10.開店準備
「では、お客様、こちらにどうぞ」
私がそう言うと、ニコラさんは少し驚いたようだけれど、ベッドに腰かけてくれた。
「どうぞ、うつ伏せになってください」
ニコラさんは、無理してベッドを作ってくれたからか、背中の筋肉の張りがひどかった。
「強さは大丈夫ですか?」
「ああ」
ニコラさんのマッサージをしながら、私は今更だけれど自分の話をすることにした。
「あの、今更ですが、私の話をしてもいいですか?」
「……ああ」
「実は、ついこの間、婚約破棄されました」
ピクリと動いたニコラさんの肩を擦りながら話を続ける。
「婚約破棄?」
「はい、私、末端ですが一応貴族だったのです」
「なに? ソフィは貴族なのか?」
「一応ですよ。それに今は多分平民です。まあ、それで、あの日は第二皇子の婚約パーティーがありまして」
「……婚約パーティーか」
「はい、そこで第二皇子が婚約破棄をして」
顔を伏せていたニコラさんだったけれど、余程驚いたのか起き上がった。
「第二皇子が婚約破棄をしたのか?」
「はい、それで、婚約破棄をしたオーリー殿下を見た私の婚約者が、便乗して婚約破棄をすると言い出しまして」
「……意味が分からない」
「まあ、結果的には良かったからいいのですけれど」
「良くはないだろう」
「いいのです。相手のことを好きだとか愛しているとかそんな気持ちはなかったので。それよりも問題は婚約破棄された日に、家に帰ったら家族が夜逃げした後だったのです」
「なんだって?」
「もともと借金があったので、家を売りに出したようです。だから家にはいられなくて、翌朝に荷物をまとめて出てきました」
「一人でか?」
「はい」
「家族はどこに?」
「わかりませんが、いるとすれば、恐らく母方の実家だと思います」
「なぜソフィは一緒ではないのだ?」
「うーん、家族と言っても、私は誰とも血が繋がっていないので」
「なに?」
「母の再婚相手が今の父で、母が亡くなってしばらくして、父が再婚しました」
「なるほど、それで誰とも血が繋がっていないわけだな」
「はい、それで、住む家がなくなったので、とりあえず家を出て最初はくつろぎ亭に泊まっていました。仕事を探しましたが、身元保証人がいないと雇ってもらえず。すぐに残金がなくなって、路地裏で寝るようになって」
「そうだったのか」
「はい、それでお金もなくて仕事もなくて、持っていた荷物を盗られて」
「なに? 荷物を盗られたのか?」
「はい、ウトウトしていたら、持っていた鞄を抜き取られて、追いかけたけど追い付かなくて」
「なんて危ない真似を……気持ちはわかるが、そういうときは荷物を諦めろ」
「はい、まあ、それで、どん底だったあの時、ニコラさんが声をかけてくれたんです。だから、改めてありがとうございました」
「いや……俺は……偶々声をかけただけだ」
「偶々でも、嬉しかったです。本当に心細かったから。感謝の気持ちをマッサージに込めますから、どうぞ横になってください」
その言葉に、ニコラさんが横になってくれたので、マッサージを再開する。
「それではニコラさん、目の上にホットタオル置きますから、感想を聞かせてくださいね」
「わかった」
熱めのお湯にタオルを浸して、ホットタオルを作る。
「ニコラさん、目閉じてくださいね」
「ああ」
「それでは失礼します」
そっと目の上に、タオルを置くと肩の力が抜けていくのがわかった。足の裏を指圧して、少しずつ上に施術する場所を移動していく。
「いかがですか?」
「これは流行るだろう」
「本当ですか?」
「現に肩もみだけでも、アークさんが通っていただろう?」
「アークさんは肩もみを気に入ってくれていましたけれど、ニコラさんに会いに来ていた気がしますよ」
「アークは、古い知り合いだ」
「それなら、急にいなくなって探していませんか?」
「……気にしなくていい。アークさんは騎士団に所属していて、職務が忙しいだろうし、その気になれば俺の居場所なんてすぐに調べられるだろうからな」
まさか、アークさんが騎士とは思わなかった。けれど、あの上腕二頭筋を思い出してみれば、納得である。
マッサージをしていると、普段あまり喋らない人でも話をすることが多い気がする。リラックスしているからか、理由はわからないけれど、口数が増える人が多いのだ。これは島江ひかりだった前世でも、マッサージ中によく感じていたことだ。
「ソフィに聞きたいことがあるのだが」
「はい、なんでしょう?」
「ソフィはなぜ、そんなに自分に自信があるのだ?」
一瞬、マッサージをしている手をとめてしまう。
「私、自信あるように見えますか?」
「ああ、自分で敏腕マッサージ師と言っていただろう?」
「それは、自分に暗示をかけているんですよ」
「暗示?」
「はい、本当は自信なんてないんです。私は自分が特別でないことを知っています」
「そんなことは……」
「あります。それでも、自分が特別で一番だって、私は敏腕マッサージなんだって、言い続けていれば、いつかそれが本当になるかもしれません。それに自信なさそうにマッサージされるより、嘘でも自信満々でやった方がいいと思って」
「嘘でもか……」
「まあ、一〇〇%嘘ではないのですよ。私、マッサージ得意ですし。あとは、もしかしたら誰かにとっては私が特別な敏腕マッサージ師かもしれませんから」
「そうか、嘘でも自信満々で……」
「ええ、まあ、何事も気の持ちようということですよね」
そこまで話したところで、身体のマッサージから、頭のマッサージへと移行する。両手で頭を包みこむように持って、優しくマッサージしていく。
「少し、俺の話をしてもいいか?」
「もちろんです」
「俺も昔、婚約者がいた」
「え?」
「足が動かなくなって……職務を放棄する形になって、そのまま会っていない」
「一度でもですか?」
「ああ、俺は全てのことから逃げて来たんだ」
「逃げて?」
「ああ、投げ出してきた。役目も何もかも放り出して、逃げたんだ」
後悔をにじませて吐き捨てるようにそう言ったニコラさんはそれっきり黙ってしまった。
いろいろ聞きたいことは増えたけれど、寝てしまったニコラさんを起こすのも忍びなくて、しばらくそのままにしておいた。
翌日には、くつろぎ亭の旦那さんと女将さんにもマッサージを体験してもらった。
「これはいい。女将が褒めていた理由がわかった」
「本当に、ソフィのおかげで、肩が楽になったよ」
旦那さんと女将さんにも太鼓判をもらい、自信もついた。
「よし、今日からお客さんに声をかけとくよ。いくらにするんだい?」
「あ、まだ値段を決めてなくて」
「まあ、早めに決めな」
「はい、考えておきます」
マッサージ店が他にないから、適正な価格がわからなくて、なかなか決まらなかったけれど、コースを松竹梅の三種類用意した。お客さんのニーズもわからないし、お試し期間だ。
わかりやすいように料金表を書いた紙を部屋の中に貼る。
ベッドの他には何もない部屋だけれど、ずっと欲しかった自分のお店だ。ワクワクしてドキドキして、何とも言えない嬉しさが胸を満たす。
開店準備が整ったところで、外から女将さんの声がした。
「ソフィ」
「はい」
「お客さんだよ」
いよいよ開店だ。
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