12.来店客
それから、寂しさを紛らわせるかのように仕事に励んだ。
その甲斐もあって、ニコラさんがいなくなった寂しさを感じる暇がないほど、私は忙しくなった。
商人の情報は回るのが早くて、口コミで広がった噂はあっという間に大きくなり、お客さんがたくさん来てくれるようになったのだ。
「いらっしゃいませ」
「ソフィ? 髪を切ったのですか?」
「あ、デリックさん、お久しぶりです」
「探しましたよ」
本日、午前中最後のお客様は、路地裏で私の肩もみをすごく気に入ってくれたデリックさんだった。
「急にいなくなったから心配しましたよ」
ものすごく至近距離に綺麗な顔が迫ってくる。
「す、す、すみません、急だったので挨拶もできなくて」
「いえいえ、ところで、ここで肩もみを?」
狭い室内をくまなく見て回るデリックさん。
「いえ、以前は外だったので座ったままできる肩もみだけだったのですが、こちらのベッドに横になって、全身のマッサージをやっています」
「ほうほうほう、このベッドに横になるのですね」
「はい。うつ伏せで横になっていただいて、顔を下向きにこの穴に入れていただくと、息がしやすくなっています」
「なるほど」
「コース三種類用意しておりまして、時間と内容が違います」
料金表をデリックさんに見せると、デリックさんは迷わず松コースを指さしている。
「はい、松コースですと、お時間三〇分で銀貨一枚になりますが、よろしいですか?」
「もちろんです。実は、噂で聞いて料金を知っていたので、銀貨をたくさん持ってきました。お金はいくらでも出します」
銅貨の時と同じように、袋一杯にお金を入れて持ってきたらしいデリックさんから、銀貨を一枚いただき、一番大きな砂時計をひっくり返す。
「それでは、横になってください」
「とても楽しみです」
ベッドに横になったデリックさんは、言葉通りワクワクしてたまらないと言った表情で、期待に応えねばと思う。カウンセリングしながら、身体に触れて、歪みや筋緊張を確認していく。
肩は相変わらずガチガチで、腰にも痛みがあると思う。足は座っている時間が長いと言っていたから、むくみがある。全身触って、感じたのは肩の凝り具合だ。
「相変わらず肩が凝ってますね」
「ええ。また頭痛が止まらず」
「わかりました。それでははじめますので、身体の力を抜いて楽にしてくださいね」
「はい、お願いします」
うつ伏せになったデリックさんのまずは背中から。軽く体重をかけながら肘や手のひらを使い施術していく。
「強さは大丈夫ですか?」
「はい、気持ちがよくてたまりません」
「それは良かったです」
デリックさんの身体の歪みからわかるのは、恐らくいつも同じ姿勢で、左の肘を机についている時間が長いということだ。揉んでほぐしていけば、デリックさんは気持ちがよさそうだ。
「ああああ」
「……」
「ああああああ」
「……」
「あああ、最高です」
「はい、それでは仰向けになってください」
「はい」
「目の上にタオルを置いてもいいですか?」
「タオル?」
「はい、温めたタオル置くととても気持ちがいいのですが、もし目を瞑るのが嫌だということでしたら遠慮なく言ってください」
「ほう、それは楽しみです」
用意していたお湯にタオルをつけて、ギュッとしぼる。
「失礼します」
「ぬわあああ」
「熱くないですか?」
「最高です」
そのまま、頭のマッサージをはじめると、寝息が聞こえてきた。
デリックさんは恐らく多忙な人なのだろうと思う。体の疲れ具合から見てその忙しさが垣間見える。寝かしておきたいけれど、そろそろ砂時計の砂が落ちる時間だ。
「デリックさん」
ポンポンと肩を叩けば、デリックさんはゆっくりと目を開けた。
「あ……もしかして私寝ていましたか?」
「はい、ぐっすりでしたよ。お疲れのようだったので、少しそのまま寝ていただきました。お時間大丈夫ですか?」
「あー、マッサージ中に寝てしまうとは勿体ないことしました。せっかくの時間を味合わずに寝てしまうとは、後悔してもしきれません」
「そんな大げさですよ。それに、寝るほど気持ちよかったなんて、マッサージ師としては嬉しい限りです」
「迷惑をかけてしまってすみません」
「いえいえ」
ベッドに腰かけたデリックさんの足元に、脱いでいた靴を置く。
「ソフィ」
「はい?」
「私の専属マッサージ師になりませんか?」
「え?」
「給金は十分に出しますし、衣食住も保証します。私はマッサージと言うものがこんなに気持ちがいいものだと知りませんでした。以前ソフィに肩を揉んでもらった日は慢性的な頭痛がなく、頭がすっきりして、いつもの数倍仕事が捗ったのです。ですから、専属の話、一度ゆっくり、考えてみてください」
「……はい」
デリックさんの突然の提案は、悪くない条件だと思う。わざわざ私を探して、マッサージに通ってくれて、あんなに喜んでくれるというだけで嬉しさもある。それでも即答できなかったのは、前世で自分の店を持つという夢がかなったばかりだからだ。それに、私はたくさんの人を癒したいという思いがある。
その日の閉店間際、お店の窓の外から手を振っていたのはアークさんだった。
「こんばんは」
「よっ、元気だったか?」
「はい」
「急にいなくなるから、心配したぞ」
「すみません、いろいろありまして。マッサージされますか?」
「お、いいのか? もう閉店だろう?」
「大丈夫ですよ。こちらにどうぞ」
施術用のベッドは細めだけれど、アークさんが寝転ぶとベッドが余計小さく見える。
「ここ最近はデリックが、ソフィがいないと大騒ぎだったぞ」
「いろいろありまして」
「何があった?」
「実は泥棒の被害にあって」
「大丈夫なのか?」
「お金は盗られましたが、ケガをしたわけではないので無事です。でも、もう前いたところにはいられなくなってしまって」
「なるほどな、それでニコラは?」
「ニコラさんは、もうここにはいません」
寝転んで施術しながら話していたけれど、アークさんは急に起き上がった。
「なんだって?」
「出て行かれました」
「どこにだ?」
「知りません。ただ」
「ただ? なんだ?」
「行くべきところがあると言っていましたよ」
「行くべきところ……」
何やら考えこんだアークさんは、立ち上がる。
「悪い、嬢ちゃん、また来る」
ポケットの中から、銀貨を取り出すと一枚手渡してくれる。
「まだお時間あまり経ってないのにこんなにたくさん」
「続きはまた今度頼む。失礼する」
急いで出て行ったアークさんを見送り、閉店の準備をする。
ニコラさんがいなくなった寂しさはあるけれど、この場所でマッサージできるだけでも有難い。お客さんには喜んでもらえて、専属の話しまでいただいて、こんなに順調でいいのだろうかと思うほどだ。
だから、私は浮かれていたのかもしれない。
最近はリピーターのお客さんが多くて、毎日が順調だったから。
久しぶりに新規のお客さんが来たのは、デリックさんが来た翌日のことだった。
「いらっしゃいませ」
「へえ、ここが噂のね」
「コースが三種類ありますが、いかがいたしますか?」
赤ら顔のおじさんからは、お酒の匂いがして、思わず顔を歪めそうになるのを我慢した。
「痛いところを治せるんだってな」
「いえ、マッサージはあくまでも痛みを緩和させることしかできませんので」
「はあ? 治せないのかよ?」
「あくまで治療ではないので……」
突然胸倉を掴まれて、足が宙に浮く。
「そんな半端なおまえのせいで」
「ぅぐ」
狭い部屋で思いっきり突き飛ばされて、棚に背中を強打した。大きな音がしたはずだから、もしかしたら隣のくつろぎ亭の誰かが気づいてくれるかもしれない。そんな期待を込めて、扉の方向を見るけれど、誰かが来る様子はない。
突き飛ばされて床に座ったままの状態から見上げれば、おじさんが余計大きく見える。なぜか怒っている相手は、冷静ではなくて、これはまずいと瞬間的に思った。
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