るのにピッタリだと思い、部屋まで取りに行く。


「いい香り」


 優しく甘い香りは、お客さんの癒しにもなるし、何より自分も癒される。

 余裕が出たら、今後お店に花を飾るのもいいだろう。


 そんなことを考えながらくつろぎ亭を出た瞬間、人にぶつかってしまう。


「すみません」


 ぶつかった衝撃で倒れたのは眼鏡をかけた女の人で、私は持っていたライラックの花を落としてしまった。


「大丈夫ですか?」

「……んで」

「え?」


 キッと鋭い目つきで睨まれて、落とした花を投げつけられ、驚く私に構わず、その子は立ち上がり走って去って行く。


 会ったことも話しこともない人だったと思うけれど、もしかしたら私が忘れているだけかもしれない。そう思って記憶を辿るけれど、やっぱり何度考えても初対面である。少し折れてしまった花を拾い集めてお店に飾る。


「まあ、いいか」


 その日は二日間お休みをもらった後だったからか、お客さんが多い一日だった。商人のおじさんはすっかりリピーターになり、マッサージをしに来てくれる。


「開店祝いは外に置いているからな」

「外ですか?」


 おじさんが、親指で外を指していたから、私は扉を開けて外に出る。

 そこには、木製の椅子が二脚。


「客が立って待っている姿が目に入ったからな」

「わあ、ありがとうございます」

「いいってことよ。それに、俺は、この店は流行ると思っているから、外の椅子二脚じゃ足りなくなるぞ」

「そうなるように頑張ります」


 店内には施術をする人だけ入るから、次のお客さんは外で待つことになる。外に椅子があれば待ち時間に座ることができるから、嬉しいプレゼントだ。さすが商人なだけあって、おじさんは目の付け所が違う。


 人が待つほどお客さんが増える自信はないけれど、椅子を見れば気が引き締まった。


 ニコラさんがいなくなって一人になって、不安はあるけれど、念願のお店を開くことができたし、お客さんも来てくれている。まだ始まったばかりだけどなんとかやっていけそうだと手ごたえを感じた翌日のこと。


 お店の扉を開けようとして異変に気付いた。


「あれ? 鍵が開いている?」


 昨日、鍵を閉めるのを忘れたのかもしれない。そう思ったのは中を見るまでだった。


「な、にこれ」


 ベッドと椅子が倒されて、棚に置いていたタオルは床に散らばっていて、ライラックの花が踏みつぶされていた。


「誰がこんなこと……」


 あまりの光景に、部屋の中で立ち尽くしてしまう。

 ハッと我に返って、お店をでて周囲を見渡すけれど、人通りはなかった。


 そのまま、急いで女将さんを呼びに行く。


「……これは一体どうしたんだい?」

「それが、昨日鍵を閉めたのに、今朝来た時に開いていておかしいなと思って、中に入ったらこの状態で」

「こんなにひどいこと……盗まれた物はないかい?」

「はい、貴重品は持ち歩いていますから、なくなった物はないです」

「心当たりはあるかい?」

「いいえ」

「そうか、何はともあれ、今日は営業できないね」

「……はい」

「ソフィ、気を付けるんだよ。とりあえず今日の客は断っておくよ」

「すみませんがよろしくお願いします」


 ぐちゃぐちゃに踏みつぶされたライラックを拾い集めて、ごみ箱に入れていく。萎れてしまっても、優しく甘い香りは消えていない。昨日はライラックの花を見て元気を貰えたのに、今、胸の中に渦巻くのは悲しみと怒りだ。


「誰がこんなことしたんだろう」


 その日は、犯人がわからないまま、もやもとしながら掃除と洗濯で一日が終わってしまう。


 この世界に防犯カメラがあったらいいのに。そう思っても、カメラなんて存在しないから、その日、私は眠るまでの時間、くつろぎ亭の泊まっている部屋から、自分のお店を見つめ続けた。


「うそ? 誰かいる」


 夜になり、カーテンの隙間から見えた人影は、お店の前を行ったり来たりしている。もしかしたら、部屋を荒らした犯人が来たのかもしれない。じっと目を凝らして見るけれど、暗い道では顔までは見えない。見えそうで見えなくて、下に降りようか迷っていたその時、雲の切れ目から月明かりが差し込み、人影がはっきりと見えた。


「え、デリックさん?」


 窓を開ければ、その音でこちらに気づいたようだ。


「ソフィ?」

「こんばんは」

「さすがにもう閉店していましたね。今日昼に来たときはお店が閉まっていたようなので、帰りに寄ってみました」


 こんなに遅くまで仕事をしているとは、文官さんも大変なんだなと思う。


「今日は……掃除やお洗濯で、お休みしていました」

「そうですか、また伺います」

「せっかく来ていただいたのに、すみません」

「いい夢を」

「おやすみなさい」


 小さく手を振り、デリックさんの後ろ姿を見送る。

 人影が知っている人だったことに、胸を撫でおろし、窓を閉めようとした瞬間だった。視線を感じた気がして、顔を上げた。けれど、雲が月を隠してしまい、目を凝らしてもそこは真っ暗で何もわからなかった。じっと見つめていても、何かが動く様子もなく、気のせいだったのだろうと思う。


お読みいただきありがとうございます。

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