第15話:最後の晩餐 前編
エリスからの誘いを受けて「アナザーズ」のキャラになる契約をした満。
契約が履行されるまで、しばしくつろいでいます。
テーブルから立ち上がり、俺は浴室に向かった。寝室とは別の通路にある。浴室に入ると、保温中の浴槽、なみなみと注がれた黄緑色のお湯、シャワー、石鹸、シャンプーが見えた。浴室は入浴剤のゆずの香りが漂っていた。俺がよく使っていた入浴剤だ。体をよく洗って浴槽に入る。意外と浴槽は長めにできていて、165センチの俺が足を伸ばしてゆうゆうと入れる。お湯は少し熱いくらいだ。保温装置を見ると43度を指していた。家族は39度前後がいいというが、俺はいつもこのくらいの温度に加熱して入っていた。
ほんとうに脱力感が出てきて、そのまま何も考えずただ入っていた。
エリスの「着替えを置いておきます」の声を聞くまでにどれだけ入っていたのかはわからなかった。
のぼせるまえに一旦浴槽から出た。再度頭から体にかけて念入りに洗う。また浴槽に身を任せた。そんなことを4回繰り返し、風呂を出た。結局1時間くらい入っていたと思う。風呂を出ると、薄いグリーンの作務衣と、そしてバスタオルが洗い立ての状態で置かれていた。
俺はいつも作務衣を部屋着としていた。寝るときもこの恰好だ。バスタオルで身体を拭き、作務衣を着て、リビングに戻った。エリスはまだ調理中だ。鍋をゆっくりとかき回している。
「お湯加減はどうでしたか? 少し熱かったかもしれませんが……」
「ちょうどよかったよ。お、いいにおいだな。これは……肉じゃがか?」
「そうですよ。和食ですが、よかったですか?」
「ああ、問題ないよ。」
「じゃあ、テレビでもご覧になっててください。まだしばらくかかりますから。」
なんだか夫婦の会話みたいだ。舞子とこんな会話をしたのは何年前だろうか……。
居間でテレビをみていた。主にニュースだ。円高、殺人事件、赤字決算、国会議員のあげ足取り、テロ、など、いつも決まった内容を流している。相変わらずマスコミは過剰演出しているように思う。まあ、数日で変わるはずはない。
「できましたよ。ちょっと手伝ってもらえますか。」
キッチンから聞こえるエリスの言葉でお腹がグゥと鳴った。
御飯、味噌汁、肉じゃがをエリスがよそって俺に渡す。俺は2人分の皿をテーブルに置く。箸は目の前にまとめて置いてある。
「さて、いただきましょうか。いただきます。」エリスが手を合わせる。
「い……いただきます。」エリスにつられて手を合わせた。
味噌汁、ごはん、肉じゃがと手をつける。美味い。
御飯は郷里の秋田の味だ。味噌汁には肉じゃがに使った余りのジャガイモと玉ねぎ、少しにんじんも入っている。このとろみがなんともいえない。
肉じゃがのジャガイモはちょっと固めだが、歯ごたえがあるほうが好きだ。
「どうですか? あまり人に食べてもらったことはないので自信はないんですけど……」
「あ、ああ。美味しいよ。ごはんも、味噌汁も、肉じゃがも。俺が好きな味付けになっている。自信持っていいと思うけど。」
「ありがとう。気に入ってもらってよかったです。」
食べ進めていくうちに、突如、違和感を感じた。エリスも俺が気がついたのを察したようだ。急にエリスに対して猜疑心が生まれた。
「……エリス。なぜ知っている?」俺は少し語気を強めてエリスに聞いた。
「ど、どうかしたのですか?」明らかに何か隠している。
「肉じゃがにかまぼことハムが入っている。俺の母親がよく入れていた。なぜお前が知っているんだ?」
「なんのことですか? ただの偶然ですよ。」エリスはすっとぼける。
「いや……違う。味噌汁だって俺の好みをよくわかってる。そういえば、玄米茶、風呂の沸かし方、入浴剤、飯にいたるまで、俺の好みを選んでいる。これが本当にただの偶然か?」何もかも俺の好みだ。調べたといわれればそれまでだが、ここまで徹底するのか? エリスの返答を待った。エリスはあきらめたようで、重い口を開いた。
「そこまで気がついていたのなら仕方ありませんね。」エリスは白状し始めた。
「実は、あなたの頭の中を読ませてもらいました。」
「俺の頭の中を?」
「そうです。あなたの思考を、あなたが知らない部分も含めて読ませてもらいました。おふろとこのごはんは、あなたが心の底では望んでいることを形にしたつもりです。」
仕事が終わり家に帰り、風呂に入る。食卓には肉じゃが。妻の舞子もこの味を知っている。杉山家伝統の味だ。
たしかに、表には出さなかったが、心の中では望んでいた味かもしれない。
郷里の味、くつろぎの空間。かつて、舞子や美由、なつきとともに共有していた空間だった。自分で壊してしまった空間が、今ここにある。感傷にひたるというのはこういうことなのだろう。
くつろぎの空間は、彼が行き着いた場所。
後篇に続きます。