3. 訪問
「では、今までどこに属していたのだ。」
面倒臭い。その一言に尽きる。彼は心の篭っていない目で跪いた男を見下ろした。
「その、私は一般の…祝福の地の民なのです。」
「…というと?」
「私はエフベドでは無いのです。」
遠慮気味に話す男の前で、彼は眉を潜めるが、口元はひっそりと微笑んでいるように見える。
「……それは、奇怪な。」
間を置いて彼はそう呟いた。彼が思わずそう呟いたのには理由がある。
エフベドは祝福の地に君臨する巨城ミッケダシュにて官職として仕える神々である。最高神の実子を指すハティクヴァの側近は普通、エフベドから選ばれる。
エフベドに選ばれる為には、為人を見定めるバックグラウンドチェック他、難関である過酷な試験を突破し、さらに最高神によって任ぜられた、高位のエフベドが集う元老院に満場一致で認められなければいけない。
また、一度エフベドとなった者は、最高神の加護を得る為、本人の希望であれば、死後、前世のエフベドとしての記憶を保持したまま生まれ変わり、来世もエフベドとして仕えることが出来る。
エフベドの定員数は制限されているかつ、殆どの者がエフベドの座から降りない為、なかなか席が空かない。
つまり、ハティクヴァの側近という高位の官職に選ばれる者は、エフベドの中でもさらに選ばれた、真の選ばれし者ということだ。
なのに、この男はなんだ。彼は改めて男を見る。
亜麻色の剛毛そうな短い巻き毛。潤んだ焦げ茶色の瞳。締まりの無い薄い唇。艶やかな肌。
鍛えているのか、服を着ていても分かるほどの、がっしりとした立派な体。
穏やかそうには見える。だが、覇気はない。特筆することもない、典型的な祝福の地の民にしか見えない。エフベドに選ばれてもいない一介の者が、何故側近として選ばれたのだ? この男に関する情報が少なすぎる。
「なぜネヴィームはお前を側近に引き入れた?」
彼はこの男に対し、幾分かの興味を持った。男も、彼の声質で自分に対し少なからず関心を持たれたと感じたのか、目を瞬かせる。
「実は、私もネヴィーム様が私を引き入れてくださった真意をまだはっきりとは理解していないのです。」
「どういうことだ。」
「私がまだ幼い頃、ネヴィーム様が突然、私の家にいらっしゃったのです。」
あの女に初めて会ったのは、男がまだ10歳だった頃らしい。
ある麗かな午後、男は母親に頼まれ、籠を片手に庭へ赴き、ハーブティー用にカモミールの花を摘んでいた。花を摘むたびに、花や、ちぎった先の茎から芳しい香りが空気中に広がる。
ふと、視界の端に白い何かが映った気がして、花を摘む手を止め、顔をあげると、目の前の花壇を挟んで、白いローブを羽織った少女が立ち、男をじっと見つめていた。
誰だろう?どうやって庭に入って来たんだろう?その少女に思わず声を掛けようと口を開いたところで、彼女の大きな瞳の色に気付き、思わず口を閉じてしまった。
紫。
様々な色合いの紫が花開く様に瞳孔から角膜にかけて拡がっている。
無造作に下された前髪が瞳に影を作っていたので、すぐには気付けなかっが、彼女の瞳を見た途端、学校で幾度となく読まされた、教養の書の一文が頭をよぎる。
人間や、その先祖である祝福の地に住まう民の瞳の色となる虹彩の色素は、茶、青、黄の3色から構成されているが、最高神と彼の血肉を授かったハティクヴァの子供達は、その3色からでは構築不可能な紫の瞳を持つ。
その瞳の色は、まるで太陽が水平下すれすれまでしか沈まない、星と月が静かに煌めく祝福の地の魅惑的な夜空のよう。
紫は高貴と神聖を象徴する色として、人間の王族や聖職者が政に使うが、これは人間の初代の王や大司教がエフベドの転生者であり、最高神やその子供達への慈しみから紫を使うようになったと云われている。
紫の瞳は、最高神や彼の子供達がゲノムレベルでその他とは異なる存在であることを物語らせ、これは始まりの地に佇む始祖の神木から産まれたことに関係しているといえる。
初めて拝見するが、あの少女は見た目からして、第七子のネヴィーム様に違いない。失礼かもしれないけど、なんて可愛らしい御姿なのだろう。しかし、どうして自分の家の庭にいらっしゃるのだろう?
そんな事を、瞳の色を認識してからの数秒の間に考えていると、少女、ネヴィームが男に微笑み、こう言った。
「あなた。あなたには他者と同じく複数の未来がある。そして、私があなたに話しかけた事で、あなたの未来も、私の未来も変化する。
私に話しかけられたあなたに起こり得るどの未来でも、私とあなたは手を取り合い、この地の平和の為に尽力する。」
男は思わず跪いた。これは予言だ。ネヴィーム様は未来を予見する御力があると聞き及んでいる。
「発言をお許しください。僕は将来、エフベドになるのでしょうか?」
ハティクヴァの神と会話をするなんて、恐れ多い。でもどうしても聞きたい。ネヴィーム様のおっしゃられた、『手を取り合い、この地に尽くす』というのは、つまり、最高神やハティクバが御坐す、あの巨城ミッケダシュに仕えるということだろう。つまりエフベドにならなければいけないのか。
「エフベドになる必要はない。純粋な魂を持つ、あなたが欲しいだけ。」
答えになっているような、なっていないような回答をされ、男は思わず首を傾げた。未来の自分はエフベドになる訳ではないのだろうか。エフベドとしてこの方に仕えるのでないなら、自分にはどのような役割があるのだろうか。
ネヴィームは微笑みを浮かべたまま、花壇のカモミールの花を一輪摘み取り、花壇越しに男に差し出す。
「あなた、私の側近になりなさい。」
男は初めて頭の中が真っ白になるという経験をした。