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それは、生贄の描く儚き夢  作者: 黒猫神無月
一章
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5 生贄の少女と湖


 アンジェリカが辿り着いたのは、かつて一度目の人生で、アンジェリカが生贄として沈められた女神像がある湖。


 アンジェリカにとって恐怖の対象になりそうなその湖は、波一つなく、静かにアンジェリカを迎えた。


 湖にフラフラと歩み寄ったアンジェリカは、湖の淵で座り込み膝を抱えた。

 何もかも、嫌になってしまいそうだった。


 膝に埋めた顔が、どんな感情を表しているのかはわからなかったけれど。

 それでも、膝に水が滴る様子から、自身が涙を流していることは理解できた。


 会いたかったけれど、同時に会いたくなかった。

 矛盾していて、でも確実にアンジェリカの心を表している、どうしようもないその感情は、いつの間にか凪いだ湖面のように静かになっていた。


『大切な妹。大好きよ』


 一度目の人生で、幾度となくソフィアナから告げられた言葉。

 ソフィアナが命を散らすその時にも、アンジェリカに告げた言葉。

 熱を持ったようなその言葉を、アンジェリカは胸の中で反芻する。


 暖かさが胸の中に広がり、収まりかかっていた涙が再び溢れてくる。

 みんなみんな、アンジェリカを家族だと言った。

 彼らは、最期までアンジェリカを案じていた。


 彼らが死ぬ原因を作ったのは、誰がなんと言おうと、アンジェリカなのだと。

 アンジェリカ自身が思っている。


 アンジェリカは自身の存在を否定する。


 存在しなければ、彼らは死ななかった。

 そう思うから。


 顔を上げ、目の前の湖に目をやったアンジェリカは、このまま死んでしまおうと思った。


 アンジェリカが彼らに関われば、どうせ彼らは殺され、アンジェリカは生贄にされる。

 未来を変えることなど、きっとできるはずがない。


 ならば。今、この場で湖に身を投じて、生贄になろうと。

 結果は変わらないのではないか。


 回らなくなった頭が、そんな答えを弾き出す。


 アンジェリカは、走りすぎてもうほとんど動かせない足を引き摺り、移動する。

 這いつくばって辿り着いた湖に指先を浸ける。


 ひんやりとした感触が指先から伝わってくるのを受けて、生きてるのだと感じた。


 湖沿いに浅く腰掛け、アンジェリカは身体を前に倒す。体重を偏らせた身体が、ふわりと地面から浮いたような気がした。


 浮遊感とともに、一瞬にして目の前に迫った水に、アンジェリカは目を閉じる。


 何も、怖くはなかった。


 あのときのように、足に石は括り付けられていないけれど。

 アンジェリカの身体は暗い水の中に沈んでいった。


 アンジェリカの視界の端で、女神像が赤く光り輝いた。



 *



 孤児院は騒がしくなっていた。


 今日来たばかりの少女が、公爵家の人と会った瞬間走り出し、行方がわからなくなってしまったのだ。


 孤児院の子どもたちは、そこまで気にしていなかった。

 だってあの子はこの孤児院に来た途端、挨拶も碌にせず、さっさとどこかへ行ってしまったのだ。追いかけた先であの子は寝ていた。


 そんな勝手なやつが、いなくなったところで。どうせどこかに隠れているんだろう。


 そう思ったのだ。


 公爵家の、ソフィアナが顔を真っ青にしている。公爵夫人はソフィアナに寄り添いながらも、焦りを隠しきれていない。

 公爵さまは、周りに指示を飛ばしている。


 一人の子どもも不幸にはさせない。


 公爵家には、そんな家訓があるらしい。

 でも。ダインは思った。


 あのアンジェリカとか言う子どもは、瞳が真っ暗だった。

 金粉を散らしたような色が、星のようにきらめいているのに、瞳自体は淀んでいて、何を考えているのかわからなかった。


 まるで、不幸の海の中で、彷徨っているような。そんな印象を受けた。


 ダインは、自分たちは不幸な存在だと思ってる。親に捨てられた、または親を喪った。

 まだ全員が十つを越していないというのに。


 孤児院にいるやつはまだマシな方で。王都にあるというスラムや貧民街と呼ばれる場所はもっと劣悪な環境だと聞く。


 そんなところにいるやつは、きっと目がギラギラとしていて。生きるためなら何でもするんだろう。

 自分たちも、そうだったから。


 この公爵領はまだずっといい場所だ。孤児をすぐに拾い上げて、育ててくれる人がたくさんいるから。

 それでもダインは自身が生きるために、スリをしたことがある。人を攻撃したことがある。

 生きるためなら仕方なかったのだ。それだけ、生きていたかったのだ。


 でも。アンジェリカは。

 生きることに執着していないように見えた。

 まるで自身が不幸を呼ぶと言わんばかりに、ダインたちを避けた。


 淀んだ目が、何故か泣いているように見えた。死んでしまいたいと叫んでいるように見えた。


 スレイヴとバートも、そう思ったらしい。


 ダインたちだけじゃない。


 ラウラも、イリスも、ユーナもユーリも。

 アンだって、そう感じた。


 どこか遠く、何かを諦めているような眼差しは、孤児院に来る前の自分たちがいた、浮浪者の集まり場にもあった。


 でも、あそこまで強く諦めを映したからっぽの瞳は見たことがない。それが、恐ろしかった。


 だから、ダインは近寄るのをためらった。


 今もダインたちは、アンジェリカを少しだけ心配するものの、慌てて探すような感情を持ち合わせていないから、アンジェリカのことをそこまで気にしていない。


 もしかしたら命を投げ出しているかもしれないと、子どもたちで話したが、大人に伝えようとはしなかった。



 *



 暖かさを感じたアンジェリカが目を覚ますと、そこは真っ白な、なにもない空間だった。

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