第二話 幼なじみ
「もしかして、安川さんって小夜?」
ここはとある企業の給湯室です。電気ポットでお湯を沸かしている女に、一人の女が声をかけました。
小夜という女は見た目は地味でした、でも、気立がよく、優しい女でした。
小夜に声をかけた女は、少しばかり美しい女でした。でも、意地悪で意思の弱い女でした。名は小林尚美と言いました。
「えーと……」
小夜は声をかけてきた女が誰かわからず、戸惑いました。すると女は自分から名乗りました。
「私、尚美。小林尚美」
「あ、尚美さん」
小夜の顔は引き攣りました。というのも、小学生時代、尚美に意地悪をされていたのを思い出したのです。
尚美には二つ上に姉がいました。名を日登美と言いました。
二人はその日の気分で、小夜を無視したり「ブス!」と悪口を言ったりしました。
とても、ひどい姉妹だったのです。
「小夜はずっとここで働いているの?」
「うん。尚美さんは、いつからここに?」
できれば話したくありませんでしたが、小夜は仕方なく訊きました。こういうところが、優しいのです。
「今月。ほら、データ入力のバイト」
尚美はそう言って、小夜が沸かしたお湯を勝手に使って、インスタントコーヒーを淹れました。
尚美は動物が好きで、獣医を目指していた時期もありましたが、学力が全く足りず、なぁなぁにその夢を諦め、アルバイトで生計を立てていました。
一方で小夜は苦手ながらも勉学に励み、大学を卒業し、このメーカーに勤めていました。このメーカーでは、結婚式の引き出物などを扱っており、小夜は商品の在庫管理や発注を担当していました。
小夜は尚美が同じ会社にいると知って、大変失望しましたし、また警戒したのです。尚美がまた悪口を言って、会社の人と一緒に意地悪をしてくるのではないか、と思ったのです。
身構えたところで、小夜の頭に一人の男が浮かびました。清川壮です。清川は課長を務めていました。清潔感のある見た目で、気遣いができ、食事の仕方が綺麗な男でした。
実を言うと、清川と小夜は婚約をしていました。もう式の日程も会場も招待客も決まっています。
小学生の頃は尚美(と日登美)のいじわるに、一人で立ち向かわなければなりませんでしたが、今は清川という味方がいます。小夜はそう思って息を吐きました。
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給湯室で顔を合わせて以来、尚美は小夜を見つけては話しかけました。その内容は小学生の頃と変わらず、人の噂と悪口でした。
小夜は毎回適当に聞いていましたが、今日、聞き逃すことのできない話を聞きました。
「課長の清川さん。何かいいよね。結婚はしてなさそうだけど、彼女いるのかな……」
小夜は手に持っていた発注書の束を、落としそうになりました。
「私が婚約者だよ」と言ってやろうかとも思いましたが、まんまと尚美の策略に引っかかって自白したみたいになるのが嫌で黙っていました。
そして、できるなら清川から
「俺、結婚するから。安川さんと」
と尚美に盛大に発表して欲しいと思いました。惹かれている男から「結婚するから」と言われるのは、どれほど尚美にダメージを与えるでしょう。
昔からの恨みが一気に晴らせるような気が、小夜にはしたのです。
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尚美が清川に好意を抱いていると知っても、小夜は全く動じませんでした。
それは清川が本当に賢く正直な男だと知っていたからです。
実際、清川は尚美が自分に言い寄ってきていることを、小夜に告白していました。
そして、小夜は尚美が小学生時代の同級生であること、無視や意地悪をされていたことを話しました。
「愛する小夜に、そんなことをする奴は許せない!」
清川は顔を真っ赤にして、栗が爆ぜるような勢いで怒りました。
「いい方法がある」
清川は小夜に耳打ちをしました。
清川の話を聞いて、小夜はにこりと笑いました。
とある金曜日。終業時間ちょうどに尚美はパソコンの電源を落とし「お疲れ様でした」と言って、自席を立ちました。
エレベーターで一階に降りると、ロビーのソファーに清川が座っているのが見えました。清川に好意を抱いている尚美は、餌に向かってまっすぐ走る犬のように、清川の元へ向かいました。
清川の向こう側には女が座っていました。角度的に死角になっていたのです。
女を見て尚美は、はっとしました。小夜だったのです。
清川が尚美に気づきました。清川は尚美の方を見て
「お疲れ様です」
と爽やかな笑みを見せました。
尚美は、その笑みにぐっときながらも、清川の隣に座っている小夜が気に入りませんでした。
「小夜、何かミスしたの? 課長といるなんて」
皮肉を言いました。小夜はこちらを見ません。
「小林さん。そういう言い方は人柄が現れるよ。最も、君の人柄らしい喋り方ではあるけれども」
清川の口調は優しく、顔も笑顔でしたが、言われた内容に尚美は不穏な空気を感じました。
「君にちょっかいをかけられるのは、小夜だけではなく、僕も迷惑なんだ。邪魔しないでくれるかな」
尚美はその言葉にプライドを傷つけられました。瀕死の白鳥が痙攣するように、口角がぴくぴくと痙攣しました。その表情は醜いものでした。
「行こう」
清川は小夜を促しその場を立ち去りました。
小夜の左手の薬指には、婚約指輪が光っていましたとさ。
読んでいただき、ありがとうございます。
さてさて次回のお話は……
つづく。