第09話:舞子の選択 前篇
"アナザーズ"の仕事を受けることを決心した杉山。
約束の日まであと1日。
その裏で、杉山の妻・舞子は、悩み、選択していた。
舞子視点の話・前篇です。
思えば、私たち家族の生活は、一本の電話から破綻し始めた。
「杉山満さんのお宅ですか。」しっかりした口調で低めの声だった。
「そうですけど、どちら様でしょうか。」
「満さんの友人です。満さんいらっしゃいますか。」
「おりません。主人は出張で出ています。」
「では、杉山舞子さんいらっしゃいますか。」このとき、少し語気が強まったことに気がつかなかった。
「え? わ、私ですけど、あなたは?」自分が指名されるとは思わなかったので驚いた。
「そうですか。私、杉山満さんの友人で松永と申します。実は私、満さんにお金を貸しているのですが、返済期限が過ぎているのでお電話しました。」
私は絶句した。全く聞いていない。話からすると、”友人”というのは嘘だろう。本当に友人だったら携帯電話に連絡するし、”返済期限”なんて言葉は使わないだろう。
「そんなばかな。夫は出張で出ています。帰ってくるのは4日後です。」
「返済期限を守っていただかないと、連帯保証人である奥さんから取り立てることになります。早めにご主人にこのことを伝えてください。また電話します。」
「え? どういう……」電話が切れた。
さらに聞いていない話が飛び出た。連帯保証人なんてなったおぼえがない。
2年前、満に借金があることが判明した。株で大損の上、取り返すための資金を少しずつ借りていたのが増えたらしい。消費者金融数社から借りて、返済額は500万近くにのぼった。
私は親戚中に無心して完済させた。それから、借りたお金をほとんど返せていないので、親戚とは音信不通の状態だ。そして今になってまた借金が判明した。
私は満の携帯電話に連絡を取り続けた。夕方になってやっとつながり問いただしたけど、帰ってから話すの一点張り。一度話した後は、電源を切られたらしく、何度かけても通じなかった。翌日、満が帰ってきたので、夕食も出さず即刻満に問いただした。満は今更観念したらしい。
「正直に言ってちょうだい。まず、借金はいくらあるの」私は努めて冷静に、満に聞いた。
「たぶん、1500万くらいだと思う。借りたのは1000万くらいだけど、利子が高いんだ。」
「そのお金、どこから引き出したの? いくらなんでも1000万は借りられないでしょう」
「……ごめん。担保を入れた。……この家を……。」
「……あなた、何をしたかわかっているのよね? 私たちの家を担保に1000万を借りたのね? そのお金、どうしたの?」
「人に貸したり奢ったりした。」
「貸したっ……って、借金してまで貸したの!? 」
「でも、名前は聞いてるんだ。競馬場でよく会う人で、オオイ、フナバシ、タカチ、ナカヤマ、フクシマ、コクラの6人だ。」
「連絡先は聞いているの?」
「聞いていない。よく会う人だから、大丈夫だと思って。」私は激昂した。
「何をしているのよ! なんで見ず知らずの人に、お金を借りてまで貸さなきゃいけないのよ! 親戚中から借金しているのを忘れたわけじゃないでしょう! お金を貸せる立場でも、借りられる立場でないことがわからないの! まったく、なんてことをしてくれたの!」
満からすれば、私がこんなに怒るとは思っていなかったようで、相当におびえていた。
私も、今まで彼に見せたことがないような態度だったに違いない。
「どうして、そんなにお金を遣ってしまったの?」ある程度感情を抑えて言った。声が震えているのが自分でもわかった。
「頼られるのが嬉しかったんだ。みんな、ありがとう、ありがとう、って言ってくれるんだ。会社ではリストラ対象者に引導を渡したり、売上に追われる毎日だった。家に帰っても気が休まらなかった。俺の家なのになんでと思った。出張が最近多かったけど、半分は嘘だ。借金取りから逃れるために地方に行ってた。」
男の人ってどうしてこうなんだろう。どうしようもなくなってからやっと告白する。自分で全部抱えて、挙句の果てに、永遠に帰れないところへ逝ってしまう人もいる。気がついたときには、もう手遅れ。
お金を貸した6人の名前に、私のほうがピンときた。全部競馬場の名前だ。当然偽名だろう。そんなことも気づかないで、夫は自分の喜びにひたっていたのか。情けないし、悔しいし、寂しい。今にして思えば、私も娘たちも、彼のそんな心情をうかがおうともせず、私たちのことばかり話していた気がする。休日も満が出かけたいと言っても娘たちの行事に連れまわすか断って家にいるかのどちらかだった。もっと私たちから夫とコミュニケーションをとるべきだった。
その次の日の朝、いつの間にか寝てしまった私は、彼を見送ることができなかった。
満は「すまない」というメモを残して消えてしまった。
この回、自分の考えと実話をもとに構成しています。
競馬場でお金貸したところのくだりで、自分に近しい人の実話です。