第27話:新生活
「アナザーズ」の契約をした満。完全移行がついに終了しました。
今回、かなり長いです。
朝、窓から射す日の光で目が覚めた。
ベッドから起き上がって机の隣にある窓を開ける。空の上から風が吹き込んでくる。
私は窓に向かって大きく背伸びをした。
街が動き出すにはまだ少し早く、窓の下の動きはゆるやかだ。朝の冷たい風が新緑の香りを運んでくれる。
窓をいったん閉めて鏡に向かう。部屋の中ではTシャツに短パン姿の、一人の少女が私に向かって笑いかける。
束ねていた髪を一度解き、櫛を入れてから、頭の上で一まとめにして結びなおした。
ドアを開けてリビングに入る。電気式の台所に4人掛けのテーブル、奥の居間は光があまり入らないので薄暗い。
そのテーブルに腰掛けている女性が一人。
「みすず、おはよう」女性が私に語りかける。私は一人暮らしなのに、この人は誰なんだろうと思った。
私はこの人を知っている。私より長い髪で、キャミソールの緑のワンピースに薄手の白いブラウスを着ていた。
「エリスさん」自然に言葉が出てきた。そう、この人はエリスさん。私のお姉さん。私をここにいざなってくれた人。
ここに……「アナザーズ」に……!
「エリスさん!」私は一気に記憶がよみがえり、目も覚めた。
「みすず、おめでとう。移行は完了しました。」
そうだ、私……エリスさんにいざなわれて、契約して、借金を返してもらって、そして彼に抱かれて……
「私……うぅ……ん……うっ……」涙ぐんできた。私は抱かれたんだ。自分に……自分?……私は……俺は……男だった……満に……私は……
「うぇぇぇぇぇぇぇぇんんんん!!」さらに大声で泣き始めた。エリスさんはその様子を見て立ち上がり、私を抱きしめてくれた。
あたたかい……鼓動を感じる……。私はそのまましばらく泣き続けた。
私は大きなものを失った。家族、親類、信頼、自分の体、……処女。
頂いたものと失ったものがつりあわない。大きな喪失感が全身を襲う。体全体が苦しい。震える腕を前に組んで自分自身を抱きしめる。エリスさんは私と一緒に泣いてくれた。「ごめんなさい」という言葉を私の泣き声にかき消されながら。
散々泣いて少し落ち着きを取り戻したとき、エリスさんの「ごめんなさい」に気がついた。どうして謝るのか聞いた。予告無く私を満に抱かせたことを謝っていると言ってくれた。私に”男”を捨てさせるため、私に満の記憶や経験を植えつけるために行ったということだった。
私はもう「美鈴」なのだ。そのことを、何の違和感も無く自然に受け入れていた自分に初めて気がついた。
自分の心の中でも、声に出しても、一人称が”私”になっている。仕草も満のときとは全然違う。さらに言えば、五感が働いている。ゲームの中なのに。
そして、満の記憶もすべて頭の中にあった。舞子、美由、なつき、父さん母さん。もう、私は満ではない。なのに、満の、男の記憶がしっかりと残っている。こんな記憶は要らないのに。
なぜ……なぜ!私は自分でも気がつかないうちに感情的になり、エリスさんを怒鳴りつけていた。
「エリスさん。どうして私に満の記憶を埋め込んだんですか! 私は家族に会うことも名乗ることも許されません。こんな記憶いらない! なのに、こんなの、つらすぎる……」また泣いた。涙声でエリスさんに訴えかけた。涙もろくなったのも、「美鈴」になったためだと思った。
エリスさんは、落ち着いていない自分自身を諌めるかのように、つとめて説明口調で話し始めた。
「あなたの体は電子でできている。けれどそれだけでは普通のNPCと変わりません。RPCであるためには、”魂”、”精神”、”記憶”が必要なのです。”魂”は、あなたの体を動かす原動力です。”精神”は、サーバーの管理によらずに自分の意思で行動を制御する。”記憶”は、あなたのこれまでとこれからの経験や技能を記憶するための、あなた専用のデータベースになります。どれか1つが欠けると、その部分は管理局の制御が必要になってしまい、自由な行動を制限されます。」
エリスさんの説明口調が、なんだか辛かった。受け入れるしかない一方通行の現実を言葉にし、それを聞く。話すほうも辛そうだ。
「もう一つは、あなた自身の贖罪。あなたは親しい人たちを捨ててきた。あなたを慕う人たちを捨ててきた。そのことは、人として、言葉や労働で償いきれない重罪なの。その罪を一生背負って、これから生きていかなければなりません。」
さっき感じた喪失感に再び襲われた。過去には戻れない。満はもういない。私が受け入れなければ、満は報われない。満も美鈴も、どちらも私だ。満はもういないけれど、満の分まで生きなければならない。私はもう満ではない。美鈴なのだ。何度も自分の中で確認していくうちに、少しは現実を受け入れる気になってきた。私の表情は明るさを取り戻していた。
私が「美鈴」の私を自然に受け入れられたのは、エリスさんが、いざなってくれたおかげだ。前向きに考えることで、絶望的な事実も受け入れようという気になった。
エリスさんはそんな私を見て、やっと表情が穏やかになった。
エリスさんは、最後の説明と言って、「アナザーズ」での生活面に関して説明をしてくれた。
まずお部屋の説明。ベッドルーム、客間、リビング、ダイニング、浴室、玄関、収納ボックスを案内してくれた。ここにあるものは自由に使うことが出来る。全体的にフローリングで、壁は薄い緑色で統一されている。
リビングに案内されると、ノートパソコン、携帯電話、通帳、カードが置かれていた。カードは買い物のため、ノートとケータイは通信や連絡手段となる。休暇の申請、武器防具類の提案、仕事の斡旋は管理局、相談事は管理局かエリスさんにする。エリスさんは2年の間、私の相談係になってくれる。管理局とは「アナザーズ」全体を統括運営する組織で、ユーザーの管理や企業の誘致まで行っている。携帯電話は「アナザーズ」内外間は通話料がかかり、その他の場合無料。
ゲーム上の話としては、セーブはこの部屋と世界中の管理局がセーブポイントになること、この部屋で回復が可能になること以外は特に変わらない。
お買い物の仕方、ドアの開閉、五感があることの注意、休暇の注意点、など、細かい部分の説明をしてくれた。口頭と、それを書いた資料をくれた。今の私の生命線といえる資料だ。
生活に関する説明が全部終わった。
「さて、美鈴。お疲れ様でした。これで、すべての作業は終了しました。明日から、といってもあと2時間くらいですが、あなたの生活が始まります。ここでの生活が、実り多きものであるよう、願っています。」
エリスさんとの別れのときが近づいていたのを感じた。私はまた少し涙目になっていた。
「エリスさん。本当に、本当にありがとうございました。私、しっかり生きます。」
「うん。」エリスさんはお母さんのような笑顔で応え、泣くのはおよしなさいと私の頭をなでてくれた。
「エリ……お姉様。あの……ときどき逢いに行っていいですか?」私はおそるおそる聞いた。
「エリスでいいわ。もちろんよ。いつでもいらっしゃい。私も友達が欲しいから。もう私たちは仲間よ。でも、来る前に電話はしてね。」
「エリスさん……はい!」エリスさんが、仲間と、友達と言ってくれたことが嬉しかった。私はひとりじゃないんだ。私は精一杯の笑顔をエリスさんに返した。
エリスさんは私にメールアドレスと携帯電話の番号を教えてくれた。私の分は設定をエリスさんがしてくれたので、すでに知られていた。
エリスさんは席を立って玄関へ向かう。私も見送りについていき、外へ出た。
「それじゃあ。次に逢うときまで、元気でね。」エリスさんが手を差し伸べる。
「はい。」私も手を出し、握手した。
お互い手を離し、エリスさんは魔法でその場を立ち去った。魔法が作る光の帯がどこかへ消えていった。
私はベッドルームに戻り、鏡に自分の姿を映した。ひとりの少女が、朝見たときとは別人のようにすっきりした表情を浮かべて立っていた。
「これから、末永くよろしくお願いします。」鏡の自分に向かって深々と一礼した。
私は美鈴。16歳。これから、新しい生活が始まります。
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エリスは自分の家ではなく、管理局に向かった。エリスは会議室で女性に、今回の事を報告していた。
『……というわけで、杉山満から美鈴への移行、すべて完了しました。』
『エリス、ご苦労様。今回はいろいろ大変でしたね。今回もいい素材を手に入れることができました。仕事料は明日振り込んでおきます。』
『彼は使えそうですか?』
『クラスはAA。充分よ。単体でも通用するし、余った不要な臓器は高く売れるから、無駄はないわ。』
『それとお姉様、あの……』エリスは少し言いにくそうに口ごもった。お姉様と呼ばれた女性は様子を察して返した。
『わかっています。来週にでもいらっしゃい。特製の料理を作って待っているから。それじゃあ、またよろしくね。』
『……はい♪ それでは失礼します。』エリスは満面の笑みをうかべた。
ということで、美鈴は新しい生活へ、エリスは元の生活に入りました。
このあと3話は、松永、舞子、美鈴の話をお送りします。
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