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一都六県が幼稚園児  作者: アセロラC
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第六話 こうどさんぎょうかのじだい

 関東がカスリーン台風に襲われた日から71年が経ちました。

 サリー先生と園児たちの授業シリーズ。今回は、各地に残っている産業遺構について、また日本の産業発展の光と陰についても触れています。


 今日もサリー先生がクラスの中に入ってきた。

「こんにちわ」

「こんにちわ」

「みなさん、きょうもとってもいいごあいさつができました。今日はみんなのまちの産業遺産について考えてみましょう」

「はーい」

「日本の産業化を進めるために、当時の政府は官営企業を作って産業全体を引っ張ろうとしていました。その中でも大きなものが三つあります。答えられる人いますか」

「はい」

「今日は積極的な東京都くん、どうぞ」

「八幡製鉄所、富岡製糸場、印刷局です」

「ご名答です。優勝者にはお米5キロって言いたいところですが、それは早朝の関東ローカルの番組。ところで先生は『やはたせいてつじょ』と覚えていました。正確には『やわた』と呼ぶようです」

「だせえ」とクラスの誰かが言った。

「誰なの? 人は誰でも間違うものなのよ。先生は他にも『オストラシズム』を『オラトラシズム』って間違えて覚えたこともあって、大学のゼミで恥をかいたことがあったのよ」

「だせえ」とまた誰かが言った。

「うるさいわね。間違ったら直すことが大切なの。それに、それを見た人が、同じ過ちを犯している可能性だってあるのよ。その時こそ『人の振り見て我が振り直せ』の精神で自分の誤解や過ちを修正するの。他人の過ちがきっかけとなって、人は自分の過ちに気付くこともあります。従って、人前で間違うことは必ずしも悪いことではありません。ただ、私たちに間違いを恐れる傾向が強いのは、学校でつける成績に直結するからでしょう。ですけど、そんなことで先生は評価を決めたりしません。この授業の中では萎縮するな! 先生の評価は、客観的に筆記試験でいきます」

「もう言いません」

「群馬県くんだったのね。もう先生に『だせえ』とか言っちゃダメよ」

「はい」

「それでは、この三大官営模範工場(仮称)のうち、今回は群馬県くんに富岡製糸場についてお話ししてもらいましょう」

「いや、俺も詳しく知らないんだけど。そもそも富岡製糸場を長年保存してくれたのは信州の片倉工業だし」

「今日は妙に消極的だけど、何かあったの?」

「片倉は建物を保存するのに毎年かなりの金額の納税をしていたのに、グンマーが観光資源として独占しているのはどうかなと思って」

「確かにそれは微妙ね」

「多くの場所で古い建物が壊されているじゃないですか。旧都庁にしても日比谷公会堂にしても。秋葉原のワシントンホテルなんて1980年代に作られたのに『老朽化』を理由に立て直してみたり」

 そこに無口だが鉄道好きの埼玉県くんが発言した。

「それって、つくばエクスプレスが東京駅に延伸できるようにあらかじめ空間を確保するためなのが目的で、建物自体は別に問題ないっていう噂で……」

 それに対して群馬県くんは言った。

「それが真実かもしれないけど、はっきりとした証拠が表に出てない鉄オタの噂ならいくらでも作れる。そうじゃなくて、ワシントンホテルの例は適切じゃないけど、たとえ戦後の建物でも名建築といわれるものは残しておいてもいいのではないかという意味。そうすれば観光資源として使えるし、都市空間はスペースが空いて、公共交通の混雑が緩和されるし、郊外に計画的に都市機能が移転できるし。貴重な歴史遺産をぶっ壊して、何でもかんでも高度利用するとか言い出して、貧弱な輸送力のまま依然として労働者に酷な通勤を強いるのって、非人間的といわざるをえない」

「公共交通の混雑って、グンマーには関係ない話っぽいけど」と東京都くんが言ったが、

「俺は一般論を言ってるだけ」と反論した。

「それで産業遺産の富岡製糸場についてはどうなの」と先生が本筋に戻した。

「うーん。これも経緯があって施設がグンマーにあっただけであって、養蚕自体はすでに関東で盛んに行われていたわけで、これだけ注目するのはどうかと思う」

「その話は置いておいておきましょう。それで養蚕農家はどんな感じなの」

「関東はコメも作るけど、蚕の飼育もしていて、古い人はマジで『お蚕様』って呼んでいる。モノカルチャーっていって一つの農作物だけ作っていると、その地域で天候不順があったり病害虫が流行ったりした場合、農作物の収量が激減し、農家の収入が不安定になる。国の例を挙げれば、かつてのフィリピンのバナナとかコートジボアールやガーナのカカオみたいなの。大きな天候の変化があると国家財政そのものが大きく揺らぐわけだよ。それを避けるために別の作物を作ったり、ほかの新規産品を確保しようとして分散投資のようなことをする。オイルマネーが潤沢にあるうちに、リゾート施設や国際金融取引場を整備したりしているドバイみたいに」

 アラブ首長国連邦のドバイ。意外なところに話が飛んでしまった。

「ドバイの貝の形をした人工島とか、回る高層ビルとか、世界的に有名だよね。あのビルを初めて見たとき、高田馬場駅のホームから見えた回る貴乃花とマリリンモンロー像を思い出したわよ」

「あれって、回ってたっけ? 壊れて放置されていて、ただの動かないオブジェになっていたような気がするけど」と東京都くんが言ったが、

「こまけえこたあ、いいんだよ」と手をふったサリー先生。しかし今日の群馬県くんは真剣だった。

「親方日の丸の先生のような公務員は古臭く脳天気なことを言っていられていいな。農家は天候に一喜一憂しなければならない。この間までめちゃくちゃ暑かったのに、今度は平年を下回る気温になって、農家は農作物が痛まないか心配でいるわけだよ」

「脳天気で悪かったわね」とぶーたれるサリー先生。しかし群馬県くんは今日は冷静だ。

「話がめちゃくちゃそれたけど、その関東の各地域で作られた繭は前橋に送られる。前橋には乾繭市場があった。今はもうなくなったけど」

「前橋は繭の一大集散地だったわけね」

「その絹糸から絹織物が作られるわけ」

「その主な生産地が、以前の授業でやった公営ギャンブル場のある町なのよね」

「将来的にはその町の産業の絹織物の比重が下がるのではないかという懸念から、公営ギャンブル場を誘致したのかもしれない。さっきの分散投資のように。ところでその絹織物は、染めるのに水が必要なわけ」

「それで有名なのは、桐生、足利を流れる渡良瀬川」

「近隣の小さな川でも染めている人はいる。栃木市の巴波川うずまがわとか、横浜市の大岡川では横浜スカーフを染めていました。都内でも、目黒川で昭和30年代に友禅染をしていた当時の画像が掲示されています。もっとも、都内の細い川はちょっとした雨で増水して氾濫の危険が高まる暴れ川なわけで、ゲリラ豪雨の来やすい夏とかに悠長に水にさらしているわけにいかないだろうな」

「そんなにのんびりした人はいないでしょう」

 群馬県くんは続けた。

「オプーナというゲームで有名なコーエーのシブサワコウさんは、実家が足利の織物屋という噂」

「オプーナじゃなくて信長の野望とかにしなさいよ。シブサワコウさんは、アップルのキーノートで壇上に上がって英語以外の言語でスピーチをした唯一の人でしょ。知っている人しか知らないわよ」

「俺、昔ネットの掲示板で『お前にオプーナを買う権利をやろう』って言われたことが何度かあって、それを覚えている」

「それはバカにされてただけでしょ。で、その絹織物はかつて日本の主要な輸出品だったのでしょ」

「もちろん国内で消費もされたけど、絹製品を輸出するために作られたような鉄道路線があって」

「それが八高線。先生は八王子出身なのよ」

「八王子も絹織物の産地だね。『日本にフリーウェーは存在しない』とどっかの役所にクレームをつけられて一時期放送禁止になったとか言われた『中央フリーウェイ』の松任谷由実さんのご実家は呉服屋だという噂です。高崎線を使うと都心やその周辺の大消費地に輸送できる一方、八高線は八王子経由で、横浜線を使って横浜の輸出港に向かった」

「それを税関のインスペクションとかがあって、輸出前に一時保管したのが赤レンガ倉庫ですわ」と神奈川県ちゃんが言った。

 群馬県くんは続ける。

「横浜には絹関連の施設が残ってるしね。その横浜との関係で、グンマーには横浜銀行の支店があるらしい」

「意外な関係があるのね」

「他にも、グンマーとか栃木には神戸や大阪の織物メーカーの工場があったりして、過去には旧太陽神戸銀行の支店があったりとか、意外な金融機関があったりする」

「ところで前橋って群馬県の県庁所在地でしょ。それなのに鉄道が集中しているのが高崎で、前橋は両毛線ってローカルな路線に……」

 そこで突然群馬県くんが苦しみ出した。

「うう、苦しい、胸がひび割れを起こして分裂しそうな痛みが」

「どうしたの群馬県くん」

「痛い、分裂しそうだ」

「この間は目が見えなくなったり、今回は胸が張り裂けそうになったりしているの?」

「もしかしてこれは……」と栃木県ちゃんが声を出した。

「そういえば栃木県ちゃんも苦しんだことがあったわね」

「もしかして、高崎と前橋の話をしたのがいけなかったのでは?」

「そうなの?」

「県庁所在地が移転したりとかで、両方の市は仲が悪いって聞いたことがあります。その話をやめたら胸の苦しみがなくなると思います」

 群馬県くんは相変わらず苦しんでいる。

「苦しい、誰かブレザーのボタンを外してくれ」

 この発言を疑問に思った先生が尋ねた。

「栃木県ちゃんも言ってたけど、この『ブレザーのボタンを外せ』ってどういう意味なの? 苦しんでる群馬県くんをほったらかしといて質問するのもあれなんだけど」

「苦しい」と言い続ける群馬県くん。その様子をほったらかしにしておいて栃木県ちゃんが言った。

「昔、『キカイダー01』っていう番組で、ビジンダーに変身する前のアンドロイドが苦しんで『ブラウスのボタンを外して』と懇願するシーンがたびたびあったのだけど、実はブラウスの三つ目のボタンを外すと爆発するという罠になっていたの。それをこのテキストの作者が使ってみたけど、読者の方でこのネタがわかる人はほとんどいないのじゃないか、逆にこの作者はエロいことばっかり考えているのではと誤解される思って、私があえてここで元ネタを明らかにしたわけです」

「先生も知らないから、ただのエロ趣味かと思ってたわ。ビジンダーって、高校生だった志穂美悦子のデビュー作?」

「素人同然で演技が棒すぎたのだけど、アンドロイド役と言われれば納得できるレベル。結果的にアンドロイドの優等生役の池田駿介が一人芝居しているようなのがよかった」

「なんか古い話よね」

「いちおうDVDで見ました」

「本当はリアルタイムで観ていたんでしょ」

「リアルタイムじゃないですけど、『もこロボ』も見てましたよ」

「レガッタ?」

「最初はレガッタ2になるのではと心配したけど、逆に演技が大根だったおかげで最後は盛り上がった」

「ん……、『もこロボ』だって何年前のドラマよ? 栃木県ちゃん、あんた本当に五歳なの?」

 詰問調の先生に、少しおののく栃木県ちゃんだ。

「……お、お母さんが録画してたのを見せてもらったんです」

 先生はツッコミを入れるように鋭い視線でクラス全体を見た。

「言い訳っぽいよね、このクラスのみんなは……。それは置いておいて、群馬県くん、もう前橋のお話は終わりですよ」

 群馬県くんは我に返ったようだ。

「はっ、俺はどこ、あたしは誰?」

「胸の痛みは治まった?」

「全然痛くねーし」とかわいくない態度だった。

「ブレザーのボタンを外せって言ってたけど?」

「そんなこと全然言ってねーし」

「覚えてないの?」

「ブレザーのボタンくらい、自分で外せるよ」

 胸の苦しみを訴えていたときと様子がまるで変わっていた。

(「じゃ、なぜあんなこと言ったの? 栃木県ちゃんも言っていたし……」)

 続けてサリー先生は群馬県くんに質問した。

「群馬県には、他に織物に関係するのってあるの?」

「桐生に官立の撚糸ねんし工場が作られ、それから高等工業が設けられた。『桐生工専』って言う人もいる。今の群馬大学の前身。その桐生だけでGNPの三分の一から四分の一を生んでいたってウィキペディアを読んで驚いた。桐生って、篠原涼子の出身地だぜ、関係ねーけど」

「国費を投入して模範工場を作ったり、理系教育まっしぐらだったりしたけど、ウィキペディアみると、理系の学生は学徒動員は猶予されたものの戦没者が多かったって書いてあって……」

「桐生は空襲もあったし、ここを卒業して各地の軍需工場で指導していた人たちが戦災で亡くなったっていうのもあると思う。桐生の南隣は中島飛行機の工場のある太田や小泉で、毎晩のように空襲に遭っていたって言う話を年をとった方から聞いたことがあります……」

「軍需工場といったら空襲のターゲットだからね」

「硫黄島が陥落してから、軽戦闘機による攻撃も加わって、空襲の頻度が増え、ターゲットが施設だけでなく乗組員たちの判断で動くものならなんでもだったらしい。アジア・太平洋戦争の1944年から45年にかけての戦死者は、全期間の8割から9割に上るって書いてある本もある……」

 悲しそうに語る群馬県くんだった。


    ——————————


「それでは次の産業遺産は」とサリー先生が尋ねるが、

茨城県「今日の授業はディープすぎる」

栃木県「辛い」

千葉県「うち軍用地ばっかだし」

埼玉県「うちは養蚕してグンマーに納めてたし」

神奈川県「あたしのところはグンマーの製品を輸出してございましたし」

東京都「とりあえず八王子はもう出たし」

 誰も積極的ではなかった。

「永遠のライバル、茨城県くんはどうかな」

「うちは日立鉱山とかあるけど、蚕の話でいくと、つくばで、蚕の繭糸に紫外線を当てると発光する蚕をゲノム編集で作っているっていう」

「ジャパンの絹織物に新たな付加価値を与えようとして?」

「今は円安で日本製品の需要が海外で高まってるからだっぺ。もう一つは、蚕の糸を使って人工血管を作るって話」

「動物性ってことで人体に馴染むの?」

「蚕の糸が体内に入ると、人体の中の物質と入れ替わって、自分の血管になるらしい」

「そこを詳しく調べろよ」と天敵の群馬県くんが突っ込むが、

「俺の頭じゃ無理だ」

 サリー先生は収拾をつけようとした。

「とにかく、それじゃ、これからは養蚕がかつての絹織物の原料を作るだけでなく、医療にとっても重要な産業の一つになるかもしれないね」

「そういうこと」


    ——————————


「それでは今日の最後は、栃木県ちゃん」

「私のところは足尾銅山」

「今は日光市に合併されたんだよね」

「足尾は渡良瀬川の上流で、桐生、太田、足利、佐野、館林、栃木市に編入された藤岡を経て茨城県の古河で利根川と合流する川」

「桐生、足利って、さっき友禅流しが行われたところよね」

「その上流が足尾」

「それじゃ、足尾銅山の鉱毒は、その流域も汚染していたってこと?」

 サリー先生は驚いた。

「そうです」

「農作物だけじゃなくて、絹織物にも悪影響が出ていた可能性があるわけね」と、サリー先生はまたしても驚いた。

「やっぱり有害な金属イオンたっぷりで変色した水で友禅染は難しいでしょうね」

「北関東の歴史はある意味、公害との戦いでもあったわけね」

「台風や夕立で大雨が降ったりした時は、足尾の鉱毒が一挙に流れ出たっていう話です。渡良瀬川は氾濫しやすいため、あの流域の古い家は、今でも二階の軒から木造の舟を吊るしていて、水害に遭っても逃げられるようにしているところがあるようです。これは北関東だけでなく、やはり暴れ川の神奈川県小田原市の酒匂川流域でも見られたということです」

「それだけ水害が多いところだと……」

「足尾銅山から一挙に流されて来た鉱毒が渡良瀬川の氾濫によって、川でないところをも流れ、農作物が植わっているところや人間の住んでいる住居を水浸しにしたわけです」

「水が引くだけでは鉱毒は消えないわよね」

「そういうことです。鉱毒によって生育しない農作物や大きなダメージを負った村人の惨状を見て、地元選出の田中正造という議員が、死罪を覚悟で天皇に直接直訴に及んで捕まったとか」

「すげえ」と誰かが言った。

「それで打った対策が、鉱毒が消えずにどうにもならなくなった地域は、強制的に民衆を移転させて廃村にするという強引なやり方だったわけです。もちろん足尾銅山経営をやっていた当時は、鉱毒の流出を抑える技術は低かったわけですし、鉱毒に対する認識も薄かったと思いますが、足尾の方は禿山ができるとか、渡良瀬川流域の鉱毒の影響で生育しなくなった稲を持ち上げてみると、根に着いた泥がキラキラと金属的な光を放っているとか、ヤバイことが目の前ではっきりと起こっているのに、政府も企業も周辺住民にとって満足できる対策を取れなかったというのが問題だと思います」

「1960年代から70年代の公害問題の先駆けとなった事件ね」

「もともと江戸時代から足尾銅山からは銅が採れていたわけで、フジテレビの銭形平次でおなじみの『寛永通宝』で、足尾で鋳造されたコインの裏には『足』の文字が入っています。ですけど、大規模な鉱毒問題が発生したのは近代的な採掘方法が取られるようになってからだといます」

「人間は産業を発展させ、その結果、人間の生活を豊かにし、人間の可能性を飛躍的に伸ばしたと言われても、逆に人間の居住環境を狭め、人間の生活を脅かした負の側面も、早い段階から明らかになっていたというわけね」

「公害一般で言ったら、被害があるのは渡良瀬川流域だけじゃないけど、この流域には、生産力が高く繁栄を極めた町があり、その一方で、今だに解決できない公害問題の原点があり、太平洋戦争の時には執拗な空襲にあって焼き尽くされたという、人間の文明の影の部分もまた濃く投影されたということね」

「この地域は、群馬県を指す上毛国と栃木県を指す下毛国の両方にまたがる地域ということで、『両毛』地域と呼ばれていて、前に言った通り、そこの住民は県境とか市境のような人間が作った人工的な境界線をあまり意識しないで生活してきました。だけどそういう地域が、どの県に住むとか関係なく公害に苦しみ、アジア・太平洋戦争で絨毯爆撃をされ多くの被害者を出し、たくさんの命が奪われたという直視に堪えない歴史があります。そのような惨禍が二度と起こらない未来を私たちはしっかりと築いていかなければならないと思います」

「東武線に『特急りょうもう号』が走っている」と埼玉県くん。

「ヤバイ地域じゃん」と簡単に言う東京都くん。それに対してサリー先生はいった。

「ヤバイと言っても、どこにでもある公害の原点なの。東京都だって、光化学スモッグが発生したり、地盤沈下が起きて取水を禁止されたり、交通情報で毎日のように渋滞の先頭になっている首都高三号線大橋ジャンクションで大気汚染が問題になったり、いまでもそうかわからないけど、新宿区牛込柳町の谷底になっている交差点は、不自然なほどかなり手前の方に停止線があるのは、あそこの住民の血液からだったと思うけど、高濃度の鉛が検出されたことがあるからなのよ」

「当時の車のリアガラスの隅に、車内からシールが貼られていて、ブルーが『無鉛』ガソリンで、オレンジが『有鉛』で、当時のスポーツカーはたいてい有鉛ハイオクガソリンを使っていたね。そんなのが当たり前のように大気中に撒き散らされていたらそりゃヤバイよな」

(「なんでそんなことを知ってるのよ」)と心の中で突っ込まずにはいられないサリー先生だった。


    ——————————


「ということで、現代にもつながりのある公害や戦争被害の話が日本の工業化が進展する時代にはあったわけです。しかし、産業の高度化はいまだに続いています。現在でも原子力発電所の放射性物質を安全に処理するのは非常に困難であろうという議論もあります。日本を取り巻く国際環境を見ても、核戦争の恐怖は依然として消えておらず、私たちの生活を脅かしています。『光あるところに影がある』というのは時代劇のセリフではなく、私たちの文明社会の中で日々切実に感じるところです。ということで、今回は群馬県くんと栃木県ちゃんで悩みましたが、優勝は群馬県くん」

 サリー先生はレースクイーン水着に着替えた。

「悪と戦う特撮ヒーローのように、毎回同じ時間に変身している気がするけど、私は変身好きだからいいや。それでは群馬県くんの愛車に星の形によく似たステッカーを貼って、今日の授業のごほうびとしましょう」

「俺の愛車は、スバルR2」

「これって、360ccのやつ?」

「エンジンはリアに積んでいて、外見からはスリットがたくさん入っているのが特徴さ」

「スバル360は稀に走っているんを見るけど、R2とかスズキのフロンテとかは、まず見ないな。ところで、スバルは元の名前を富士重工業と言ったけど、もしかして……」

「前身は中島飛行機です」

「……太田の手前に来ると、東武伊勢崎線から開発用のテストコースのバンクが目の前に見えるよね」

「初めて見た人は驚くらしいです」

「よく知らないけど水平対向エンジンだっけ、振動が少ないように工夫されて、スバルがよく作っているエンジン」

「1944年、東京に本格的な空襲が始まる頃、サイパン島から出撃したB29が最初に攻撃目標としていたのが、戦闘機のエンジンを作っていた中島飛行機の武蔵工場だそうです」

「普通に話をしていても、戦争の影を引きずることになるわけなのよね。スバルマークの楕円の中の星は、希望の星だといいね」

「俺もそう思います」と、今日は真面目そうな群馬県くんだった。

「今日は文明の裏面を見たような気がしたわ。人間が生み出した科学技術を人間がコントロールできなくなって、ついに核戦争が勃発して、みんながお星様になっちゃったなんてことのないようにね」

「私たちのこれからの社会を負の遺産で終わらせないように、僕たち子どもががしっかりして、新たな未来を作っていかなくちゃな」


 今日も熱すぎるサリー先生の授業が終わった。五歳の園児たちは、人類が築いてきた文明の裏側を学んだ。人間の作り出した技術を人間がコントロールできない時代は、すでに始まっていたのだ。人類が取り返しのつかない過ちを起こさないために、これからの園児たちの責任は重大である。たった五歳の小さな背中に背負う使命はとてつもなく大きい。しかし園児たちは日々の学習でどんな困難にも立ち向かう強い意志と深い洞察力と幅広い知識を身につけている。園児たちよ、明日を担う大勢のお友だちとともに手と手を繋いで立ち向かえ。暗黒の闇に包まれた現代を切り開き、暁の光をもたらすのは君たちなのだ。

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