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姫の侍女  作者: 由季
1/1

姫と侍女と皇帝と

「姫様、ご起床のお時間でございます」

「んん……」


 侍女の声に、もぞもぞと寝返りを打ってまた眠ろうとする。上質なシーツから覗く見事なハニーブロンドは微かに上下し、まだ彼女の主人が眠っていることが見て取れる。侍女はくすりと笑うと、容赦なくシーツを引き剥がした。


「ん〜〜〜っ……もうあさぁ…?」

「朝でございます。モーニングティーのご準備は済んでおりますよ、姫様。さあ、お召し替えを」

「ふぁぁ…。…おはよう、レティ」

「おはようございます、姫様」


 腰まであるハニーブロンドの髪を揺らし、キラキラと光るルビーのような瞳が細まる。ふくふくな頬をうっすらと赤く染めて侍女に挨拶をしたのは、セレニア・アンドレア・ウェスタ。このウェスタ帝国の唯一の姫君であり、まだ13歳の女の子である。

 そんなセレニアの侍女の一人であり、彼女の一番の側近を務めているのはレティことレティシア・メイデン。この国では少し珍しい真っ黒な髪と翠玉のような瞳を持つ女である。


 ナイトドレスからアフタヌーンドレスに着替え終わると、レティシアはモーニングティーの用意をする。室内には紅茶の香りがふわりと漂い、セレニアの頭も次第に覚めてきた。


「ありがとう、レティ」

「有り難きお言葉でございます」


 ス、と礼をするとそのままセレニアの部屋から出る。三年前に朝食は一人で食べたいと言われてから、こうしてすぐに部屋を出るように心掛けている。朝食を乗せていたワゴンを押しながら、レティシアはふと窓の外へ目線を向けた。


 眼前に広がる見事な庭園。緑は深く生い茂り、花は色とりどりに咲き誇っている。真ん中に鎮座する噴水は大きな存在感を放っていた。そのどれもが()()では見たことがない光景だった。

 ——前世。その存在を知る者は果たしてこの広い世界でどれほどいるだろうか。レティシアとて自分が思い出さなければ、前世の存在など全く信じなかっただろう。しかし、自分は思い出してしまった。日本という小さな島国で生まれ、育ち、そして死んだことを。


 詳しいことは覚えておらず、ただ朧げにしか記憶に残っていない。それでもレティシアは強く覚えていることがあった。

 自分は本が大好きだった。恋愛もミステリーもサスペンスも、ジャンルは問わず読み耽っていた。その中に『溺愛された本物のお姫様(プリンセス)』という本は、何度も読み返してしまうくらい大好きだった。


 内容はどこにでもある恋愛ものだ。男爵令嬢として過ごしてきたヒロインが、本当は皇帝の娘で、ある日彼女を次女として皇宮に迎え入れることになったのだ。——そう、次女として。既に皇家には姫がいたのだ。それがセレニア・アンドレア・ウェスタ。この『溺愛された本物のお姫様(プリンセス)』、略して『デキプリ』の悪役令嬢ポジションだ。

 実際には悪役まがいのことなどしておらず、ヒロインとの仲も至って良好。だが皇帝——父親から異常な程に嫌われている。名も呼ばれず、愛されない。そして最期には父親に殺されて死んでしまうという末路を辿るのだ。


「(皇帝の愛はヒロインにだけ向けられるって……辛すぎる…)」


 フッと遠い目になってしまうのも無理はないだろう。どうして平等に娘達を愛せなかったのか。


「(でも皇帝陛下って人気だったよなぁ。やっぱりあれか、ビジュアルか)」


 プラチナブロンドの髪にルビーのごとく赤い瞳。すらっとした体躯に程良くついたしなやかな筋肉。笑った顔など見た事は側近以外居らず、私生活の全ては謎に包まれていた。そのビジュアルとミステリアスな所に惹かれた者は続出し、前世では圧倒的人気を誇っていた。

 しかし、ビジュアルと同じくらい残虐な一面も有名だった。血を流して帝位を奪い、玉座に着いたのだ。自分に抗う者、命令を聞かぬ者など、彼が気に入らない者は皆全て殺されてきた。


「(……セレニアは最期まで、父親()に愛されようと必死だった)」


 涙を流しながら父親に縋り付くシーンは、強く脳裏に焼き付いている。そのせいか今世では、セレニアの侍女として生まれ変わると、すぐに彼女に愛情を持った。自分に一生懸命に手を伸ばす少女は本当に可愛らしくて、愛しくて。彼女に「レティ」と呼ばれるだけでとても嬉しかった。

 だから、彼女が殺される未来だけはどうしても回避したい。物語の改編? 知ったことか! 自分達は今、この時を生きているんだ。未来の決まった人生なんてクソ食らえ!


「あんっなに可愛らしい姫様が殺される未来は、絶対に、絶対に避けなきゃ……!」


 グッと拳を握りしめ、レティシアはやっと窓から目を離してワゴンを押した。




 そんなある日のことだった。


「皇帝陛下にお会いしたい?」

「う、うんっ……。駄目、かしら…」


 いつも通りの朝を迎え、庭園に散歩に行くと、セレニアは顔を赤くしてレティシアにそう言った。この歳になってもセレニアは父親に会ったことがない為、そう思うのも当たり前だろう。けれどレティシアは反対だった。あんないつ此方に剣を向けるか分からない奴に、可愛い可愛いセレニアを会わせるだなんて断固拒否だ。


「どうして突然?」

「……本に出てきたの。主人公の女の子がね、父親にたくさん愛されていたわ。…(わたくし)もお父様にお会いしてみたい。——例え愛されていなくても」


 皇家特有のルビーの瞳を細めて笑うセレニア。その手は微かに震えていた。

 レティシアはほとんど無意識に震える手を取ると、温もりを分け与えるようにぎゅっと握りしめた。


「姫様」

「っ………」

「お顔をお上げくださいませ、姫様」

「レティっ……」

「このレティシア、確かに承りました」


 思わぬ返事にセレニアは思い切り顔を上げて侍女を見る。翠玉の瞳は柔らかく下がり、口元は優しく笑んでいた。


「必ず、皇帝陛下との謁見の許可を頂いて参ります」


 力強い言葉に、セレニアはハニーブロンドの髪が乱れることも気にせず、大好きな侍女に抱き着いた。




 ——翌日、レティシアは早速皇宮に赴いていた。目が痛くなるほどの金に覆われた宮。豪華絢爛とはこのためにある言葉だと思いながら、彼女は自分の前を歩く男の背を見た。灰色の髪にアイスブルーの瞳を持つこの男の名は、エリアス・シーリア。皇帝の側近だ。緩く流された髪に少し垂れた目尻は、初対面でも緊張せず話すことが出来る。


 エリアスは細やかな細工が施された豪奢な扉の前で歩みを止めると、手慣れた手つきでノックをした。けれどいくら待っても返事はなく、レティシアは首を傾げた。するとエリアスがくるりと振り返り、苦笑して「恐らく寝ていますね」と言う。


「それでは、出直しますね」

「いえ、それには及びません。中に入れば陛下も起きられるでしょうから」

「………え?」

「それでは、どうぞ中へ」

「え、いや、ちょっと待ってくださ——」


 思いもよらぬ展開に混乱するレティシアの背をぐいぐいと押して、さっさと扉を閉めたエリアス。未だ事態を飲み込めず暫く立ち止まったままでいたが、少しずつ頭の中で整理すると、振り返って扉のドアノブを回してみた。ガチャガチャと音が鳴るだけで開く気配は全くない。

 とりあえず後で一発殴ると心の中で誓うと、レティシアは漸く部屋の中を見渡した。重厚な絨毯に、並ぶソファー。綺麗に整えられた部屋の隅に大きなベッドがあった。


「……果たして起こして良いのか…」


 口をキュッと結んで考えたが、良い案は浮かばず。結局起こす方向で考えがまとまり、奥にあるベッドに歩み寄った。意を決してそろ…っと天蓋を避けて中を覗くと、そこはもぬけの殻だった。


「? なんだ、いないじゃない。それじゃあ外かし、ら……っ!?」


 ベッドに背を向けた時だった。並ぶソファーの一つに、横になって目を閉じた男がいたのだ。プラチナブロンドの髪に、同色の睫毛、そしてすらりとした体躯。彼はまさにウェスタ帝国の皇帝、クラウス・アンドレア・ウェスタその人だった。


「〜〜〜〜っ!?」


 驚いて声も出ない。思わず下がるとベッドに身体が当たり、勢いで座ってしまった。慌てて立ち上がってそっと男の顔を除けば、やはり間違いなく皇帝陛下が眠っていた。


「なんでこんなところで寝てるの……」


 しかも無防備すぎる。ばくばくと激しく波打つ心臓を上から抑え込み、レティシアはゆっくりと近寄った。


「…この距離でも起きない。何が『中に入れば起きる』よ」


 エリアスに文句を言いながら、レティシアはごくりと生唾を飲み込んで膝をついた。


「陛下」

「……………」

「皇帝陛下」

「……………」


 決して手は出さず、声だけでクラウスを起こそうとするが、余程深い眠りについているのかぴくりともしない。ふぅ、と一度息を吐くと、もう一度呼びかけた。


「クラウス陛下」


 ふるりと瞼が動き、眉間に皺が寄る。眠りから覚める直前の彼の表情は、確かに見覚えがあった。姫だ。セレニアもよくこうして、瞼を動かして眉間に皺を寄せていた。

 無意識にジッと見ていると、ゆっくりと瞳が覗く。真っ赤なルビーの瞳が虚空を眺めた後、ゆるりと此方に向いた。その冷めた目つきにどきりとするが、自分はセレニアの侍女。主人に迷惑をかけたくないし、そもそも自分のプライドが許さない。


 動揺をおくびにも出さずに見つめ返すと、クラウスはやっと身体を起こした。


「誰だ、お前は」


 その声に恐怖を覚えない人などいるのだろうか。少なくとも初対面のレティシアは、身体の震えを止めることに必死で声が出なかった。どうしよう、と焦る彼女の頭に一人の少女がふわりと浮かぶ。ハニーブロンドの髪を風で遊ばせ、甘く微笑む大切な姫。——身体の震えは止まった。


「勝手な入室、申し訳ございません。私はレティシア・メイデン」


 流れるような動作で頭を下げ、名を告げる。


「セレニア・アンドレア・ウェスタ様の侍女でございます」


 続いて発された名前に、目の前の男は微かに目を見開いた。その反応を見ることなく、レティシアは頭を下げたまま「拝謁を賜って下さり、誠にありがとうございます」と礼の言葉を述べる。暫く無言の時間が続くと、クラウスの「頭を上げろ」という許しを得てやっと彼女は頭を上げた。


「その名を聞くのは久し振りだ。生きていたのか、あの小娘」

「今や素敵なプリンセスへと成長されております」

「……それで、俺に何の用だ」


 あまりセレニアの話題を広げたくないのだろう。すぐに用件を訊いてきたクラウスに、レティシアも誤魔化さずに伝えることにした。


「我が主人、セレニア様が陛下とお会いしたいと申しておりましたので、謁見の許可を賜りに参りました」


 また部屋に沈黙が続く。どくりどくりと煩く打つ心臓の音を聞いていると、やっとクラウスが口を開いた。


「何故俺がそれを許さなければならない?」

「っ!」

「何故俺が一度も会いに行っていないか、お前は知っているんだろう」

「………はい」

「ならば答えは自ずと分かるだろう」


 ああ、分かる、分かるよ。どうしてこの人がセレニアを愛していないのかも、会いに行かないのかも。けれどそれをそのまま許すことは違うだろう。

 だってあんなに小さな子が、誰にも気づかれないように隅の方で泣いているのに、見て見ぬ振りなんて出来るわけがない。


「分かりません」


 口から出た言葉は、もう取り消せない。だがこれで殺されようとも、別に良いと思えた。


「セレニア様に向ける陛下の想いは知っています。ですが、私は言った筈です。——我が主人は、セレニア・アンドレア・ウェスタ様ただお一人。その主人が『陛下に会いたい』とやっと願って下さったのですよ。叶えなければ、セレニア様に会わせる顔がありません!」


 強い眼差しがクラウスを射抜く。言い切ったレティシアの頬は赤く染まり、心なしか肩も上下に揺れていた。


「——言いたいことはそれだけか?」


 心の底が冷えるような、そんな声だった。元よりもう生きて帰ろうなんて考えは、先の言葉ですっかり消えていた。


「はい」


 ごめんなさい、姫様。もっと一緒に居たかった。もっと傍で成長を見守っていたかった。——この不器用な親子の幸せを、いつまでも願っていたかった。


 ソファーに座っていた男は立ち上がり、スッと剣を抜く。鈍く光る鈍色の刃を、レティシアは目をそらさずに見つめていた。


「怖くないのか」

「怖いですよ、とても。……ですがそれは、殺されることに対してではありません」


 翠玉の瞳が、剣からクラウスに向けられた。光を浴びて煌めく双眸に、男は知らない内に魅入っていた。


「もう、姫様の成長をお側で見守ることが出来ないことが、私は堪らなく怖いのです」


 この物語が大好きだった。セレニアに幸せになって欲しいと思った。それと同じくらい——クラウスにも幸せになって欲しいと思った。


「……興が冷めた」


 クラウスは抜いた剣を戻して、またソファーに座り直す。前髪を掻き上げて、先程よりも露わになった瞳がレティシアを捕えた。


「二日後」

「?」

「二日後、時間を設ける」

「っ……! あ、ありがとうございます!」


 科白の意味を把握するなり、レティシアは嬉しさに顔を綻ばせて優雅に礼をすると、用は済んだとばかりに部屋を出ようとする。そんな彼女の背にクラウスは呼び止めた。


「おい」

「は……」

「お前、名前は何だ」


 最初に名乗っただろう、と文句を言いたいところだが、そこはグッと堪えたレティシアは、いつの間にか立ち上がって此方を見ていた皇帝に微笑んだ。


「レティシア・メイデンと申します」


 黒い髪が優しく靡く。この国では珍しい色にクラウスが目を奪われている内に、レティシアは部屋から去って行った。


「……レティシア・メイデン」


 ふわりと残る、先程まで自分の目の前にいた女の残り香。脳裏に焼き付いた黒髪と翠玉の瞳に、クラウスはそっと彼女の名前を呟いていた。




「——姫様」


 皇宮から帰り、真っ直ぐにセレニアの部屋へ向かったレティシア。椅子に座って本と向き合う姫に、彼女は床に膝をついて見上げた。


「二日後です」

「えっ……」

「二日後に、陛下とお会いできるお時間を頂くことが出来ました」

「うそ………!」

「本当です。…だから姫様、」


 あの日と同じように、セレニアの手を握りしめる。暖かい温もりが手を通してじわりと広がった。


「もう、一人で泣かないでください」


 たった一言。けれどこの一言に、たくさんの感情や想いが詰め込まれているとセレニアは感じた。ルビーの瞳が少しずつ濡れ、涙が頬を滑っていく。次々と溢れるそれを、レティシアはハンカチで優しく拭う。


「二日後は、とびっきりのドレスで行きましょうね」


 その声は、どこまでもどこまでも優しかった。





 夜、クラウスは明かりも灯さず、暗い部屋でソファーに横になっていた。思い出すのは強い光を携えた翠玉の瞳。


「……やはり、殺しておくべきだったか」

「陛下、」

「もう一年も経てば、()()を忘れることも出来ただろうに。…俺はもう二度と——」


 その続きが音になることはなかった。側で控えているエリアスは口を噤んだまま、けれど表情はとても悲しげだった。



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