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1 退屈と憂鬱


 それは、天上の白き宝玉と呼ばれていました。


 うるわしき美姫びきの名は、ジュスティーヌ。

 色白の肌、白銀の髪。

 天上の蒼を宿す、透き通った瞳。

 ウィンスレット公国が周辺を圧倒する力を誇っているのは、ひとえに「セフィドの巫女」のおかげです。

 純粋で清廉せいれんなる巫女によって、不可侵の領域を作りあげています。


 その日、ロジェ・フォールは、セフィドの騎士となるべく登城しました。

 騎士の選定。

 白き宝玉と称えられる、セフィドの巫女にお仕えする名誉をたまわるべくやってきたロジェは、己に課せられた任にいきどおりを感じざるを得ませんでした。

 学びでの成績も悪くはなく、剣技だって申し分はないはずです。

 足りなかったのは、家柄。

 たったそれだけの違いで、栄えある職は他人の手に渡り、そうして与えられたのは、別の者へ仕えるという屈辱だったのです。



     *



「今日も自堕落ですね」

「まあ、ひどい言い草ね。仕方がないじゃない、起き上がれなかったのだから」

「それを自堕落というのですよ」

「昼にはなっていないからいいじゃない」


 寝台の上で伸びをしながら口を尖らせているのが、ロジェの主であるセヤ。

 白き宝玉とうたわれるジュスティーヌではなく、かげでひそかに「堕落姫」と呼ばれている冴えない娘です。

 ウィンスレット城の外れにひっそりと建てられている塔に、まるで幽閉されているかのように暮らしており、特になにをするでもなく過ごしている姿を見ると、いつかこけでも生えるんじゃないだろうかと思ってしまいます。

 色白の肌、といえば聞こえはいいのですが、こちらのそれはジュスティーヌとちがって青白い、どこか不健康で病的な肌です。

 張りもつやもなく、十八という年齢にそぐわない年老いたような肌に、おなじく艶のないきしんだ髪。身だしなみといったものと無縁な、美意識に欠ける姿なのです。

 そんなセヤは、ほそい棒切れのような足を床につけペタペタと歩くと、窓の外を眺めて、ほうと息をつきました。


「今日はよいお天気ね」

「昨日、セフィドの祈りがありましたからね」

「ジュスティーヌ様はどうだった?」

「平素と変わらぬ美しさでしたよ」

「容姿のことではなく、儀式のことを訊いたんだけど」

「それも含めてですよ。白き光の柱は天へと上がり、長雨も去りました。皆が喜ぶことでしょう」

「……そう。ならよかった。雨が続くのはつらいものね」

「作物に影響が出ますからね」


 ここ数日、空は雨雲におおわれていました。このままでは水害が起こるのではないかという懸念けねんがなされるなか、巫女による儀式がおこなわれたのが昨日のことです。

 巫女は、神聖な能力ちからである「法力ほうりき」を使い、世に平穏をもたらす存在です。

 公国が誇る宝であり、代々の巫女によって、この国は安定した生活をおくっています。

 巫女に仕える騎士は、いうなれば最高の名誉。

 誰しもがあこがれるものであり、ロジェがめざして邁進まいしんしてきたものでもあります。

 無論、今だってあきらめたわけではありません。こんな閑職とはさっさとおさらばして、ふたたび「セフィドの騎士」をめざすのです。

 不名誉に耐えているのは、這い上がってみせるという気概きがいがあるから。ここで尻尾を巻いて逃げたとなれば、清廉で高潔な騎士の名がすたります。

 こんなふうに、ぼさっとした、自堕落な娘の世話をも完遂かんすいしてこその「返り咲き」でしょう。

 ぬぼーっとしたままパンをかじっている姿を見ながら、ロジェは決意をあらたにします。

 それは、ふたりのいつもの光景でした。




 セヤは、とにかく謎に満ちた存在です。

 公のご落胤らくいんだという噂もありますが、それにしては扱いがわるいのではないかとロジェは思います。

 塔の内壁に沿って据え付けられている螺旋階段を上がった先には、跳ね上げ扉がひとつ。そこを開けた先にある二間の部屋に住んでおり、侍女らしき存在もありません。ロジェが来るまでは、食事すら運びこまれず、塔の入口に置かれたものを自分で受け取りに行く生活を送っていたというから、驚きです。

 やせほそった身体は、まともに食事を取っていないせいなのでしょうか。

 虐げられているのかと、はじめは不憫ふびんに感じたものでしたが、過ごすうちにわかってきました。

 セヤは単に、ずぼらなのです。

 規則正しい生活というものを、まず送っていません。

 朝は決まった時間に起きることもなく、そんな状態では当然、朝食などまともに取れるわけもないでしょう。

 ロジェはまず、その態度を改善させることに注力しました。

 着替えさせ、髪にくしを通す。

 そんな当たりまえのことすらやろうとしないセヤに苛立ちつつ、ロジェは辛抱強く耐えます。

 毎日髪に櫛を通しつづけたおかげで、うねりまくっていた髪は多少落ち着き、引っかかりまくっていた髪も、すんなり指が通るようになりました。

 それでも髪がきしんでいるのは、栄養が足りていないせいではないかと思い、食事の内容に注文をつけるようにもなりました。

 城の厨房には多少いやな顔をされたものですが、そんなことは関係ありません。

 これは白き宝玉に近づくため。あの、美しき巫女姫に仕えるための、下準備なのですから。


「ロジェさんは、まじめね」

「仕事は真面目にするものでしょう」

「でもこれは、騎士さまの仕事ではないと思うのだけれど」

「あなたに仕えるのが仕事なのですから、これも仕事でしょう」


 もしゃもしゃとパンを咀嚼そしゃくするセヤの髪をとかしながら、ロジェは答えます。

 手触りが悪い。香油でもつければ、すこしはマシになるだろうか。

 ぼそりと呟いた声に、セヤが笑いました。


「そんなことしなくていいわ、もったいないもの」

「あなた、本当に女ですか」

「生物学上はそうみたい」

「うちの妹は、あなたの半分も生きておりませんが、あなたの倍は洒落っ気がありますよ」

「ロジェさんが髪をいじるのが上手な理由がわかったわ。おにいさんだったからなのね」


 はからずも、妹の髪を整えていたことが知られてしまい、ロジェは言葉につまります。

 己の個人情報をあかすつもりはなかったのに、バレてしまいました。

 だからこそ、つい口に出してしまったのです。


「そういうあなたはどうなんですか」

「わたし? さあ、知らないわ。孤児だし、家族は死んだのではないかしら。おぼえてないけど」



   *



 やってしまった――

 城の廊下を歩きながら、ロジェは自己嫌悪におそわれていました。

 セヤの生い立ちが複雑そうであることは察せられたのに、どうして訊いてしまったのでしょう。

 肩を落とすロジェに、背後から声がかかります。

「随分と疲れているな。例の堕落姫のせいか?」

「セドリックか……」


 セドリック・デュナンは、白き宝玉に仕える騎士の一人。おなじ教室で過ごした、学友でもあります。

 家柄も良く、巫女の近くにあっても遜色のない立ち居振る舞い。先日の儀式でも、傍に控えていた姿を、忸怩じくじたる思いで眺めたものでした。

 厄介なことに、これがまたとてつもなく「いい奴」なのです。平民のロジェにも、分け隔てなく接してくれる、騎士の鑑のような男です。


 イヤな野郎であれば、遠慮なく呪えるのに――と、ロジェはいつも舌打ちをしたくなります。

 セドリックには時折、愚痴めいたものをこぼしていました。彼自身も上層部に掛け合ってくれているらしいのですが、ロジェは未だに「堕落姫のお守」で、セドリック以外の騎士の嘲笑ちょうしょうをかっている状態です。

 なお、これらの連中については、遠慮なく胸中で呪っています。

 夕食の貝に当たって腹を下しますように――




「いや、ちょっと俺自身のことで反省してるだけだよ。それより、昨日はすごかったな」

「雨止めの儀式かい?」

「ああ。天候にも干渉できるだなんて、奇跡だよな」

「僕もそう思うよ。ジュスティーヌ様が手をかざし、城の中心にあるぎょくが輝くさまは、何度見ても震えがくるね」


 儀式がおこなわれる広間には、床に大きな陣が描かれています。

 中央に据えられた台の上へ設置された水晶に巫女が力を注ぐと、水晶は白く輝き、陣の中に光の柱が立ち上がるのです。

 水晶はそのまま光の球体を生み、巫女がそれを支え持ち、天へと捧げます。

 ゆっくりと天上へと導かれるまばゆい光の球は、城から離れた場所にあっても確認できるほどの輝きです。


 城の頂上で真っ白に輝く光の球。

 天上の白き宝玉と呼ばれる所以ゆえんは、そこにあるのです。


 絶大な法力を操るのは、巫女姫だけ。

 ゆえに、巫女自身のことを「白き宝玉」と称することも少なくありません。扱えるのが巫女だけなのですから、同一視するのも無理からぬことでしょう。

 歴代巫女の中にあっても、ジュスティーヌの美しさと強大さは類を見ないほどで、彼女を欠いては国が滅んでしまうであろうと心配されています。今回の騎士選定に力が入っていたのはそのせいだと囁かれていますが、ロジェにしてみれば、「だったら俺を選べよ」と言いたくて仕方がありません。

 ロジェに今の役職を与えたのは、国で一番頭が切れるといわれているフェロン宰相。

 君が一番適任だと言われてしまえば、平民出の下っ端騎士に断れるわけもありません。


 セヤにあてがわれた騎士は、ことごとく辞めてしまったそうです。

 あの怠惰たいだな生活ぶりと容姿を見れば、爵位持ちの騎士には、それは耐え難い屈辱だったことでしょう。平民出のロジェに任を振られたのは、つまり「そういうこと」なのです。

「ロジェ、耐えてくれよ。絶対に君を引き上げてみせるから」

「……ありがとう、セドリック」




 城のそこかしこで、儀式が話題になっています。

 昨日は、いままで以上に宝玉が輝きました。大きな力が働いた証拠でしょう。

 けれど、ジュスティーヌは気丈に振舞っているのか、平素と変わらないようすで皆の前に現れ、巫女としての日常をこなしているのだといいます。

 その心意気を褒め称える声が大きければ大きいほど、ロジェはなんともいえない気持ちになりました。

 健気に民のために働く美しい巫女姫・ジュスティーヌ。

 比べて、昼まで寝台から起き上がらず、やっと目覚めたかと思うとパンをそのままかじるセヤの、なんと怠惰なことか。

 それはそのまま自分にも返ってきそうで、ロジェは誰もいない裏庭の井戸に向かって絶叫したくなるのです。



 セドリックと別れて向かった先は、フェロン宰相の部屋。

 セヤのようすを聞かせてくれと頼まれており、報告にやってきたのです。


「ロジェ・フォール、参りました」

「ああ、入ってくれ」

「失礼いたします」


 ゆっくりと扉を開き、室内へ足を踏み入れます。

 公を支えるふたりの宰相の片方であるにもかかわらず、彼の執務する部屋は狭く質素でした。もうひとりの宰相フックスが、成金趣味といわれるほどに豪華な調度品を取り揃えているため、余計に比較されてしまっているだけかもしれませんが、それにしたって素朴すぎるでしょう。

 具体的な数字を訊いたことはありませんが、フェロンは城内でも一番年齢を重ねているであろう人物です。ロジェの祖父よりも、年上かもしれません。

 にもかかわらず、どこか腰が低く、うんと年下のロジェに対しても、とても丁寧な物言いをする方でした。

 手ずから提供された茶を恐縮しながら受け取り、口をつけたあとでフェロンに問われます。


「セヤ様の御加減は?」

「加減もなにも、いつもよりも深く眠られて、昼を兼ねた朝食をお取りになりましたよ」


 いつもより寝坊したあげく、昼前になってやっと飯を食いましたがなにか。

 といったことを丁寧に告げたところ、フェロンは盛大に溜息をつきました。

 そうか、やはりご無理が――などと呟いているのを耳にし、ロジェは呆れる一方です。

 いやいや、いつもより寝てるし、食欲ないのはいつものことだし、むしろ俺が褒められて然るべきではないですか、宰相閣下。


「ロジェ・フォール」

「はい」

「なにかあったら、連絡を頼む」

「はあ……」

 フェロンとセヤは、一体どんな関係なのだろう。

 疑問符が頭を飛び交うなか、ロジェは騎士の礼を取り、部屋をあとにしました。




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