星降る夜に・音のない世界で・猫の欠伸を・ひと目見たいと歩きまわっていました。
いないんだよ、と泣きそうな顔で相手に言われてしまい、探しにきた少年は呆れたようにため息を吐いた。いずれオットウと呼ばれる祓い師の少年である。俐位の父だ。父が少年だった頃、いずれニトと呼ばれる鬼と人生を共にし、鬼が成人した後も珍しく長い関係を結ぶのだが、今のニトは少年だ。人間名を小兒とした。鬼に近しい名前を何故選ぶのかと尋ねると、角がある方が格好いいとのことだ。そんな好奇心の強い鬼であるから、ある晩オットウ少年の目を盗んで外に出たのだが、お目付役はいとも簡単に見つけてしまった。脱走を見つけられたのを恐れたのか、目的が果たせないからなのか涙目のニト少年を見て、オットウ少年は力が抜けてしまった。オットウ少年は位発といい、小兒をもう一度呆れた目で見る。幼い頃から視力が弱く、めがねをしている位発のレンズの向こうには、何度見ても涙目の小兒がいた。
「何がいないんだい」
位発は尋ねた。
「猫ぉ・・・」
小兒は答えた。この鬼は猫を好む。その気質は息子である緒丹にも受け継がれているようだ。夜行性であるから夜なら簡単に見つけられ、あわよくば撫でたいと想っていたのかもしれない。だがあいにく、鬼とは怪力であり、異質な存在だ。小兒は鬼には珍しく小柄で、育ち盛りの位発より少し低い。とはいえ、怪力は通常の鬼と同じようにある。その存在感を猫や犬など、比較的人間の側にいる動物たちは感じ取り、嫌う傾向にあるのだ。一度学校行事で牧場に行ったとき、そこにいた全頭の馬や牛に威嚇されたことがある。その時は、体質だとごまかすのが大変であった。とはいえ小兒はこざっぱりとした性格で、知的好奇心が強くて人当たりがいい。だから鬼の中でも扱いやすい方だと位発は自分の父にそう言われていた。そんな彼が猫を探して、その愛らしい毛並みを愛でたいと考えて脱走したのを考えると、位発はなんだか小兒が憎めない。それも猫に嫌われているだけで涙を目に浮かべられたのを見ると、何とかしてやらなければと想ってしまう。鬼に深入りするな、と父に言われていたが、位発は幼い頃からその言いつけを心の中で破っていた。
「いいから、帰ろう。君は鬼なんだから猫には嫌われるんだって」
「やだ・・・」
小兒は八重歯をむき出しにし、歯を食いしばって悔しがる。そう駄々をこねられたところで、位発本人も特に猫に好かれる体質でもないし、ペット用品など現代ほど発達していない時代である。どうしようも無かった。家から鰹節を拝借してくるくらいしか、位発の知恵では浮かばないし、金もない。だが小兒が帰らないのならば、位発も帰るわけには行かなかった。
「分かった、分かった。猫の集会の場所に行ってみよう」
「そんなんあるのか?」
「噂で聞いたんだよ。化け猫みたいに長生きした猫が主催しているって評判だ」
「行く!」
静かに、と小兒を窘めてから位発は歩き出す。その後ろをしっぽを振る犬かのように嬉しそうな顔をした小兒がついて行った。これだから憎めない。位発は暗い町内を懐中電灯一つで歩き回り、ついに学校近くにある空き地に向かった。その広い空き地は、猫の集会所で夜な夜な化け猫の会合があるんだと、同級生がおどろおどろしく教えてくれたのを思い出す。祓い師の位発少年に怖い物はないが、その時は怖がるふりをして同級生には満足してもらった。己を押し殺しがちな位発に、小兒は思ったことをそのまま言う癖があり、それも羨ましいところであった。位発の後ろにいた小兒は空き地に着くと、すぐに中央に走り寄る。
「猫」
猫がそこにいると考えたらしい。だが勢いよく走り寄ったせいだろうか、猫の姿はひとつとて見えなかった。
「いない・・・」
「走るから・・・」
「そんなぁ」
小兒は再びがっくりと肩を落とす。こうなると帰ってくれるかどうか位発には不安だった。見回りの警官に見つかったらどうなるだろうと、どきどきと鼓動がうるさい。それに暗がりは怖くないといったら嘘になる。霊などは怖くないのに、暗闇だけはどうにも苦手だった。小兒がいるからまだマシであったが、帰ろうよと位発は言う。
「何用ぞ」
その時、背筋を舐められるような冷たい声音が聞こえた。声帯で発するというよりも頭の中に直接響いてくるかのような不思議な声だ。ああこれはこの世のものじゃないなと位発は驚きもしない。小兒も同様のようで、不思議そうにきょろきょろと辺りを見回している。
「猫!」
すると小兒が嬉しそうに叫んだ。もう一度し、っと位発は窘めるが小兒は言葉を出さない代わりに、あれやこれやとジェスチャーで足下を指してきた。足下、と位発が見やると、そこには白い毛が少しぼさぼさとした黄色い目の猫がいた。悠々と位発の横を歩き、小兒の前に座る。その仕草はまるで王様のような威風堂々とした歩きっぷりだった。ははあ、これが化け猫かと位発は感心する。化け猫はどうやら子供二人が驚いて動けないのだと判断し、ふふんと鼻を鳴らした。
「ふん、驚いて動けもせんか」
「猫!」
「ぎゃあ! この不届きもの!」
小兒が嬉しそうに白猫を抱え上げ、頬ずりする。毛並みが小兒の顔の動きで、上に、下にと変わっていくのを位発は吹き出してしまった。
「こ、小僧ら、この私が怖くないのかっ」
「だって、僕は祓い師だよ。そっちは鬼」
「鬼?!」
化け猫は抱えられている小兒を見上げる。人間社会に溶け込むため、鬼は所謂化けるという方法を取っているのだが、子供のころは無闇に術が解けてもいけないので親から強力な術をかけてもらうのだ。そのせいか気付かなかったらしい。むしろ化け猫だからこそ、鬼の異質さが身になじんで気付かなかったようだ。普通の猫ならば近づかない。ふと位発が気付くと、周囲を近所でよく見かける猫が取り囲んでいた。皆目を丸くして、化け猫を見ているようだ。位発は、そうか猫も驚くんだと至極当然のことに気が付いた。
「ええい離せ! 離せ小僧!」
「もう少し我慢してやってよ。鬼だから普通の猫は近付けないんだ」
「位発、持って帰っていい!?」
「それはだめ。飼い猫なんだよ。五軒隣のおじいさんちのだから」
「あれは私の仮の姿じゃ、たわけっ」
「鬼に捕まったんだから、好きなだけいじられてよね」
化け猫は相変わらず嬉しそうに撫でくり回す小兒に、ついに爪を出してひっかこうとした。その瞬間、位発が冷たい声音で言う。
「引っかいたら祓うよ」
子供の祓い師に怯えないほどに化け猫を長くやっているのだが、何故かこの少年に逆らっては良くない気がしたようだ。化け猫はおとなしくなった。何せ鬼と共にいる祓い師である。結局小兒が満足するまで撫でくり回してから、二人は星の大きな夜に家路に着いたのだった。そんな化け猫だが、飼い主を変え、姿を変えて今は三毛猫の雌に姿を変えている。何故そのことが分かるからと言うと、それ以降位発が家に定期的に来るように言ったからだ。小兒が爆発しないための癒やし役としたのである。位発は見返りに高級な猫用のフードやちゅ~るを与え、化け猫は小兒になされるがままの契約だ。今日も化け猫は一鳴きして、庭に繋がる扉をオットウに開けてもらって中に入る。俐位や緒丹も興味本位で撫でさせてもらったが、やはり猫を一番愛しているのは小兒だ。時折来る化け猫のために、猫じゃらしや最新鋭のおもちゃを買おうとするので、位発は今少しだけ頭を悩ませている。だが小兒が楽しそうにしているのならいい。だって彼は憎めない鬼である。位発も三毛猫の毛皮を一撫でし、今日も満足そうに微笑むのだった。