9 森への侵入者①
時間とびます。
アンジェリカが森に来て、一年たった。
アンジェリカは六歳になり、身軽な身体を活かして、動物たちと過ごしている。
アンジェリカが妖精と呼んだ光る球体もいつもアンジェリカたちを見守っている。
朝、ログハウスから出たアンジェリカは、ぐぅっと伸びをして駆け出す。
「おはよう、アリー、ルベル」
出会ったうさぎに挨拶をする。
ピクリと耳を震わせた彼らに手を振り、また駆け出す。
木々の間を縫い、大木の前でぴょん、とはねたアンジェリカは、細い枝の上に乗り、周囲を見回す。
いくつもの低木にベリーがなっている。
今の時期は、ベリーがよく実る。
そしたら三種類のベリーでタルトでも作って、動物たちに分けようか。
アンジェリカは一年で森に馴染んだ。最初はどこか浮いていたが、森で過ごすうちに、いろいろなものに警戒していた心の鎧が、剥がれたのだ。
(ベリーを使ったタルトは、クマのヤヌさんとリスのコハナ夫婦、うさぎのみんなと雪鳥のシューとライが好きだったはず。ベリーのジャムはみんな好き。初めて作ったとき、人気すぎて生産が追いつかなかったくらい)
作るものと、それを好む仲間を思い浮かべながら木を飛び降り、手にした籠にベリーを放り入れていく。
「雪降る、雪鳥の羽、青空に。空を仰ぐ、手を繋ぐうさぎは春をみる。クマは眠りから覚め、リスの家族に春を告げる」
この一年で知った彼らの生態を歌にし、口ずさみながらベリーを摘んでいく。
「迷い込んだ、迷い込んだ、人の子は。湖に飛び込み己を知る。描く夢はサラサラに、流れて伝う、仲間のもとへ」
歌に自身のことも混ぜながら、ベリーを摘んでいく。
「二重。伝えど森の中。彼の者はいかに四季を知る」
アンジェリカは森に住み始めて、四季の移り変わりを深く感じた。
一度目ではずっと部屋に引きこもりきりで、外に出るのは、ソフィアナに連れ出されるときばかり。
いつも見る季節は単調だった。
森に住み、いつも動物たちと過ごした。
ときには妖精も加わり、みんなで遊んだ。ピクニックもした。
みんな温かくて、アンジェリカは自然と笑みを浮かべることができた。
そのうちアンジェリカが作るようになった料理や、お菓子を、森の仲間たちは、喜んで食べた。
あまりに美味しいから、奪い合いで喧嘩になったこともある。
そんなときは、アンジェリカの一言「喧嘩する子にはあげません」が炸裂した。
アンジェリカの一度目の家族はいないけれど、新しい森の仲間が、アンジェリカの家族のようなものだ。
幸せな毎日が、アンジェリカを包んでいた。
アクアローズのもとにもこまめに通っており、茶菓子を持って遊びに行くこともある。
先日は、フルーツサンドを持っていったが、アクアローズは喜んで食べていた。
そんな風に楽しく過ごしていたアンジェリカは、ベリーを摘み終わったとき、影を見た。フラフラと移動する影は、まるで人のような背格好をしていて、アンジェリカは疑問を持った。
(人?)
この森は、神聖なものだと言われているから、人は寄り付かない。
十年に一度の精霊祭で王族がアクアローズの湖にやってくるくらい。
──一度目の人生でアンジェリカが湖に沈められたのがその時だ。
前回の精霊祭はアンジェリカが四つの頃。つまり、二年前。
まだアンジェリカはこの森に来ておらず、いつもどおりの精霊祭だったと妖精から聞いた。
だから、精霊祭でもない今、この森に立ち入るものはいないはず。
アンジェリカは、その人間の様子を見てみることにした。
フラフラと歩く危うさがあるが、ちゃんと地に足をつけている。朝から黒いフードマントはなかなかに怪しいが、見ていて怪しい行動はしていない。
(単純に迷い込んだのかな?)
アンジェリカがそう思うほど、フラフラとして、行き場所を決めていないように見える。
剣なども所持していない。
暫くして、フードマントの人はパタリと倒れた。躓いたとかではなさそうだ。
思わずアンジェリカは飛び出して、手を差し伸べた。
「だ、大丈夫ですか」
アンジェリカの問に、フードマントの人物は、腹の音で応えた。
それはそれは大きな音だった。
*
カチャリと食器が音をたてる。
アンジェリカは目の前に座る男を見た。
「いやーははは。家を追い出されてねぇ、メシも蓄えもねえからどうしようかと思ってたところだったんだ。助かったよ」
「そう、良かったね」
快活に挨拶をした男は、ギルバートと名乗った。
身のこなしからして、貴族子息だとは思う。これは一度目の人生でのアンジェリカの勘だ。
しかし、この国の貴族であれば、この森の中に立ち入るはずがないことをアンジェリカは知っている。
だとすれば。この男は他国の貴族なのだろうか。
「私はア……アンジェ」
アンジェリカは自身の名を名乗ろうとしてやめた。
この男が何者かもわからぬ状況、それも他国の貴族かもしれないとなれば、本名を名乗るのは得策とは言えないからだ。
名乗った名は、本名を多少いじっただけだが、別に問題はない。本名を名乗らないことが重要なのだから。
「そうか、よろしくな。アンジェ」
ギルバートはアンジェリカに右手を差し出してきた。
アンジェリカが首をひねると、ギルバートは慌てたように手を引っ込める。
「ごめん、これは俺のいた国の挨拶のひとつなんだ」
「ああ、なるほど」
もう一度差し出してきた手に、アンジェリカは自身の手を差し出す。
しっかりと握られたその時、カチリ、と何かがなった気がした。
アンジェリカは目線だけで周囲を見回すが、特に何かがあるわけではない。
いつの間にか設置されていた時計の音だろう、と結論付け、アンジェリカは再び目の前の男に向き直った。
次話投稿は九月二十三日です。