7. 暗黒の地の小石
大聖堂の正面にある銀製の重々しい両扉を護衛騎士がゆっくりと開けると、軽やかな風と薔薇の芳しい香りがディアスを包み込んだ。
大聖堂と隣接している大理石の建物の間には、同じく大理石でできた長く広い渡り廊下がかけられており、渡り廊下から見渡せる広大な庭園には数え切れないほどの見事な白い薔薇が日光を受け、金や銀に光り輝きながら咲き誇っている。
アンシャルは渡り廊下を降りて庭園内を突き進んだ。ディアスも後に続く。
「ここに来るのは久しぶりです。」
そう呟いたディアスに、アンシャルは歩きながら振り向き、目を細めて微笑む。
「そうか。ここは変わらぬ美しさだろう。」
ディアスは頷き、辺りを見渡した。
風が舞うごとに薔薇の花びらが宙に舞い、芳しい香りが鼻腔をくすぐる。何処かからか、鳥の囀りが聴こえる。この光景はいつも通りの平和なミッケダシュだといっていい。
ディアスは内心、首を傾げていた。これのどこが緊急事態なのか彼には事態がまだ読めていなかったのだ。
「ここだ。」
しばらく歩き進めると、アンシャルが立ち止まり、辺りを見渡した。
特に異変は感じられなかったのだが、アンシャルが何かに触れるように空中に指先を当てると、グニャリと空間が揺れ動いた。ここから先は見えない結界に覆われているようだ。
アンシャルに促され、結界の中に入ったディアスは、結界内の景色の変わり様に唖然とした。
この結界は内側のこの惨事を隠すために張られたのだろう。黒々としたカビが萎んだ薔薇の花や葉を覆い、どの薔薇の株も萎びて朽ちたように倒れていた。朽ちた薔薇に覆われた地面からは廃れた匂いが微かにする。
「お父様、これは一体…」
思わず顔をしかめるディアスにアンシャルは頷き、朽ちた薔薇を踏みながらまた歩き出した。
アンシャルの視線の先には、なにやら金色の網が一点の地面を中心に巨大なドームのように覆いかぶさっており、その隣にディアスと同じ純白のローブを羽織った男が、腕を組んでそれを見上げている。
「あぁ。やっと来たか。そろそろこの現状にウンザリしていたのだ。」
近付いてくるディアス達に気がつき、やれやれと肩をすくめるこの男は、ディアスの兄である第四子の守護の神ミシュマルだ。
「ミシュマル。」
ディアスはミシュマルに軽く会釈をした後、眉をひそめて金色の網をしげしげと見つめた。網は所々破けており、穴の空いたところからは微かに腐臭が漂っている。
「結界か、これは。なんだってこんなところに。」
「この結界は私が施したのだよ。近頃、恐れ多くもこのミッケダシュに入り込もうとする輩が多いのだ。まったく。結界を何度張り直してもこの様だ。ここら一辺なんかは漏れ出す毒にやられて汚染されてしまった。」
ミシュマルはため息まじりに、靴の先で地面の朽ちた薔薇を蹴った。
「…侵入されたのか?」
祝福の地自体が複数の結界に守られているが、ミッケダシュには多くの高位の神々が住まう為、さらに結界を張られ厳重に守られている。その結界を突破されて侵入されたとなると、一大事だ。
「祝福の地に侵入はされたが、ミッケダシュまでは届かなかった。」
アンシャルが静かにディアスに答えた。
「…侵入するにはミッケダシュの結界は強すぎたのだろう。奴が入れるほど結界は壊れなかったが…。結界にヒビができた。」
ミシュマルがため息混じりにアンシャルの言葉を継いで言った。
ミシュマルによると、敵はその僅かなヒビから侵入はせず、代わりに小石を投げ入れたらしい。
「ただのそこらの小石ではないぞ。暗黒の地の、それも邪気が絡みついた小石だ。
」
その小石がミッケダシュの地に投じられ、庭園に落ちた途端、周辺の土地が一気に毒されてしまった。
草木はみるみる朽ち果て、腐った臭いが辺りに充満した。それ位、敵が投じた一粒の小石には威力があったのだ。
小石を投じた敵は、鳥の様な形状をしていたらしい。ミッケダシュの騎士達がそれを捕らえるために出動したが、祝福の地の空気を吸えなかったのか、または神聖な気に身体を侵されたのか、捕らえられる前にそれはチアノーゼを起こし、最期は泡のように溶けて消えたそうだ。
金に光り輝く結界の網目から中を覗くと、確かに黒いモヤをまとわり付かせた小石が落ちている。
「…いつからこんな事に?」
「7日前だ。臨時の結界で浸食は辛うじて食い止められてはいるが、私の力では石を破壊できない。…だからお前を呼んだのに。」
最後の言葉だけ声を落として言い、ミシュマルは怒りを込めた瞳で、ディアスを睨み付けた。
ミシュマルの容姿はダニーグリフィンです。