4 懐かしの孤児院
アンジェリカはあの後ホークスに連れられて孤児院にやってきた。孤児院にいる子どもたちは、一度目の人生でみた顔ぶれと変わらない。
ヤンチャ者リーダーのダイン。そのお供のスレイヴとバート。
お洒落好きのラウラにイリス。ラウラの妹のユーナ。
本好きのユーリに綺麗好きのアン。
八人いた子どもたちは、以前と同じように過ごしている。
「皆さん、新しい仲間ですよ。アンジェリカさんです。仲良くしてくださいね」
ホークスは子どもたちを集め、そう説明するとすぐに、仕事があるからと院内に入ってしまった。
アンジェリカは周りの子どもたちを見回す。
ダインとスレイヴ、バートはじっとこちらを見てくる。
ラウラとイリスはキラキラとした目で熱心に見つめてくる。ユーナも同じくキラキラとした目でアンジェリカを見つめる。
ユーリは一度目でみたときと同じように、本に目を落としている。
アンは、腰に手を当てアンジェリカを観察するようにじっと見つめる。
それぞれの反応に差はありつつも、アンジェリカは孤児院に入ることになった。
「……よろしく」
アンジェリカはそれだけ口にすると、スタスタと歩き出し、孤児院の隅にある野苺の木ので下で丸くなった。
アンジェリカは彼らをほとんど目に入れることなく、野苺の下で眠りについた。
*
彼らは、一度目の人生で公爵家一家が捕まったとき、すでに独り立ちしていて、孤児院にはいなかった。
ダインとスレイヴ、バートは王国騎士団に入団していて、アンジェリカたちが、捕らえられ、苦しむのを近くで見ていた。
アンジェリカが牢から彼らに助けを求めたとき、ダインたちは、鼻で笑った。
ざまあみろ。公爵家に引き取られていい思いしやがって。
そう投げかけられた言葉は、アンジェリカの心に深く刺さった。
ラウラとイリス、アンは、王宮で下働きをしていた。
牢に入れられたアンジェリカたちにご飯を運んでいたのは、彼女たちだ。
アンジェリカが彼女たちに助けを求めたとき、ラウラたちは、アンジェリカを目に入れることもしたくないと言わんばかりに顔を顰めた。
話しかけないで。
一言だけだったけれど、孤児院にいた頃一番仲の良かった彼女たちからの拒絶の言葉と氷のような底冷えする視線は、ダインたちの言葉よりも一層深く、アンジェリカの心を切り裂いた。
一度、面会に来たユーナは、泣きながらアンジェリカを罵った。
あなたがいなければ、あの方たちはこうして捕らえられることもなかった。
死ぬなら自分だけ死ねばいいのに。
それを聞いたアンジェリカは、もう何も思わなかった。
ごめんなさい。
そう言っても彼女の心が晴れることなどないと気づいていたけれど、謝ったのは、自己満足だったかもしれない。
心に亀裂が入って、欠けてしまったように、何も思わなかった。
言葉で深くまで差し込まれた刃は、アンジェリカ自身が思っていたことで。
アンジェリカがいなければ。
アンジェリカだけが犠牲となっていたら良かったのだ。
いや、それ以前に。
──アンジェリカが存在しなければよかったのだ。
*
人の気配を感じて、パチリとアンジェリカが目を覚ましたとき、目の前に青い瞳があった。
この色は、見覚えがある。
一度目の人生で、何よりも愛し、守れなかった人の瞳の色。
「こんにちは」
白いシャツと、黒いパンツ姿の少女は、アンジェリカが目を覚ますと同時に話しかけてきた。
アンジェリカにとって、会いたくて。でも会いたくなかった人物。
ソフィアナ・アクエスト。
にこりと微笑んだ彼女は、アンジェリカに手を差し出してきた。
アンジェリカはその手を、取らずに立ち上がった。
手を取ってしまえば、また破滅へ誘ってしまいそうだから。
「……ごめんなさい」
小さく呟きながら。
立ち上がったアンジェリカを見つめる少女は、何を思ったか、アンジェリカの右手を取り、走り出した。
アンジェリカは咄嗟のことに反応ができず、かと言ってソフィアナの手を振り払うことはできなかった。
ソフィアナに連れられて向かった先は、孤児院の正面入り口。先程、アンジェリカが孤児院の子どもたちと会ったところだ。
そこにいたのは、公爵。
息が詰まるようだった。
心臓が暴れる。泣き出して、叫んでしまいそうな痛みが、アンジェリカの中で荒れ狂う。
会いたかった。会いたくなかった。大好き。帰って。会いたかった。会いたかった。会いたくなかった。会いたくなかった。
深呼吸をする。暴れる心を鎮めようとするアンジェリカの意に反して、感情が暴れる。
会いたかった。同時に会いたくなかった。
ソフィアナだけならば。あるいは公爵だけならば、ここまで荒れることはなかった。
今ここに、公爵夫人まで来たら、アンジェリカの心は耐えきれるのだろうか。
きっと堪えられない。
泣き出して、へたり込んで、困らせてしまう。
それは嫌だ。
困らせたくない。辛い思いをさせたくない。幸せでいてほしい。
アンジェリカはいらないから。
アンジェリカへの愛はなくていいから。
家族じゃあなくていい。幸せでいてくれるなら。
アンジェリカの命などいらないから、だから、関わらないで。
あなたたちを死なせる原因を作るアンジェリカを、愛さないで。離れていて。
───お願いだから。
グッと唇を噛み、俯いていたアンジェリカの耳に、もうひとりの人物が土を踏む音が聞こえた。
アンジェリカは顔をあげない。
そんなアンジェリカの肩へ、その人物は手をおき、顔を覗き込んできた。
視界に入ってきたのは、公爵夫人、セレスティーヌだった。
「──っ!!」
弾けるように顔を上げ、公爵夫人の手を振り払った。
よろけるように後ろへ下がった。足がもつれてへたり込んでしまったアンジェリカに、ソフィアナが手を差し伸べる。公爵が近づいてくる。
アンジェリカは、わけもわからず走り出した。
ソフィアナの手を取らずに立ち上がり、公爵夫人の脇を通り、公爵の足に躓きながら。胸から込み上げた感情のままに走り出した。
関わらないで。関わらないで。離れていて。愛さないで。
アンジェリカはいらないから。アンジェリカという人間は、公爵家の人間に不要だから。
記憶を残さないで。アンジェリカの存在を知らないでいてほしかった。
また、殺してしまいたくない──!
知らずのうちに涙が流れていたことにアンジェリカは気づかなかった。
行き先もわからず、走っていた。
彼らに関わらない、どこか遠くに行きたかった。