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名言botに堕ちる

作者: nyannyan
掲載日:2018/11/04

 名言botに堕ちる。それは難しい言葉の複雑さに魅了され取り憑かれるということだ。現代をさまよう似非知識人の多くが罹患している、恐ろしき病の一つである。

 

 例えば、彼らが、「存在の根源的憂愁」、と言ったとする。その時彼らは、表出されたその言葉に、ついうっかりうっとりしてしまう。いや、正確にいうならば、その言葉に圧縮された意味連関とその技巧に、心を奪われてしまうのだ。

 

 ただし、ここで注意してほしいのは、決して彼らは、その言葉の聴覚的響きやその言葉の視覚的形象に、魅了されているのではないということである。つまり、彼らは言葉の持つ感性的性質ではなく知性的性質に惚れてしまっているのだ。いや、まあ、少なくとも彼ら自身は自らをそう思うだろう。

 

 なぜなら、なんせ(自称)知識人なのだから、言葉の響きや見た目に惚れるなんて子供じみた真似を自分がしているとは認めようとしないだろう、事実はどうであれ。

 


2 

 この病はなかなか凶悪で、一旦かかるとなかなか治らない。さらに悪いことに、私たちの言語生活に悪影響を及ぼす症状が出る。


 まず、論理展開が不出来になる。つまり、恋にのぼせ上がった頭では冷静に物事を考えられなくなるのだ。伝えたい事柄や前後の論理関係から要求される本来あるべき言葉を選ぶことができなくなる。

 

 ただ、この程度の症状を発症するような患者は程度が低い患者である。高い美的センスの持ち主は愛する対象も美しく整然としている。つまり、そのような人間が愛好する言葉は論理のつながりという視点から見ても十分に許容できるものである。それどころか、高い評価を得ることすら、しばしばありうる。

 


 だが、このタイプの人間(つまり、高い美的センスを持った、言葉に魅了された者たち)には特有の症状がある。


 それは言うなれば、意味の知覚過敏である。どんな些細な言葉でも、それが輝きをもってその人に現れるのである。全世界がキーワード化されるのである。


 例えば、今使われている、「魅了」「意味」「知覚過敏」等々も、彼らにとっては、意味が強すぎて、情動の処理が追いつかないのである。これは、聴覚過敏の子供が小さな物音でも気になってしまい、今行っている行動の処理ができなくなってしまうのに似ている。


 言葉に対して高い美的感受性をもった人間にとって、抽象思考の世界は、彼らの心を壊してしまうほどの輝きをもつのである。



 私自身の経験をここに書かせていただくと、まあ、私にはたいした美的センスなどないのだが、この症状は目眩や吐き気として身体的にあらわれる。実際に、気分が悪くなるのである。


 他人と会話している時に、その人の言葉使いに怒りがわき、嫌悪をおぼえてしまう。つまり、なぜその言葉をつかうのだ!言葉と言葉が衝突しているだろう!どういう了見でそのような気持ち悪い、みにくい言葉の配置をするのだ!?と。勝手に気持ち悪くなっているだけなのだが、これはなかなか厄介で、他人と話すのが嫌になってしまう。


 

 さらに、また、ここには難しい問題がある。それは、相手の言葉選びが未熟で気持ち悪いのか、それとも、私の美的センスが洗練されていないだけなのか、ということである。


 そもそも美的センスなんて個人の主観の問題だから優劣を付けようとすることが間違いであると言われるかもしれない。


 こういう意見に対しては、実際の例を出したらいいのである。つまり、twitterで女子高生のツイートでもみればいいのだ。明らかに言葉たちが醜悪に並んでいるのがわかるだろう。


 いやそれは非文法的だから、そうみえるだけだといわれるかもしれない。しかし、問題の焦点は文法にかなっているかどうかにあるのではなく、言葉がもつ本来的で固有な意味の輝きにあるのである。


 結局、私は自分が感じたその意味の輝きが、正当なものであると信じるしかないのである。この問題はとりあえずこれくらいにしよう。 



 さて、病の第三の症状について、である。しかし、実はこれは先ほど問題にしたことと関連している。


 それは、言葉の意味に魅了された者たちは自分の内にこもってしまう、ということである。つまり、彼らは自分の選んだ言葉を愛しすぎていて、それが他者に開かれていないかもしれないという可能性に思いがいたらないのである。自分だけが分かる意味連関の世界をいつのまにか作り上げてしまい、その中に知らないうちに埋没しているのである。


 例えば、こういう人間は自分だけがわかる比喩をつかう。概念が舞っている、だとか、強調符が踊っている、だとか。


 自分の言葉使いに他人が追いつけないという可能性はできるだけ減らした方がいいのである。そうしなければ、自分の言葉にきちんと向き合ってくれる他者を失ってしまうことになる。そうなると、もう孤独のうちに自分だけの言葉の王国を作るしかなくなってしまうのである。(実はこの批判は、私が今書いているこの文章にも向けられてしまう…。)



 ただ、ここにも一つ問題がある。それは、このように他人に伝わらない言葉をつかうのは、裏を返せば言葉の創出といえるのではないのか、という問題である。


 つまり、その人独自の言葉の意味連関の中で析出された言葉は、確かに一見理解不能に見えるが、それはそもそも新しい概念を作り上げているからなのではないかということである。


 この問題は非常に難しいので今は置いておく。というより、この議論全体をひっくり返してしまう可能性があるので、手をつけられない。



 (ここで、補足をしておくと、この問題は、この議論全体が主題にしている、言葉の意味連関の美しさ、つまり、概念の本性的な美的性質の定義をより厳密なものにすることを要求し、かつ、他の問題領域との関連を明確にすることを要求してしまう。


 新しい概念と単純に内に閉じた言葉使いとの違いは、それが言い換えできるかどうかということである。


 つまり、新しい概念は、他人に伝えることを志向した上で、その状況下ではその言葉をそのように使う以外に他の選択肢はなかった、というものである。一方、単純に内に閉じた言葉使いは他人への伝わりやすさよりもその使用者の趣味が優先されたようなものである。


 もちろん、厳密な言い換えなど不可能だし、他人への志向というのも原理的不可能である。だが、もし言葉のもつ公共性を無視しないならば、言葉は、その公共に開かれるあり方においては、できるだけ使用者の痕跡を消さなければならない。


 この原理に従ってなお、使用者の痕跡を消せないものこそが新しい概念である。哲学の用語が必ずその考案者と結びつけられなければならないのも、こういった事情によるのであろう。


 そして、このように考えると、つまり言葉の公共性という視点を加えると、本論の「患者」たちは一体「何に」魅了されているのであろうか。


 極めて有能な患者の言葉への偏愛は概念を作り出すにまで至る。つまり、私的な情念が公的な市民権を得る。「概念の本性的な美的性質」といった時に「本性的」といってよかったのはこれ故である。


 しかし、それ以外の多くの患者は私的な愛の内に溺れる。両者は同じ類のものを愛しているのだろうか。後者はおそらく本性的と言ってはならないだろう。いうなれば幻影といったところか。だが、幻影とはいえ、その美的感触は確かにあり、かつ、それは感性の領域に認めるものではない…。では、どうすれば?。


 と、私の手に負えないので今は放棄する。)



 さて、ここまで、言葉の意味の輝きに取り憑かれてしまうという病の症状について述べてきたのだが、私としてはこの病はそれほど嫌いではない。言葉に魅了され自分だけの言葉の世界に閉じこもる。そのように生きることも現実的な選択肢としてありかもしれない。


 そうさ、例えばこういう生活のことだ。

 

 その男は生活の糧を得るために心を削りながら日々あくせく働く。そしてやっとのことで取れた休日に、彼がすることというのは映画館やジムに行くことでもなく、恋人とデートをすることでもない。彼は、人目を忍んで自分の宝石箱を取り出し、その中の宝石をうっとりと眺めるのだ。


 美しい、美しい宝石だ。自分だけの、自分だけの言葉たち。ああ、世の人々は彼を笑うだろう。だが、それでもいいのだ。彼にとって、彼の言葉たちよりも美しいものはないのだから…。


 少々情動的に描きすぎたが、私は真面目にこの病にかかってもいいと思っている。


 言葉を主体的に使うというのは本当に難しいことであるが、多くの人はそれに気づかない。言葉そのものが持つ概念駆動力によって、私たちは知らず知らずの内に、引き摺り回され、酔ってしまっている。


 自分が酔っている事に気づかないよりは、気づいている方が良い。気づいた上でその酔いを享楽した方が良い。


 言葉の美しさにはどんな人でも幻惑されるのだ。それほど美しいのだ。ならば、喜んで膝を屈しようではないか。

 


10

 しかし、このような道を示した上でなお病を癒したい人がいるならば、まずは次の事を行うとよい。


 それは、日常の言葉を使うということである。


 具体的な実践としてはこれが最も良いであろう。本当に実行しようとすると、とてつもなく難しい事なのだけれども。

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