13.本気のマッサージ
「医者でもないくせに調子に乗りやがって」
「いえ、そんなつもりは全く」
「おまえのせいで、俺があんな言われ方をしたんだぞ」
「すみま……」
反射的に謝りそうになった自分の口を閉じる。何も悪いことをしていないのに、なぜ謝らなければならないのだろう。ソフィ・ブラウンとしての一六年間でも島江ひかりとしての三五年間でも、悪くもないのに謝ってしまうのが癖のようになっている。
ここで謝るのが正しいのかもしれない。
頭を下げて、穏便にやり過ごせばいいのだ。
わかっているのに、そうしたくない自分がいるのは、前世を含めて悪くなくても頭を下げてばかりいたからだ。
立ち上がっても少し震える足が、自分の弱さを表しているようだけれど、私はもう後悔する生き方をしたくない。
グッと力を入れて、相手を見据える。
「なぜ怒っているのですか?」
「うるせえ! お前のせいで、こっちはやぶ医者扱いだ」
ヨレヨレの服を着た禿げ頭のおじさんが、まさかお医者さまとは思わなかった。
「……お医者様なのですか?」
「そうだ。ずっと治らなかった肩こりが、ここに行ったら治ったという患者がいたんだ。みんなで俺をやぶ医者扱いしやがって……くそっ!」
「それは、治ったわけではなく一時的に痛みが緩和されているだけです」
「そんなの知るかよ」
「だから、誰が悪いわけでも」
「うるせえ!!」
かなり感情的になっている医者のおじさんは、興奮して目も血走っている。
「どうやら、口で説明してもわからないみたいですね」
そう言って腕まくりをした私に、眉間に皺を寄せて、表情が険しくなった医者のおじさん言う。
「ああん? そんな細腕でお嬢ちゃん腕に自信があるってのか?」
「もちろんです」
「やろうってのか?」
「どうぞ、こちらに横になってください」
「は?」
拍子抜けしたおじさんに、私は堂々と胸を張り言った。
「私、敏腕マッサージ師なのでやるのはマッサージです」
「……なんでお嬢ちゃんのマッサージを俺が」
「体験すればわかります。お医者様なら余計に」
「は?」
「もし、マッサージを受けて、お気に召さなければ謝罪します」
「フン、そこまで言うなら受けてやろうじゃないか」
渋々横になった、医者のおじさんを前に、私は気合いがみなぎっていた。
私の本気のマッサージを、受けてみろ!
「それでは失礼します」
何をされるかわからないから、唇を固く結び、身体がこわばっているから、まずはリラックスさせなければならない。
「お身体触ります」
職業は医者と言っていたから、座り仕事がメインだろう。そう思っていたけれど、足の筋肉の張り具合からたくさん歩いているのだろうと予想できた。
年齢は恐らく五〇代後半、左右の足の長さの差は二センチ、足の大きさも偏りがあり、右利き。腕も足も右が発達していることから、右優位の身体の使い方をする人だ。
「なんだ、触るだけか?」
「うーん、もしかして」
「なんだ?」
このおじさん、恐らく背骨の一つが少しずれている。
「お腹に怪我をしたことはありませんか?」
「あるが、それがどうした?」
「大きな怪我でしたか?」
「まあな、でも一〇年以上前の話だ」
「なるほど」
「何がなるほどだ?」
「恐らくお腹の傷を庇うために腹筋ではなく背筋を使い身体を動かすのに慣れてしまったのだと思います。背骨が一つ少しずれていますので、たまに腰に痛みがあるのでは?」
「……おまえ、何者だ?」
「それは、もちろん敏腕マッサージ師です」
実際にはMRIでも撮らなければ骨がずれているかなんてはっきりわからないけれど、前世で施術したことがある患者さんにそっくりな状態なのだ。
腰からお尻、太もも、ふくろはぎとほぐしていく。
足の裏の硬さに、驚きながらも指圧をしていけば、気持ちが良さそうな声が漏れる。
揉んで押して、肘に体重をかけて押して、背中をマッサージする頃には、完全に身体から力が抜けていた。
これ以上施術をしなくても、恐らく納得してくれるだろう。
手を止めて、終わりを告げようとした時。
「なぜやめる?」
「なぜって、マッサージがどんな物がわかっていただけたと思いますので」
「……わからん」
「はい?」
「足りん、もっとやれ」
「えええ」
「やれ」
その後、おじさんの気が済むまでマッサージをさせられた私。
「まあ、悪くない」
「それはそうですよ。スペシャルバージョンですからね」
施術した私が汗をかいて疲れ切っている。本気のマッサージをやると、身体が疲れ切ってしまい、この後使い物にならないのだ。だから滅多にここまでやらないけれど、今回はつい燃えてしまった。
「……悪かったな」
「え?」
ゴソゴソとポケットを漁って、金貨を一枚私に向かって投げるおじさん。
「釣りはいらねえ」
私の返事も聞かずに逃げるように出て行ったおじさんの背を見送り、椅子に腰かける。
「いたっ」
怒ったおじさんに突き飛ばされたときに打った背中が痛む。金貨を貰ったこともあり、恨みはないけれど、痛い物は痛い。
翌日、目が覚めて、身体を動かせば予想通りの筋肉痛と、背中に痛みが出た。
「女将さんすみません、今日はマッサージお休みします」
「どうしたんだい?」
女将さんに一から説明すると心配をかけるだろうと思った私は、体調不良の一言で済ませることにした。
「今日は体調不良で」
「大丈夫かい?」
「はい、疲れているだけなので、寝たら元気になります」
「そうだね、ずっと休んでなかったし、今日はゆっくりしなさい」
「はい、マッサージのお休みのお知らせを書いたので、入り口に貼ってもいいですか?」
「もちろんさ。もしお客様が来たら伝えておくよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
昨日の疲れもあるし、ここ最近ゆっくりしていなかったから、今日は一日ゆっくりしよう。そう決めて朝ご飯を食べた後にも関わらず、ベッドにもぐりこむ。
暖かな日差しと、ふかふかの布団に包まれる。
やがて訪れる睡魔に身を委ねるこの瞬間が、至福の時だ。
けれど、幸せな時間は突如、終わりを告げる。
ドンドンというノックの音で目が覚めたからだ。
「……ん?」
私を訪ねてくる人はいないはずなのに、誰だろうかと寝ぼけた頭で考える
「入りますよ」
この声は誰だ? と思ったのは一瞬で、返事をする前に扉が開いていた。
枕に顔をつけたままの私は、まさかの人物に驚いた。
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